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💟三宅島の噴火で大戦を予知-三浦芳聖伝 33
🎀串呂哲学研究ノート 第153号
初めに
これは日本神界の悠久荘厳かつ遠大なる神計りに基づいて、この世に降誕した日本人、三浦芳聖の伝記である。
三浦芳聖は、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神として神皇正統家に降誕したことを、神風串呂(串呂哲学)を解明することで証明した。
串呂哲学の創始者の伝記に相応しく、三浦芳聖が解明した神風串呂を織り交ぜて書き記す事とします。
🍀三宅島の噴火で大戦を予知
1、進言中に三宅島雄山が噴火
芳聖が軽井沢の近衛家の山荘で、近衛文麿公の諮問に答えて、国難打開の秘策を進言していた昭和15年(1940年)7月12日の夕刻、何と三宅島雄山が噴火したのです。 明治7年(1874年)の噴火以来66年ぶりの大噴火でした。
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7月12日北東山腹より噴火、溶岩流出。14日から山頂噴火。多量の火山灰、火山弾放出。死者11名、負傷20名、牛の被害35頭、全壊・焼失家屋24棟、その他被害大。(三宅島噴火の歴史/気象庁)
2、世界大戦勃発を察知
当時はテレビは無かったので、新聞の号外が軽井沢に届いたのですが、芳聖は、直感で「大戦勃発」を察知し、近衛公に5万分の1の地図を、北は福島県から、南は三宅島迄の分を買って貰い、繋いで貼り合わせ、
「大戦防」(だいせんぼう・茨城県結城市大字武井)から、噴火のあった「三宅島雄山」(みやけじまおやま・東京都三宅村)へ串呂してみました。
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芳聖は、この串呂は、その時初めて引いたのですが、何とその線上に「逆面町」(さかづら町・栃木県宇都宮市)が串呂していました。
即ち「大戦防の逆面が現れる」、言いかえると「大戦に巻き込まれるぞ!」という神風串呂(大戦防ー逆面)だったので驚きを隠せませんでした。
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*コラム・超世志のここだけの話
戦前、芳聖が串呂の存在を開示したのは、この時が初めてでした。串呂の研究は極秘で進めており、家族にも話した事は無かったが、大戦を霊示する串呂であった為、国家の非常時である事を理由に開示したのです。という事は、三浦家が後醍醐天皇の嫡孫家である事も打明けたと思います。
3、大戦防―逆面の神風串呂
芳聖は、近衛文麿公に日本を救う打開策を進言中に、三宅島の噴火でお示しがあった串呂ですので、これは重大な霊示だと直感し、詳しく調べたところ、南方から、
「三宅島雄山」(東京都三宅村)、「池田」(三浦市南下浦町松輪)、「池田町」(横須賀市)、昭和(川崎市川崎区)、「皇居」のしかも御座所の位置を通り、「大戦防」、「逆面町」を串呂していたので芳聖は愕然として大衝撃を受けたのでした。
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即ち、南方から
「三宅島雄山」ー「池田」ー「池田町」ー「昭和」ー「皇居」ー「大戦防」ー「逆面町」―「東城南」
🔴昭和29年(1954年)7月1日、この線上に庄和町(埼玉県春日部市西金野井)が加わりました。ー「皇居」ー「庄和町」ー「大戦防」ー「逆面町」
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昭和帝の御代、大戦が勃発する事を昭示された神風串呂と解明されました。池田二串の「確定立証」の神風串呂です。
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4、世界大戦勃発を警告されていた近衛公
昭和15年(1940)7月、第二次近衛内閣を組閣する直前に、近衛文麿公の耳には、近々、世界大戦が勃発するという警告が串呂主宰神(日本神界)に依って為されていたという事です。
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近衛文麿公が、この警告をどこまで信じたかは分かりませんが、串呂主宰神(日本神界)は、芳聖を通して、我が国が昭和帝の御代、大戦に巻き込まれる運命にある事を「近衛文麿公」に事前に警告されていたという事です。
5、皇居遷都を進言するも
芳聖は、この串呂線上に「東上」という地名が通っていたので、近衛公に東條(第1次近衛内閣の陸軍大臣)を首相にしてはなりません。東條が首相になったら、現在の支那事変が拡大して遂には米英ソ支一連の敵と戦う大戦となる事は必定であると警告し、
更に思い切って、このままでは、世界大戦が勃発するので「皇居遷都」を提唱しましたが、近衛公は言下に「それは絶対に不可能な事です」と断乎として言われたそうです。
芳聖は、それなら、尚の事、先ほど進言した「秘策」を断行して下さいと重ねて進言し帰宅しました。
日本を救う起死回生の秘策
(1)最悪の日米戦争を避けるため、国際社会の意表をついて、中国から自主的に全面撤退する。
(2)ただし、ただでは出来ないので、近衛公始めとする時の為政者が「陛下と国民と国際社会」の前に責任を取り、位階・勲等・財産その他の特権を全て返上し、素っ裸になって「昭和維新」を断行する。
こうして、芳聖が日本を救う起死回生の秘策を授けたにも拘らず、近衛公を取り巻く愚昧の為政者らによって、日本はずるずると「亡国への道」をひた走りに走るのでした。
芳聖の予言通り、三宅島雄山爆発から1年2ヶ月後の昭和16年10月、東條内閣が出現し、12月8日には大東亜戦争勃発となりました。正に大戦防・逆面の串呂でお示しの通り、昭和帝の御代、世界大戦が勃発してしまいました。
残念ながら、この神界からの警告を真摯に受け止める事の出来なかった近衛文麿公が、その後どのような事になったかは、前回の「三浦芳聖伝 32、軽井沢で近衛文麿公と面談(№152)」で、お話し申し上げた通りです。
6、参考資料(三浦芳聖の著書より)
然るにたまたま其の時(昭和十五年七月)「三宅島雄山」が爆発致しました。その号外が軽井沢に於ても配達されまして、秘書がその号外を近衛公のところへ持って来たのでありますが、私は直感をして
これはきっと大戦が勃発する事を御神事あらせられたのではないか?
と思いまして、曾って「田中光顕伯」に極秘伝の「三浦皇統家の記録」は断じて終生公表しませんと誓約したが、
今現在は「宇宙のあらん限り絶対に千古不磨の欽定憲法」すらも、此の儘推移すれば、危殆にも瀕し兼ねない国家の非常重大な時であるから、「田中光顕伯」との誓約を破って、近衛公に「神風串呂」をやって見せても、天地神明は必ずお許し下さると確信して、
串呂の研究は大正二年以来曾って一度も怠った事はありませんから、研究している間に、茨城県結城市に「大戦防」と云う地名のある事を知っていましたから、此の大戦を防ぐ法を神風串呂で知って、近衛公に進言したいと存じまして、
「ちょっと地図を買い求めて貰いたい」と申し上げて、早速五万分の一の地図を、上は福島県から、下は三宅島迄の分を買って貰って、之を繋ぎ併せて「大戦防」から「三宅島雄山」へ串呂致しますと、この串呂はその時初めて引いたのであります。
私は此の時まで、曾って一度も「皇居」を串呂に掛けた事はありません。
「大日本天皇在らせられずして、全人類は一分間一秒時間も生き得られな
い。明徳太陽に侔(ひと)しで、太陽なくして全宇宙は死滅すると全く同
じで、欽定憲法に堂々と、大日本帝国天皇は戦を宣し和を講ず、と明文が
あっても明治天皇は、天皇が戦を宣する事はあり得ない、と深く天皇の御
本質を體得になっているから、過去の日清、日露の両戦争に於ても、大日
本帝国皇帝は・・・、と宣戦の詔勅に宣わせられている」
だから私は戦前に於ては不敬に当るからと一度も「皇居」を串呂に掛けた事はありませんでした。
然るに、「大戦防」と「三宅島雄山」とを串呂致しますると、その上方に栃木県河内郡河内村に「逆面」即ち「大戦を防ぐ逆の面が現れてくる」言い替えれば「大戦を勃発させる」と云う地文があります。
而して線上、埼玉県北葛飾郡の「庄和村」の中心を串呂しています。之は「昭和」の諺文であります。而して其の次は、驚いた事には、東京都麹町区千代田の「皇居」の而も御座所の位置をピシンと串呂しています。
此の時私は愕然として大衝撃を感じました。而して川崎の昭和町をピシンと串呂し、次に横須賀市の「池田」、次に三浦市の「池田」を串呂して、次が「三宅島雄山」であります。即ち
「逆面」ー「大戦防」ー「庄和村」ー「皇居」ー「昭和」ー「池田」ー
「池田」ー「三宅島雄山」
「昭和天皇の御代大戦防の逆面が現れる」と云うことを昭示し給う神風串呂であります。
此の時私は「近衛文麿公」随分思い切って「皇居遷都」を提唱致しましたが、之は言下に「それは絶対に不可能の事です」と断乎として言われましたから、私は、それなら尚更のこと「支那事変」を終結せしめる為に、私の申し上げた事を断行して下さい、と申し上げてお別れして皈宅致しました。
然るにそれから一ヶ年五ヶ月後の昭和十六年十二月八日には
天佑を保有し萬世一系の宝祚を践める、大日本帝国天皇は、米國及び英国
に対し戦を宣す(中略)朕は忠誠勇武なる汝臣民に信倚し祖宗の偉業を恢
弘し、速に禍根をサン除して東亜永遠の平和を確立し以て帝国の光栄を保
全せん事を期す。
と大戦の証書が渙発され、遂に大戦防の逆面が出現し、私は今更ながら「神風串呂」の必然性を痛感致しました。(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』序文59~60頁/1970、読み易くする為、改行、句点を補う等、編集致しました事をお断りします。)
7、大戦防・逆面・皇居の神風串呂(№154)
昭和15年7月12日夕刻、三宅島雄山の噴火で大戦勃発を予知した三浦芳聖は、「大戦防」から「三宅島雄山」へ串呂してみると、「大戦防の逆面が現れる」という神風串呂(三宅島ー皇居ー大戦防ー逆面)だったので、驚きを隠せませんでした。
🍀祈り
全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします!
💌イエローハットの創業者であり、NPO法人「日本を美しくする会」の
相談役でもある鍵山秀三郎氏の言葉
国民一人ひとりが、自分にとって、もしくは誰にとってよいかどうかではなく、本当に何が正しいかどうかを考えて行動するようになれば、どんな問題も解決できるでしょう。
あなた方の議論はすべてどちらが正しいかという議論ばかりで、何が正しいかという議論を聞いたことがない。泥棒と詐欺師どちらが正しいかという議論をして、どちらが勝ったという結論を聞かされても、私から見ると意味がない。
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🟡バックナンバー(総合)
🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
著者 鈴木超世志のプロフィール
中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ74才。
串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。
著 書
「神風串呂入門」
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「開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道」
「天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編」
など多数
ブログ
串呂哲学研究ノート
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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