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⛩内宮・⛩外宮・⛩白鬚神社の神風串呂(№46)

💟はじめに

このオンラインブックは、神皇正統家しんのうしょうとうけ極秘伝ごくひでん 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢もといせ伝承で皇祖神・天照大御神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護こうじょうしゅご結界けっかいのことだといわれて来ましたが、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

三浦芳聖師が生涯の精魂せいこんを込めて解明した串呂によって、元伊勢クシロとは、皇統正史こうとうせいしを我が国の国土に埋め込んだ地文学「神風串呂」であることが判明したのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問(皇霊学)が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、「⛩内宮ー⛩外宮ー⛩白鬚神社の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神・天照大御神からの神妙なる息吹を体感体得たいかんたいとくすることができるでしょう!

串呂主宰神かんろしゅさいしん(天照大御神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助てんゆうしんじょにより日本民族本来の力を発揮はっき出来るようになります。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に、無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


💟串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。



1、竜巻を起こす秘法と神風串呂

昭和31年(1956年)1月19日の京都新聞朝刊に、「三重海上に大龍巻 作業船四隻が被害」という見出しで、「18日午後1時30分ごろ、志摩郡大王崎7キロの海上に幅約1000メートル、高さ400メートルの龍巻が発生した」という記事が掲載されています。(詳細後述)

今から64年前の昭和31年1月18日は、三浦芳聖が、神界より「竜巻を起こす秘法」を伝法された「満5周年記念日」に当たったので、その伝法された「昭和26年1月18日午後1時35分」と同時刻に、「竜巻を起こす秘法」を厳修したというのです。(詳細後述)

そんな昔の話とおっしゃらないで下さいね。仏教の開祖「釈迦」は、今から約2500年前の人、キリスト教の開祖「イエス」は、今から約2000年前の人と言われています。

今回は、「⛩皇大神宮内宮」から、上記「竜巻現場」とを結ぶ串呂をご紹介します。


2、⛩内宮ー⛩外宮ー⛩白鬚神社の神風串呂

三浦芳聖は、「⛩皇大神宮内宮」(伊勢市)と「昭和31年1月18日の竜巻現場」(志摩市大王崎東南方7キロ海上)とを串呂すると次の様になると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第四章

⛩白鬚神社(小松白鬚大明神)」(高島市)-「⛩皇大神宮外宮」(伊勢市)-「⛩皇大神宮内宮」(伊勢市)-「竜巻現場」(大王崎東南方7キロ海上)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第四章170頁、現住所に改めた。)

【地文のみ掲載】

「⛩白鬚神社(小松白鬚大明神)」-「⛩皇大神宮外宮」-「⛩皇大神宮内宮」-「竜巻現場」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
南方の地文から始めます。
(1)竜巻現場(三重県志摩市大王町波切大王崎東南方7キロ海上)

大王崎
竜巻現場(大王崎東南方7キロ海上)(地図マピオン)

昭和31年1月18日午後1時30分ごろ、三重県志摩郡大王町の東南方7キロの海上に、幅約1000メートル、高さ約400メートルの大竜巻が起きた。

【参照】昭和31年1月18日の竜巻現場についての新聞記事。

三重海上に大龍巻 作業船四隻が被害
十八日午後一時三十分ごろ志摩郡大王崎七キロの海上を第八升栄丸(四十一トン―船籍和歌山市)が作業船正博丸(四トン―船籍大阪市)とともに作業船七隻を引航して航行中突然幅約一千メートル、高さ四百メートルの龍巻に遭遇しその余波でロープを切断、最後尾にいた作業船第一信和丸(四トン―船籍大阪市)が沈没、乗組員二名が片田海岸に泳ぎついたのを漁民が発見、救助したほか作業船一隻が大王崎灯台下で大破一隻が波切町米子浜に漂着、二隻が片田沖で座礁、ほかは波切港に無事入港した。
(京都新聞、昭和31年1月19日朝刊)

昭和31年1月18日、午後1時35分、三浦芳聖が、名鉄鳴海駅プラットフォームにて、竜巻を起こす秘法を厳修した所、上記のような大竜巻が起きた。

三浦芳聖は、昭和31年1月18日、午後1時35分、勤務先からの帰途、名鉄「鳴海駅」に於て、「小松天皇の符号が大和田であることを昭示する神風串呂の的確なる地点に、出来るだけ被害の無いように竜巻を起こし給え」と祈念して「竜巻を起こす秘法」を厳修した。すると、三重県志摩市大王町波切大王崎東南方7キロ海上に、幅約1000m、高さ約400mの大竜巻が起きた。この日は、三浦芳聖が三河八幡宮で神界より「竜巻を起こす秘法」を伝法された満5周年記念日で、その伝法された「昭和26年1月18日午後1時35分」と同時刻に秘法を厳修した。(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』170頁)

(2)⛩皇大神宮内宮(こうたいじんぐうないくう、伊勢市宇治館町)

皇祖天照大御神をお祭りする「わが国二所の宗廟」の一つで、八大串呂起点のひとつ。天照大御神は、神風串呂の主宰神。

詳細はこちらをご覧ください。

(3)⛩皇大神宮外宮(げくう、三重県伊勢市豊川町)

外宮・豊受大神宮(とようけだいじんぐう、とゆうけだいじんぐう)は、三重県伊勢市豊川町にある神社。伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つである。

一般には外宮(げくう)と呼ばれる。式内社(大社)。豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭りする神社。

『ウィキペディア(Wikipedia)』豊受大神宮

(4)⛩白鬚神社(しらひげじんじゃ、滋賀県高島市鵜川)

小松白鬚大明神


御祭神は、猿田彦命。延命長寿白鬚の神。別社名「白鬚大明神・比良明神」。重要串呂線上に入る神社の一つ。1955年(昭和30年)9月30日までは滋賀県滋賀郡小松村に在ったので、「小松白鬚大明神」と称していた。ユニークな湖中大鳥居で有名な神社である。

近江最古の大社で、社記によると垂仁天皇の25年(第11代・2000余年前)、皇女倭姫命が社殿を御創建(御再建とも)、天武天皇(第40代)の白鳳3年(675年)勅旨を以て「比良明神」の号を賜るとある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』白鬚神社

【参照】後醍醐天皇御陵と⛩金ヶ崎神宮の神風串呂(№37)
「親の谷」-「後醍醐天皇御陵」-「霊仙寺」-「⛩白鬚神社」-「⛩金崎神宮」

【参照】五皇一体の八幡大明神「三浦芳聖」立証の神風串呂(№45)
「大明神岬」-「大宮」-「三重」-「由良」-「⛩白鬚神社」-「⛩八幡神社」-「⛩尾張八幡宮」-「戸田家」-「卍萬松山大通寺薬師堂」-「⛩三河八幡宮」-「天王」-「三浦芳聖晩年の住所」-「三浦湾」

【参照】三浦芳聖降誕地(岡崎市牧平町)の氏神様は、この白鬚神社(白鬚大明神)を勧請して、祭礼の日には「小松白鬚大明神」という幟を立てたと述べている。下記を参照ください。三浦長太夫助廣の名前が出ている。

崇徳天皇御代、永承3年(1134)12月18日・近江国(志賀県)三井寺の住僧光件、近江国滋賀郡小松村鵜川より、白髭神社を当村深沼(暮田)に勧請し尊号を深沼大明神(白髭大明神の別号なり)と称し、神職を立て神領を納め同時に神宮寺を建てて自ら別当となる。後、明応2年(1493)3月・神宮寺、浄心阿闇梨(あじゃり)男川の辺りに遷座し奉る。後、男川の辺りは水音高く水難多き故に、明暦4年(1658)2月29日・三浦長太夫助廣、現今の所に遷座す。岡崎市と神社「豊富神社」

3、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「⛩白鬚神社(小松白鬚大明神)」-「⛩皇大神宮外宮」-「⛩皇大神宮内宮」-「竜巻現場」

「昭和31年1月18日の竜巻現場」「⛩皇大神宮内宮」「⛩皇大神宮外宮」「⛩白鬚神社」が一直方向線上に串線する神秘的な神風串呂で、湖中大鳥居で有名な⛩白鬚神社(小松白鬚大明神)の串呂上の霊格(重要性)が、いかなるものであるかを昭示しています。

この串呂は竜巻によって解明されましたので「竜巻ライン」とか「龍神ライン」と呼ぶことが出来ると思います。

三浦芳聖は、当時名誉講師として勤務中の「中部社会事業短期大学」からの帰途、名鉄「鳴海駅」のプラットフォームにて、「神皇正統第98代小松天皇の符号が大和田であることを昭示する神風串呂の的確なる地点に、出来るだけ被害の無いように、竜巻を起こし給え」と祈念して、

「竜巻を起こす秘法」を厳修した所、「⛩白鬚神社・小松白鬚大明神」「⛩外宮」「⛩皇大神宮内宮」を貫く、大王崎東南方7キロメートルの海上に、幅約1000m、高さ約400mの大竜巻が起きたというのです!

こうした秘法厳修も、「五皇一体の再現 八幡大明神 三浦芳聖と神風串呂」のデモンストレーションを兼ねて、串呂主宰神の設計された青写真に基づいて、計画通りに実施されたものと思います。

串呂主宰神・天照大御神様は、我が国の歴史上未曽有の国難の時に、日本民族を救済するために、五皇一体の再現 八幡大明神 三浦芳聖師 を派遣して下さったのですが、私たち日本民族は、そのチャンスを生かすことが出来なかったことを忘れてはならないと思います。

(チャンスを逃せばピンチです!)

三浦芳聖が帰幽して、今年(2020年)3月30日で満49年になりますが、いま我が国の置かれている状況は、74年も外国の軍隊に占領支配され、餓死者が出ている悲惨な状態で、亡国への坂道を転がり落ちているというほかありません。(宝の持ち腐れですね!)


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖師が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№45) 
🟢次号(№47)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノート(鈴木超世志)
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