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三浦芳聖伝 47、小室門院の浄霊に成功(串呂哲学研究ノート№169)
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昭和34年頃に建立された小室門院御陵のお社
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』186-2)
小室門院の浄霊に成功
1、妙覚塚を探索・発見
三浦芳聖は、昭和23年(1948年)9月、豊川市在住の門人一名と共に、島田市の門人成川彰茂家に一泊して、翌日、成川彰茂、成川幸紀知兄弟と、その叔父・成川豊三郎氏の一行5名で、8月3日の松島家での祭祀中に霊眼に映じた「塚」を探すために出発しました。
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(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』179頁)
「8月3日の松島家での祭祀」については、「三浦芳聖伝 46、小室門院の御陵発見(№168)」を参照ください。
以下、三浦芳聖の著書を要約・編集したものです。主語は三浦芳聖です。
昭和23年9月「妙覚塚」を発見!
国鉄金谷駅から「相良」行きのバスに乗り、45分後に相良町「和田」部落で下車、数町歩いて大寄町部ヶ谷(へがや)部落に到着し、部落民に尋ねると、すぐ北方の山が「大門山」といい、
昔高貴な方が「落人」となって住んでいた伝説があると聞き、早速「大門山」に向かって行くと、にわかに「驟雨」となり、雨具の無い5名はずぶぬれとなりました。
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逃げるように部ヶ谷部落に戻り、杉山という農家に駆け込んで雨宿りをしました。そこは70有余歳の老夫婦のみの家で、着物を乾かし、お茶を沸かしてもらい弁当を取りました。
にわかに雨が降って来るようでは「大門山」ではない。そこは住んでいたとしても御陵はそこではないと思い、地図を入念に調べ、該当箇所について、老婆に尋ねると、
老婆は、子供の時、祖母に連れられて「妙覚塚」に参ったことがあることを思い出し、該当箇所は「妙覚塚」ではないかと云われたとき、全身にビーッと電撃的な霊感が有り雨が小止みになりました。
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「妙覚塚」といえば、昭和9年に亡くなった母の戒名が「圓室妙覚大姉」であり、「妙覚塚」は松良天皇の御母小室門院元子内親王の御陵に間違いないと思い、遂に小室門院元子内親王の御陵が発見できるかと感無量でした。
そこで小雨の降る中、元気よく出かけていくと不思議に雨は止み、空の一角に青空が出ましたので、これに勢いを得て山を登って行くと比較的大幅の道路があり、この時青空が大きく出ました。
道路に沿って約5町(550m)ほど西方へ霊感と天候で探って行くと、ちょっとした松林があり、その中に塚を望見し、正にこれなりと、この林の中へ入らんとした時、
全身に電撃的霊感を受け、霊眼に物凄い大蛇の姿を見たので、吃驚して道路へ後戻りし、天候を見ると丁度「龍」が出たような物凄い黒雲が低く走っていました。
「今日は時間なきため、いずれあらためて浄化に参ります」と申して、終バスに間に合うように急ぎ立ち返りました。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』180頁~184頁及び『神風串呂第九輯』56~63頁要約・編集)
2、小室門院の浄霊に成功
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小室門院御陵での祭祀の様子、神主が三浦芳聖、昭和24年~33年頃
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』186-2)
以下、三浦芳聖の著書を要約・編集したものです。主語は三浦芳聖です。
(1)昭和23年9月、大雨で川が氾濫
数日後、門人18名を随行せしめて、祭祀の準備をして一点雲なき快晴の日に、午前11時過ぎに「妙覚塚」に到着した所、先日と同様の霊感あり、一天にわかにかき曇り暗雲低迷して大驟雨となり、ずぶ濡れとなってほうほうの態で山を下りました。
バス停で午後3時の終バスを待ちましたが、驟雨で川が氾濫して道路が水で覆われたので、バスは迂回したとのことで、困っていると村の組合の幹部「増田一郎」氏が車で金谷駅まで運んでくれました。
(2)昭和23年9月、快晴下で浄霊を誓約
三浦芳聖は、何としても「妙覚塚」を浄化したいと思い、9月中に別の門人2名を随行せしめて、おもむろに慰霊をし、必ず8日間、八八・六十四回の特別大祓いをして浄化して差し上げることを誓約して、その日は実に和やかな快晴の天候の中、下山しました。
大寄部落の増田一郎宅を訪問し、先般の霊を述べた上、10月中に八日間、毎日朝から夕刻まで、時によっては徹夜で「妙覚塚」の霊を浄化したいと思うから宿泊させて頂いて食事の準備もして頂きたいと依頼しました。
増田一郎が、この部落の人々も、あの松林に這入って松の落葉を拾ってもオコリを震うといって困っているから、浄化して頂けるなら喜んで協力しますと言って下さったので、その日は実に嬉しく帰宅しました。
(3)昭和23年10月、浄霊に成功
昭和23年10月、古澤禎康外数名の門人を随行せしめて4日間、増田家に泊めて頂いて特別大祓いを厳修致しました(4泊5日)。
初めの3日間は大雨が降り続く中を天幕を張って、昼夜兼行で特別大祓い神勅の祭祀を厳修し、4日目から秋晴れの天気となり、大蛇の姿であった霊が段々浄化して、最後には十二単衣の実に立派な皇后のお姿になられました。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』180頁~184頁要約、及び『神風串呂第九輯』56~63頁)
3、小室門院元子内親王について
小室門院元子内親王については、下記を参照ください。
串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)
情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖の伝記及び三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
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神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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