無題6

御調町公文と木曽岬町松永との神風串呂(№82)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「御調町公文と木曽岬町松永の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、実証の串呂線上の木曽岬町松永を鑑定する!

三重県桑名郡木曽岬町に「松永」という地名があります。松良天皇を表わす地名です。松永=まつなが=松良=松長です。同音による韻文といいます。

この「松永」は、多賀大社と松良天皇御陵との串線上の「松永」で、松良天皇御陵を通りますので、実証の串呂上の「松永」です。

「多賀大社」-「松永」-「天皇」(安城市)-「松良天皇御陵」

広島県尾道市御調町に公文(くもん)という地名があります。この御調町公文は、御調町(みつぎちょう)が、「おしらべ町」と読めるので調査鑑定元として「公文三串」に相当する重要串呂起点になっています。

今回は、この「松永」と重要串呂起点で、調査鑑定元の御調町「公文」とを結ぶ神風串呂をご紹介します。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、御調町公文と木曽岬町松永の神風串呂

三浦芳聖は、調査鑑定元の広島県尾道市御調町の「公文」と松良天皇を表わす木曽岬町の「松永」とを結ぶと、下記のようになると述べています。

松良天皇については、松良天皇(正良) を参照ください。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第六章

公文」(御調町)-「黒田」(総社市)-「佐山」(備前市)-「和田」(三木市)-「松永」(木曽岬町)-「天地」(川根本町)-「御園」(富士宮市)-「大登」(茂原市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』230頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「公文」-「黒田」-「佐山」-「和田」-「松永」-「天地」-「御園」-「大登」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)公文(くもん、広島県尾道市御調町)
公(おおやけ)の地文の意味。国や官にかかわる事-公営・公私・公式・公認・公務・公立/奉公・官公庁」。

「絶対に間違いないぞよと云う確証の地文」。広島県尾道市御調町は旧住所は御調郡御調町(みつぎ郡みつぎ町)と読むが、おしらべ郡おしらべ町とも読めるのである地点・場所を調査する為の重要串呂起点で国内最高の公文。

【参照】御調町公文と大明見の神風串呂(№72)

(2)黒田(くろた、岡山県総社市清音)
二黒土星生まれの母を表わす。松良天皇の御母・小室門院元子内親王が、興国2年(1341年)二黒土星生まれであることを表わす。

(3)佐山(さやま、岡山県備前市)
松良天皇のご幼名「佐山の宮」を表わす。

(4)和田(わだ、兵庫県三木市別所町)
松良天皇の符号。詳細は下記を参照ください。

【参照】和田について

(5)松永(まつなが、三重県桑名郡木曽岬町)

木曽岬松永
三重県桑名郡木曽岬町(地図マピオン)

松良天皇をあらわす串呂上の符号・諺文です。

【参照】多賀大社と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№29)
【参照】松永についての詳細はこちらを参照ください。

「松永」は、松が永遠に繁茂する事をも意味するようだ。事実、松良天皇御陵のすぐ東側の旧東海道には、国の天然記念物に指定されている「御油の松並木」が生い茂っている。神風串呂の的確なる事に畏敬の念を禁じえない。『ウィキペディア(Wikipedia)』御油の松並木

(6)天地(てんち、静岡県榛原郡川根本町千頭)
天皇の行在所を表わす地文。天皇を表わす地文。天が定めた地。天が用意した地。天は串呂の主宰神、天照大御神。

【参照】玉置山 伊勢の内宮 串すれば 我が日の本の 元ぞ知らるる(№27)
「⛩玉置山玉置神社」-「⛩内宮」-「三浦芳聖晩年の住所」-「天地

この地名は現在、地図検索では見つけることが困難です。下記は、「村影弥太郎の集落紀行」で見つけたもの。

重要な串呂であるため、串呂の主宰神が下記のような資料を用意してくださったものと感謝しています。(クリックで拡大します)

画像2

※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「井川」(昭和11.1?)を使用したものである
所在:川根本町千頭(せんず)
地形図:寸又峡温泉/井川
形態:山上の小平地に家屋が少数集まる
標高:約950m(大間(おおま)集落は約540m)
寸又(すまた)川の右岸、上西河内(かみにしごうち)・下西河内(しもにしごうち(ともに河川名)に挟まれた尾根上の、小さな山上の平坦地にある。古い地図では2軒ほどの建物があるが、このとき既に無人。天地平とも呼ばれる。

(7)御園(みその、静岡県富士宮市北山)
御園は皇室・皇族を表わす雅語です。御薗は御園に比べ草冠があるので格が上位で天皇・皇后を強調する場合の地文です。

(8)大登(おおのぼり、千葉県茂原市)

「だいとう・おおとう」と読み、「大統」(だいとう・おおとう)の諺文。大統は「皇統」を意味する。ここでは、松良天皇および嫡皇孫・三浦芳聖が、神武天皇以来の皇統を継承していることをあらわす。

【参照】大統を守り抜いた松良天皇の神風串呂(№81)
「加茂野宮」-「由良」-「河合」-「河合寺」-「神武天皇御陵」-「松良天皇御陵」-「大登


4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「公文」-「黒田」-「佐山」-「和田」-「松永」-「天地」-「御園」-「大登」

ご幼名を佐山の宮と申し上げ、母親(小室門院)は二黒土星生まれ、串呂の符号は和田である「松良天皇」は、神武天皇から続く天津日嗣の大統を継承された。

重要串呂起点で調査鑑定元の御調町公文から木曽岬町の「松永」を鑑定した結果、「黒田」「佐山」「和田」「天地」「御園」「大登」と、実に的確なる地文が串線しています。

実に神秘的であり驚異的です!これを奇跡と言わずして何と言うんでしょうか。まさに神業です!串呂主宰神のご苦心が偲ばれます。下記の神風串呂と併せて考察すると、さらに理解が深まります。

【参照】神武天皇御陵と松良天皇御陵の神風串呂(№81)
「加茂野宮」-「由良」-「河合」-「河合寺」-「神武天皇御陵」-「松良天皇御陵」-「大登

【参照】多賀大社と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№29)
「和田野」-「卍正善寺」-「和田」-「阿弥陀山」-「⛩多賀大社」-「松永」-「天皇」-「⛩上地八幡宮」-「卍願成寺」-「松良天皇御陵・三浦家墓地」-「三浦芳聖晩年の住所」-「和田辻」-「和田地区」


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🟡情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№81)
🟢次号(№83)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノート(鈴木超世志)
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