💟後醍醐天皇の神風串呂
🎀串呂哲学研究ノート 第226号
1、後醍醐天皇
神風串呂史観では、後醍醐天皇は、串呂主宰神(皇祖神)の串呂構築計画の青写真に基づき「吉野で崩御され吉野山に葬られた」となります。
串呂主宰神(皇祖神)は、カミカゼクシロによる皇統史を紡ぐために、後醍醐天皇御陵と吉野神宮を吉野山に設けられました。
戦争の勝者や、権力者によって隠蔽・破壊・改竄されてない「真の皇統史」が地文に秘められているのです。
後醍醐天皇遺詔(現代仮名遣いに改めました。)
主上苦しげなる御息を吐かせ給いて、妻子珍宝及王位、臨命終時不随者、是れ如来の金言にして、平生朕が心に有りし事なれば、秦の穆公が三良を埋み、始皇帝の宝玉を随えし事、一つも朕が心に取らず。只生々世々の妄念ともなるべきは、朝敵を悉く亡ぼして、四海を泰平せしめんと思う計りなり。朕則ち早世の後ちは、第七の宮を天子の位に即け奉って、賢士忠臣事を謀り、義貞義助が忠功を賞して、子孫不義の行ないなくば、股肱の臣として天下を鎮むべし。之を思う故に、玉骨はたとい南山の苔に埋るとも魂魄は常に北闕の天を望まんと思う。若し命を背き義を軽んぜば、君も継体の君に非ず、臣も忠烈の臣に非じ。」と、委細に綸言を残されて、左の御手に法華経の五の巻を持たせ給い、右の御手には御剣を按じて、八月十六日の丑の剋に、遂に崩御成りにけり。(「太平記」先帝崩御の事)
後醍醐天皇遺詔(現代語訳)
主上(後醍醐天皇)は苦しそうな息を吐かれて、「妻子、珍宝および王位は、霊界に持っていくことはできない、これは如来の金言であるが、平生私の心にあったことで、秦の穆公が三良詩を埋め、始皇帝が宝玉を(お墓に)持参したことは、私にはそのような思いは全然ない。ただ生々世々(永遠)に妄念となるであろうことは、朝敵を全て亡ぼして、四海(国内)を泰平せしめんと思うのみである。私の早世の後は、第七の宮を天子の位に即けまつり、賢士忠臣が相談し、(新田)義貞(脇屋)義助の忠功を褒めたたえ、子孫に不義の行いがなければ、股肱の臣として天下を鎮めなさい。こうしたことを思えば、玉骨はたとえ南山の苔に埋まるとも、魂魄は常に北闕の天(北にある平安京)を望もうと思う。もしこの命令に背き義を軽視するなら、君も継体の君ではなく、臣も忠烈の臣ではない!」と、委細に綸言を残されて、左手に法華経の五の巻を持たれ、右手を御剣において、八月十六日の丑の刻(午前2時頃)に、遂に崩御なされました。
第4章 後醍醐天皇は誰に譲位したか!
第5章 後醍醐天皇の世嗣を昭示する串呂
2、後醍醐天皇塔尾陵の神風串呂
後醍醐天皇塔尾陵は、奈良県吉野郡吉野町吉野山1024 、塔尾山椿花院如意輪寺裏山にある。天皇の墓陵としては唯一北向き(北面)の御陵である。
【参照】後醍醐天皇塔尾陵(宮内庁)
三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』に掲載されている後醍醐天皇塔尾陵の神風串呂をご紹介します。
(1)後醍醐天皇の嫡皇孫は三浦(天皇)である
【参照】後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂 (№15)
【参照】三浦について
(2)後醍醐天皇の授禅(譲位)を表わす神風串呂
(3)後醍醐天皇の嫡皇孫三浦家は天の岩戸篭り中
(4)後村上院の神風串呂
【参照】後村上院(義良)午年皇子説立証の神風串呂(№186)
(5)後醍醐天皇御陵と富士吉田市大明見との神風串呂
「後醍醐天皇御陵」―「一色」―「牧平町大門」—「和田」―「大明見」
【参照】「大明見」-地文学への招待 №7
(6)元伊勢内宮皇大神社と後醍醐天皇御陵との神風串呂
天照御魂大神 日降ヶ丘 降臨の謎を解く! 新串呂解明11-⛩元伊勢内宮と神武天皇 奉斎 ⛩橿原神宮の神風串呂
西山-⛩元伊勢内宮-初-位田町-⛩西山神社-⛩高座神社-日降ヶ丘-初香台-夕陽ケ丘-大和川第一緑地-大和川-⛩橿原神宮-御園-卍如意輪寺(後醍醐天皇塔尾御陵)
(7)日ノ御子(香美市)を発見!-後醍醐天皇塔尾陵と⛩️神龍八幡大明神の神風串呂
🤴日ノ御子-後醍醐天皇塔尾陵-吉良町-🗻富士山-⛩️神龍八幡大明神-大御神
3、吉野神宮の神風串呂
吉野神宮は、後醍醐天皇の御陵同様「北向き」の神社です。元の吉水神社ではなく現在地に新たに建立されたのは、神風串呂構築のためだと言えます。
(1)吉野神宮と高天原の神風串呂
【参照】吉野神宮の神風串呂(№225)
(2)吉野神宮と後村上院御陵との神風串呂
4、吉水神社の神風串呂
⛩吉水神社は、元南朝皇居(後醍醐天皇の行宮)で、後村上院御自作の後醍醐天皇像が奉安されています。
(1)吉水神社と三河御津府御所の神風串呂
⛩吉水神社と御津府御所の串呂には、真に神秘的な事に、愛媛県宇和島市吉田町の「南君」が串線していました。
【参照】三河御津府御所の神風串呂6-吉野町三串‐吉水神社‐南君‐開成‐御成(串哲300号)
🍀このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)について記述したものです。
神風串呂(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂(カミカゼクシロ)のことだったのです。
串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、「後醍醐天皇の神風串呂」を6本をご紹介し、詳しい解説をしています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。
神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
💌イエローハットの創業者であり、NPO法人「日本を美しくする会」の
相談役でもある鍵山秀三郎氏の言葉
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🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
著者 鈴木超世志のプロフィール
中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ74才。
串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。
著 書
「神風串呂入門」
「ここまで解った元伊勢伝承」
「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」
など多数
ブログ
串呂哲学研究ノート
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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