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💟第5話 尊良精神-聖人は死を安んずる!(天照大御神の子育て)

🟡尊良たかなが精神

尊良精神とは、『太平記』巻18の6「金崎城落つる事ならびに一宮御自害いちのみやごじがいその外官軍切腹ほかかんぐんせっぷくの事」に詳述されている「金崎城の落城に当たり、尊良親王が宮様でありながら、生き永らえる道を選ばず、将兵らと共に従容しょうようとして見事なご自害をとげられた事績にちなみ、「いつでも笑って死ねる精神」を言います。

🔴死を恐れない勇気を尊良精神と言うのだ!これが天照大御神の子育て計画の根幹であり、尊良親王の御自害は、その模範なのです!

🟡母元子から尊良精神を叩き込まれる

三浦芳聖は、この尊良親王の御事蹟を子守歌のように聞いて成長し、物心ついた数えの3才の時から、母・元子から必ず一日に一度は「そなたはいやしくも後醍醐天皇 第一皇子 尊良親王様の生まれ替わりであります。尊良親王様という方は、『太平記』にあるように、延元2年3月6日、越前敦賀えちぜんつるがの金ヶ崎城において、宮様でありながら従容しょうようとして壮烈無比そうれつむひのご最期さいごを遂げられ・・・」と、この尊良精神をたたきき込まれました。

また、年に一度は、母・元子の里(岡崎市明見町みょうけんちょう)にある虎洞山ことうざん(宮崎山みやざきざん)伝正院でんしょういんに連れて行かれ、尊良親王を陰祀いんしせる太子堂前で、この尊良精神を叩き込まれたのです。

虎洞山(宮崎山)伝正院太子堂

🟡聖人は死を安んず-外祖父和助翁の薫陶

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