💟運命の赤い糸・三浦芳聖結婚の神風串呂(№137)
🎀串呂哲学研究ノート 第137号
1、仲人神は「皇大神宮内宮」の神様
串呂哲学の創始者、三浦芳聖の結婚の仲人神は「皇大神宮内宮」の神様・天照大御神です。
まことに神秘的なことに、三浦芳聖の出生地(愛知県岡崎市牧平町大門)と妻・野村鈴の出生地(三重県度会郡南伊勢町村山)とを結んだ線上に「⛩皇大神宮内宮」と「二見浦夫婦岩」が串呂しています。
今回は、三浦芳聖の結婚の神風串呂をご紹介します。
【参照】三浦芳聖伝 22、運命の赤い串呂・野村鈴と結婚(№136)
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、野村 鈴 様 出生地と三浦芳聖師降誕地との神風串呂
三浦芳聖は、野村 鈴 様 出生地(三重県度会郡南伊勢町村山)と、三浦芳聖師降誕地(愛知県岡崎市牧平町大門)とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。
桂城郵便局(三重県北牟婁郡紀北町島勝浦)-野村鈴出生地(三重県度会郡南伊勢町村山)-⛩皇大神宮内宮(伊勢市宇治館町)-二見浦夫婦岩(三重県伊勢市二見町江)-佐久島(愛知県西尾市一色町)-三浦芳聖師降誕地(愛知県岡崎市牧平町大門)
【地文のみ掲載】
桂城-野村鈴出生地-皇大神宮内宮-二見浦夫婦岩-佐久島-三浦芳聖師降誕地
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています)
(1)桂城(かつらぎ、三・北牟婁郡紀北町海山区島勝浦)
この「桂城」は、「けいじょう」と読めるので、三浦芳聖が大正2年(1913年)、数え年10歳で楠林山安楽寺に於いて富永慶法老師の弟子となり出家得度した時に名付けられた僧名「慶定」(けいじょう)のを表わす地名です。
三浦芳聖の籍名は、数え年13才の時に「幸喜知」から「慶定」に改名されました。
この桂城という地文について傑作だと思いましたのは、桂城郵便局のすぐ東隣に「安楽寺」というお寺があることです。これはインターネットの発達のおかげで、地図検索で初めて分かったことです。
2007年8月当時の島勝浦の地図検索では、下掲のように桂城郵便局の近くに「卍安楽寺」を見ることができました。
現在は大縮尺(分母が小さい)の地図検索が見られなくなりましたが、紀北町の桂城出張所の案内地図では桂城郵便局近くに卍安楽寺が確認できます。
天地神明は、この「桂城」が、楠林山安楽寺で修行した慶定(三浦芳聖)を表わす地名であること立証するため、このように、同名の「安楽寺」を設けてお示しになっているのです。
串呂哲学が神風串呂と称される所以です。串呂の研究・解明も、ここまで参りますと「楽しい神遊び」となります。
(2)野村 鈴 様 降誕地(のむらすず 様 降誕地、三重県度会郡南伊勢町村山)
三浦芳聖師の妻、野村鈴は、明治39年(1906年)5月、三重県度会郡吉津村大字伊勢地字村山に、父・野村政之助、母・鶴(つる)の長女として誕生しました。(三浦芳聖著『皇大神宮を中心とせる神風串呂』16頁)
「鈴」という名前の由来は、彼女の父・野村政之助が、丁度、伊勢神宮の「五十鈴川」で手を洗っていた時刻に生まれたので、「五十鈴」と名付けると言ったら、彼女の祖母が、それではまるで芸人みたいな名前だと反対したので「鈴」という名前に決まったということです。
この野村鈴出生地と三浦芳聖降誕地とを結ぶ・芳聖結婚の神風串呂は、上記の地図の鈴島の東側を通っています。鈴島の地番は三重県北牟婁郡紀北町三浦824番地です。
鈴島の西側は三浦海岸と言います。この三浦は三野瀬の三浦といいますが、三野瀬=三浦+野村です。串呂主宰神のご配慮の跡が偲ばれます。
三野瀬の「三浦」、島勝浦の「桂城」、三浦「鈴島」が、▽形を形成して仲好く並んでいるのです。
(3)皇大神宮内宮(こうたいじんぐうないぐう、伊勢市宇治館町)
皇祖天照大御神をお祭りする「わが国二所の宗廟」の一つで、八大串呂起点のひとつ。天照大御神は、神風串呂の主宰神。
(4)二見浦夫婦岩(ふたみうらみょうといわ、三重県伊勢市二見町江)
三重県伊勢市二見町江にある二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)の境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)の事である。
二見浦(ふたみうら)は、ふたりの三浦(三浦芳聖と妻鈴)と解釈することもできます。
二見という地名は、伊勢神宮(内宮)から流れてくる五十鈴川が、二見を挟むように東西二手に分かれて伊勢湾に注いでいることから、「二水」に由来すると言われている。それが景勝地ゆえに二度も振り返る「二見」に変わり「倭姫命がその美しさに二度振り返りご覧になったため」と言われるようになった。「二見について(賓日館)より」
(5)佐久島(さくしま、愛知県西尾市一色町)
三浦佐久姫をあらわす地文。三浦芳聖降誕地・牧平大門は、享徳3年(1454年)、大宝天皇(三浦藤太夫)およびその皇后三浦佐久姫によって開基された住居であります。
佐久島は、その際、物心ともに三浦佐久姫の支援が大きかった事を表わします。牧平大門は文字通り、三浦佐久姫の島(しま)です。
(6)三浦芳聖降誕地(愛知県岡崎市牧平町大門)
三浦芳聖の降誕地である。
三浦家の系図によれば、天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代460年間の住居です。
三浦芳聖は、明治37年(1904年)9月17日午前5時40分、愛知県額田郡豊富村大字牧平字大門に、父三浦市次郎、母元子の第三男として誕生した。牧平大門は皇大神宮内宮から艮(東北)の方角に在る。ぴったり45度です。
三浦芳聖は、明治37年(1904年)9月17日~明治42年(1909年)3月までの約4年6ヶ月間をこの地で過ごした。三浦芳聖の幸福な揺籃期である。
大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝=天皇(または皇居)という意味と解釈します。
三浦家の系図によれば、牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇は、享徳3年(1454年)この地に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。爾来、三浦家累代450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地でもあります。
牧平大門については、下記を参照下さい。
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
桂城-野村鈴出生地-皇大神宮内宮-二見浦夫婦岩-佐久島-三浦芳聖降誕地
この串呂は、⛩皇大神宮内宮すなわち天照大御神が神霊界の仲人となって成立した、三浦芳聖(慶定)と野村鈴の結婚の神風串呂です。
愛知県岡崎市牧平町大門の三浦芳聖の降誕地と三重県度会郡南伊勢町村山の野村鈴の出生地とを結んだ線上に、奇しくも「皇大神宮内宮」と「二見浦夫婦岩」が串線する超神秘的な神風串呂です。
この神風串呂から、⛩皇大神宮内宮の大神すなわち天照大御神は、長年に亘って構築した神風串呂を解明し公表するための串呂台として、三浦芳聖をこの世に送り出した事が拝察されるのであります。
この実証の神風串呂は、串呂哲学への確信を深めるのに最適かと思います。三浦芳聖は「生涯の精魂を尽して串呂の解明に取組んだ」と述べています。
三浦芳聖が生涯をかけて串呂の解明に打ち込む事が出来たのは、こうした神秘的な串呂を解明する事で串呂に対する絶対の確信を持っていたからです。
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🟣串呂哲学研究ノートバックナンバー
🔴情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂や三浦芳聖伝の紹介記事のバックナンバーです。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
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