松良天皇ご降誕地の神風串呂(№80)
この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。
串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
地名(地文)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、「松良天皇ご降誕地の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
1、正良親王、都留市法能にてご降誕
三浦芳聖は、松良天皇(正良)の、ご降誕地は、山梨県都留市法能であるとして、神風串呂で解明しています。
正良親王は、「正平十九年甲辰年八月八日御降誕」
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』225頁)
正平19年は西暦1364年です。
三輪義熈『長慶天皇紀略』によると、「三月十日、富士勝山谷の玉川の宮に於て、皇子誕生。母は、皇太后小室門院。其産室を、宝野の宮と称す。皇子を正良親王と名づけさせ給ふ。」と出ています。
(三輪義熈『長慶天皇紀略』62頁、旧漢字は新字体に改めました。)
天授六庚申年は西暦1380年です。小室門院は興国2年(1341年)の生れですから、正良親王は、正平19年(1364年)生まれの方が正しいように思います。
この玉川の宮(都留市玉川)と都留市法能は隣同士の町ですので、大した違いはありませんが、串呂では法能だというのです。玉川で生まれて法能で育ったのかも知れません。
今回は、松良天皇の降誕地の神風串呂を二本ご紹介します。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、松良天皇ご降誕地の神風串呂
三浦芳聖は、下記二本の松良天皇降誕地「法能」の神風串呂を解明していますので、ご紹介します。「正吉・まさよし」は松良天皇の諱(いみな)「正良・まさよし」の同音による韻文です。
松良天皇については、松良天皇(正良) (№79)を参照ください。
(1)真庭市正吉と長島町正家との神風串呂
「大金」(浜田市)-「神代」(真庭市)-「正吉」(真庭市)-「三浦」(津山市)-「公文」(宍粟市)-「和田」(宍粟市)-「大内」(福知山市)-「宮」(福知山市)-「正家」(恵那市)-「法能」(都留市)
(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』227頁。現住所に改め研究の成果を盛り込んだ。)
【地文のみ掲載】
「大金」-「神代」-「正吉」-「三浦」-「公文」-「和田」-「大内」-「宮」-「正家」-「法能」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
ア、大金町(おおがねちょう、島根県浜田市)
六白金星の大物(皇子)を表わす。松良天皇は、六白金星甲辰年生まれ。
町内に「⛩王子神社」があります。
イ、神代(こうじろ、岡山県真庭市)
「かみよ」と読めるので、神代の神話の如くに神秘的な事を表わす。
古事記や日本書紀の神代の巻を思わせるような神秘的なことをいう。この串呂の存在自体が神代である。重要な串呂であることを昭示する地文。
大本教のお筆先に「神代の姿備はりて・・・」とあります。
【参照】大本教お筆先(大正8年1月27日)
ウ、正吉(まさよし、岡山県真庭市)
松良天皇の諱(いみな)正良(まさよし、まさなが)を表わす。
「正平十九年甲辰年八月八日御降誕」(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』225頁)正平19年は西暦1364年です。
三輪義熈『長慶天皇紀略』によると、天授六庚申年「三月十日、富士勝山谷の玉川の宮に於て、皇子誕生。母は、皇太后小室門院。其産室を、宝野の宮と称す。皇子を正良親王と名づけさせ給ふ。」と出ています。(三輪義熈『長慶天皇紀略』62頁、旧漢字は新字体に改めました。)
天授六庚申年は西暦1380年です。小室門院は興国2年(1341)の生れですから、正良親王は、正平19年(1364)生まれの方が正しいように思います。
エ、三浦(岡山県津山市)
「三浦」は三浦氏を表わすだけでなく、三浦皇統家を表わす串呂哲学上の符号です。この津山市の「三浦」には、「三浦八幡神社」が有ります。
オ、公文(くもん、兵庫県宍粟市一宮町)
公(おおやけ)の地文の意味。絶対に間違いないぞよと云う確証の地文。
カ、和田(わだ、兵庫県宍粟市一宮町)
松良天皇の符号。詳細は下記を参照ください
【参照】和田について
キ、大内(おおち、京都府福知山市)
大内裏(だいだいり)の略。おおうち。内裏。御所。皇居。大内山。
ク、宮(みや、京都府福知山市)
宮様を表わす。小松天皇の皇子、正良親王を表わす。都留市法能が宮(御所)であったことを表わす。
ケ、正家(しょうげ、岐阜県恵那市長島町)
長島町(おさしま町)正家は、神皇正統家を表わす。長(おさ)は長者(資産があって徳をそなえた者)を表わす。長=上(かみ)=神。
また、諱(いみな)の「良」を「よし・なが」の両方に読むことから、よしなが(吉永・由良)が、神皇正統家を表わす符号であることや、「よし・なが」と読める地文は、神皇正統家を表わす符号と気付きました。
長島は「ながしま」と読めるので、長島町正家は、神皇正統家を表わすと気付きました。
コ、法能(ほうのう、山梨県都留市)
松良天皇(正良親王)の降誕地。あるいは、育った場所。正良親王は、玉川の宮に於てご降誕という記録があるが、この玉川の宮が、都留市玉川にあったか、都留市法能にあったかは不明。都留市玉川と都留市法能は、隣接している。
【この串呂の解釈】
「大金」-「神代」-「正吉」-「三浦」-「公文」-「和田」-「大内」-「宮」-「正家」-「法能」
(2)日出町大神と都留市法能の神風串呂
「大神」(日出町)-「大内」(かがわ市)-「神武」(亀山市)-「産場」(設楽町)-「法能」(都留市)-「⛩鹿島神宮」(鹿嶋市)
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』227頁。現住所に改めた。)
【地文のみ掲載】
「大神」-「大内」-「神武」-「産場」-「法能」-「⛩鹿島神宮」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
ア、大神(おおが、大分県速見郡日出町)
日出町大神は、天津日嗣の天皇としてお生まれになったことを表わす。
イ、大内(おおち、香川県東かがわ市)
大内裏(だいだいり)の略。おおうち。内裏。御所。皇居。大内山。
ウ、神武(じんむ、三重県亀山市加太)
神武天皇を表わす。松良天皇は、神武天皇の大統を継承する神皇正統の天皇であることを昭示する。
また、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖の関係もあります。
エ、産場(うみば、愛知県北設楽郡設楽町)廃村により消滅したようです。
出産の場所、降誕地を表わす地文。
オ、法能(ほうのう、山梨県都留市)
松良天皇(正良親王)の降誕地。あるいは、育った場所。正良親王は、玉川の宮に於てご降誕という記録があるが、この玉川の宮が、都留市玉川にあったか、都留市法能にあったかは不明。都留市玉川と都留市法能は、隣接している。
カ、鹿島神宮(かしまじんぐう、茨城県鹿嶋市宮下)
日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する武甕槌神(建御雷神、タケミカヅチ)を祭神とする神社。この串呂の守護神。神武天皇と関係が深い。
【参照】『ウィキペディア』鹿島神宮
【この串呂の解釈】
「大神」-「大内」-「神武」-「産場」-「法能」-「⛩鹿島神宮」
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
🟠「大金」-「神代」-「正吉」-「三浦」-「公文」-「和田」-「大内」-「宮」-「正家」-「法能」
🟠「大神」-「大内」-「神武」-「産場」-「法能」-「⛩鹿島神宮」
『長慶天皇紀略』に記載されている「正良親王」が法能(玉川)で、降誕されたことが、地文に昭示されている、実に神秘的な神風串呂で、串呂主宰神のご苦心が偲ばれます。
どちらの串呂にも「大内」という御所を表わす地名が存在しています。法能は、松良天皇(正良)の降誕地であると同時に、皇居であったことを昭示していると思います。
🔴バックナンバー(総合)
🟡情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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