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南朝正統皇位継承論17-松良天皇の最期
松良天皇の最期
1、五井御坊塚に納む
松良天皇の最後に関する資料は、青木文献に「応永24(1417)年5月、御坊に崩ず」「五井御坊塚に納む」と記録されています。『長慶天皇御聖蹟と東三河の吉野朝臣』より、松良天皇に関係した箇所を抜粋します。
青木文献(別名千種文献)とは、愛知県豊川市御油町欠間の中西家に伝わる、南朝忠臣千種忠顕の子孫「青木平馬」が、応永30年(1423年)と31年(1424年)に書き残した覚え書のことです。(三河吉野朝の研究書『長慶天皇御聖蹟と東三河の吉野朝臣』中西久次郎、家田富貴男・1940年)
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寛成親王の皇子松良親王は三州五井美吉原に落ち給う。薬師寺建立の開基なり。成龍と号し給う。成龍は応永二十四年五月、御坊に崩ず。
寛成親王皇子松良親王、三洲五井美吉原落給、薬師寺建立開基成、成龍号給、成龍、応永二十四年五月、御坊崩
松良親王 五井御坊塚に納む 松良親王 五井御坊塚ニ納ム
御坊(おんぼう)とは松良天皇の御陵墓のことです。薬師寺のお坊さんだったので、松良天皇の御陵墓のことを御坊塚と呼んだのです。この御坊塚は、愛知県豊川市御油町筑前ヶ谷にあります。北側に天王川が流れています。
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松良天皇は、萬松山大通寺薬師堂に隠棲中の応永24(1417)年5月24日を最後に行方不明となり、いつまで経っても帰って来られないので
大宝天皇により、ひそかに葬礼が取り行われ、御坊塚に遺品を納めて御陵とし五輪の塔が建立されました。
この松良天皇の御陵は土地の所有者であった細井氏が管理していましたが、昭和時代に三浦家の墓地となりました。お社があり、また榎の大樹がそびえています。
松良天皇の最期について、三浦芳聖の著書には下記の様に記されています。
松良天皇は、応永24〔1417〕年5月24日萬松山大通寺薬師堂に於て崩御されたとなっていますが、之は表向きのことで実際は平原(愛知県西尾市)の最厳寺に行かれて此処で捕らえられ、三河高浜で暗殺され衣浦湾に投ぜられたのであります。これが即ち、「神武天皇」の大熊が顕われてにわかにかくりましたことであります。
(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』250頁要約、〔 〕編集者)
大宝山西明寺(豊川市八幡町寺前)に「明光院成徳大士」の位牌が残っていましたが、現在は別の所に移されました。
2、足利義持、賞金付きで宮方を捜索
三輪義凞『長慶天皇紀略』には、応永11(1404)年3月、足利義持が、南朝方の皇胤や宮方の遺児を賞金付きで探索していることや、関東管領が富士谷の三浦氏等の領地を没収し宝物・書類等を焼却した事が記されています。
応永十一年三月、足利将軍義持、東西両管領に命じ、南朝の皇胤、並に楠新両家を初め、諸国宮方の遺孼〔いげつ〕を索めしめ、且つ贖ふに千金の賞を以てせり。是に於て、関東管領足利満兼、先づ富士谷を一掃せむとして、目代千葉兼胤をして、富士谷を検按せしむ。兼胤、富士谷に来り、小室城宮下の舘に臨み、昔源頼朝より、三浦氏等に賜はりし富士十二郷の領地、及び福仙寺の寺領並に富士神宮の神領を官没し、且つ各地頭、及び社寺の宝物・書類等を一括して城前なる龍の河原に於て、悉く焼棄してけり。
(三輪義凞著『長慶天皇紀略』110頁)
3、松良天皇終焉の地「三州高浜」の神風串呂
三浦芳聖は、松良天皇の最後について、神武天皇の御東征時代の故事になぞらえて三河高浜で「大熊があらわれた」とし、霊感神示で察知した大宝天皇が半田市の「神前神社」に「神武天皇」として隠祀したと述べています。
古事記に「神倭伊波礼毘古命(神武天皇の事)、其処より廻(めぐり)り幸(いでま)して、熊野村に到(い)でませる時に、大きなる熊山より出でて、即ち失せぬ。爾(ここ)に神倭伊波礼毘古命、倏忽(にわか)にをえまし、また御軍(みいくさ)皆をえて、伏(こや)しき。」とある。
長野県諏訪市の「大熊」から三重県熊野市の神武天皇が大熊があらわれて、倏忽(にわか)にをえました所へ串呂すると、松良天皇の聖龍法皇が、足利逆臣の一類に暗殺されて衣浦湾に投ぜられた処をピシンと串呂し、又神武天皇を奉斎する「神前神社」もピシンと串呂しています。之を霊感神示で知られた、「三浦皇統家第五代目大宝天皇」(御名美良・後称三浦藤太夫)には現在の半田市亀崎町「神前神社」へ御聖父「松良天皇」を「神武天皇」として隠祀せられました。
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熊野市ー⛩神前神社(愛知県半田市)ー高浜市ー大熊(長野県諏訪市)
(1)熊野市(くまのし、三重県)
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往昔神武天皇の時代に大熊が現われた熊野を表わす所。
(2)⛩神前神社(かみさき神社、愛・半田市亀崎町)
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神武天皇奉斎の神社。【参照】『ウィキペディア』神前神社
(3)高浜市(たかはまし、愛知県)
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松良天皇の終焉の地と思われるところ。当時は三州高浜。
大東亜戦争中の或る時、大政翼賛会愛知県支部の錬成部長であった三浦芳聖が、愛知県西尾市平原町の最厳寺で宿泊錬成中、夜中に霊夢を見て目が覚めると「背中に刃物で抉られたような傷」が出来ていて、膿が出て治癒するのにかなりの期間を要としたと述べています。
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また戦後になって、三浦芳聖が愛知県高浜支部に出張中、地元の老婦人Kさんが、家に伝えられた古文書を持参して「何が書いてあるか見てほしい」という依頼があったので見ると、
その古文書には、「南朝の皇子を殺害したる功により士分に取立てられた」という家門の由緒が書かれてあり、松良天皇は、愛知県西尾市平原町の最厳寺に出張中、高浜市におびき出されて、衣浦湾に於て殺害されたことが判明したのです。地元の老婦人Kさんの出現により家紋まで判明しています。
三浦芳聖は、その後、霊示と神風串呂で解明し、「松良天皇は、平原の最厳寺に行かれて此処で捕らえられ、三河高浜で暗殺され衣浦湾に投ぜられたのであります。」と述べています。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』250頁要約)
(4)大熊(おおくま、長野県諏訪市湖南)
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大熊とは、神武天皇の御東征時代の故事になぞらえて松良天皇に「危害を加えた賊徒」の意味だと思います。
三浦芳聖が、松良天皇の最後について、神武天皇の御東征時代の故事になぞらえて、この神風串呂を解明し公表したのは、松良天皇は「神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神」の一人である事に関連していると思います。
4、松良天皇御陵の神風串呂
松良天皇御陵の神風串呂は下記をご覧下さい。
💟串呂文庫
🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
🟡串呂文庫 コピーサービスのお知らせ 串呂哲学研究会
🟣串呂哲学研究ノートバックナンバー
🔴情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂や三浦芳聖伝の紹介記事のバックナンバーです。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
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