ありし日の三浦芳聖家の神風串呂
1、ありし日の三浦芳聖家
ありし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪二丁目)とは、昭和25年(1950年)8月から昭和46年(1971年)3月30日に帰幽するまでの三浦芳聖の住宅兼道場のことです。当時の住所は「豊川市市田町諏訪林三十七番地」でした。
三浦芳聖はここで、皇祖皇宗の御神霊を祭り、「神風串呂講究所」「明徳流興国書道練成会」を主宰していました。
三浦芳聖は、昭和20年(1945年)1月3日の名古屋空襲で、当時住んでいた名古屋市昭和区御所町の中部国民道場兼自宅が全焼となり、愛知県宝飯郡一宮町萩村上近久(豊川市萩町上近久)に疎開しました。
戦後、御祖大神(みおやのおおかみ)の御神諭に従い、南朝正統家の嫡孫であると発表したため、官憲の弾圧を危惧する村人達の圧力で、萩村に住んで居れなくなり困っていた所、門人古澤武雄氏の厚意で、昭和25年(1950年)8月、豊川市市田町諏訪林37番地に転居しました。
不思議なことに、雨露がしのげる所ならどこでもよいと、切迫して転居した豊川市市田町諏訪林37番地は、神様が用意して下さった最高の天地でした。
三浦皇統家大神宮とは、この道場に天神地祇、皇祖皇宗の神霊を始めとする神々を御祭りしたことからこのように称したのであろうと拝察しています。
大正8年(1919年)1月27日の大本教の有名なお筆先には「東邦朔の九千年、栄え三浦の皇統家は日夜久睦じく神国の神代の姿備わりて」とあります。
2、栄え三浦の皇統家
三浦芳聖は、道場兼自宅を「三浦皇統家大神宮」と表記しています。この件については、下記を参照ください。
【参照】大本教お筆先(大正8年1月27日)
三浦芳聖は、このお筆先を、昭和28年(1953年)3月18日、大本教事件を担当した大審院検事で後に検事をやめて出口王仁三郎の弟子となり、大本教の信徒となった土井靖都氏(当時は大長老)から直接聞いたと述べています。
出口王仁三郎氏の無意識下に書かれたお筆先(自動書記)であるため、その解釈は大変難しいが、三浦芳聖が著書の中で述べている解釈では、「雲井に高き高松」は、神風串呂の「高松」三串で表現される「三浦芳聖」のこと。
「栄え三浦の皇統家」は、神皇正統三浦皇統家のこと。「四四十六の花の君」は、お筆先が出た大正8年(1919年)1月27日当時、数えで十六歳の中学生だった三浦芳聖のことだという。
また、玉垣は、「雲井に高き高松の八重の玉垣いと赤き」の「玉垣」で、三浦皇統家大神宮(三浦芳聖晩年の住所)の尊称だと思います。
(三浦芳聖著『弥勒大菩薩(世界大救世主)出現を立証する神風串呂』 9~11頁)
串呂があるから神皇正統ではない。神皇正統だから串呂が構築されている。
3、ありし日の三浦芳聖家の神風串呂
(1)⛩皇大神宮内宮とありし日の三浦芳聖家との串呂(№27)
(2)⛩石清水八幡宮とありし日の三浦芳聖家との神風串呂(№28)
(3)⛩多賀大社とありし日の三浦芳聖家との神風串呂 (№29)
(4)御在所山とありし日の三浦芳聖家との神風串呂 (№30)
(7)三浦芳聖の降誕・仮寓・ありし日の三浦芳聖家を貫く神風串呂(№42)
(8)五皇一体の八幡大明神「三浦芳聖」立証の神風串呂(№45)
(10)高遠町弥勒とありし日の三浦芳聖家との神風串呂 (№98)
(11)和泉市善正町とありし日の三浦芳聖家との串呂(№100)
(12)坂出市天皇とありし日の三浦芳聖家との神風串呂(№105)
(13)龍子とありし日の三浦芳聖家とを結ぶ神風串呂(№106)
(14)三浦(熊野市)と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂
三浦( 三重県熊野市紀和町大河内 )―桂城(三重県北牟婁郡紀北町島勝浦)―始神(三重県度会郡南伊勢町)―ありし日の三浦芳聖家(豊川市市田町諏訪二丁目)―御所(笛吹市八代町永井)―大菩薩嶺(山梨県北都留郡丹波山村)―弥勒(埼玉県羽生市)―天子(栃木県芳賀郡茂木町)
(18)高長(姫路市夢前町)と公文名との神風串呂
高長-ありし日の三浦芳聖家-公文名(菊川市西方)
三浦芳聖は尊良親王(実は天皇)の再現としてこの世に誕生した。
串呂クシロ(かんろ)とは
串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。
地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。
神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代みたましろである神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷ほうせんして同床共殿にお祭りすれば、いま危機に瀕ひんしている「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。
神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
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🟡情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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