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💟串呂の精度「地文とする許容範囲について」(№380)
天地神明(串呂主宰神)のお計らいにより、WEB地図で細部が分かるようになったため、国土地理院発行の地図で解明していた時代に比べると、串呂の研究が大きく進展しました。
研究中に思う事は、串線する地名を串呂地文として取り上げる範囲です。
この地名を串呂地文として取り上げる範囲を「串呂の精度(地文とする許容範囲)」と呼んでいます。
🔴地図の縮尺によって串呂する地文は変わる
この串呂の精度(地文とする許容範囲)については、「串呂哲学とは(1)串呂哲学概説」で下記のように述べました。
・・・・・引用ここから
国土地理院発行の20万分の一の地図は、方角が正しい「メルカトール図法」で作製されている。メルカトール図法(角度が正しい図法)は、地球を縦に置いた円筒に投影し、その円筒を開いたもの。経線と子午線が地図上でも直交しているのが特徴。
国土地理院の地図に使用されているのはこのバリエーシヨンのユニバーサル・横メルカトール図法(横に置いた円筒を使用し6度単位で処理する)である。
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串呂地文は、物に譬えると串団子の団子の様なものです。団子には面積もあれば体積もあります。面積は集落の地域的広がりであり、体積は地下に眠る遺跡であり地誌地歴です。串のとおっている所だけが串呂地文ではないということです。
実際、地図の縮尺によって串呂する地文は変わります。(5万分の1の地図では串呂していない地文が、20万分の1の地図では串呂線上にある場合などです。100万分の1の地図上での1ミリは実際の1kmに当ります。)
また、太平洋プレートが日本列島の下に沈み込む関係で、日本列島が隆起したり沈降したり湾曲したりするので、時代によって位置が少しずれる場合もあります。
🔴この世は、高次元世界が投影された三次元の世界ですので神風串呂の基本は国土地理院発行の20万分の1の地図の精度を以て解明されて来ました。
レイラインで検索すると、下記のような画像が出て参ります。この地図の縮尺は一体どれくらいかと言いますと、200万分の1~500万分の1ではないかと思います。
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この地図が300万分の1の地図であると仮定しますと、地図上で幅1mmのレイラインは、実際は約3km幅の大幹線となります。
神風串呂では、「この世は、高次元世界が投影された三次元の世界ですので神風串呂の基本は国土地理院発行の20万分の1の地図の精度を以て解明されて来ました。」が、上記のレイラインなどを参考にしますと、
串呂の精度(地文とする許容範囲)は、
(1)100万分の1の地図の精度でも良いのではないか。
(2)串呂地文を団子に譬えますと、団子には面積もあれば体積もあり、面積は集落の地域的広がりだと考えると、20万分の1の地図上の串線からやや外れていても串呂の許容範囲であるとする方が串呂主宰神の神意に添うことになる。
と思う事もあります。
・・・・・引用ここまで
つまり、WEB地図で細部が良く分かるようになったけれども、地文として取り上げる許容範囲は「100万分の1の地図の精度」で良いと思うのです。
天照大御神が、「何としても皇統の真実を伝えよう」と長期間を掛けて苦心惨憺の末、神風串呂を構築なさったことに思いを馳せる時、出来るだけ串呂主宰神(天照大御神)の御意向を酌む方向で地文を取上げることが肝要と思うのです。
これまでの研究で、天照大御神がここまでご苦労されて串呂地文として必要な地名をご構築(命名)なさったことがよく表れている好例がありますので、再びご紹介します。
🔴串呂地文は如何にして構築されたか!
🟡重要串呂地文「如来堂」の命名譚
下記は、2020年1月の「八尺鏡野と在りし日の三浦芳聖家との神風串呂」の記事の引用です。
「八尺鏡野」-「石鏡町」-「在りし日の三浦芳聖家」-「古真立」-「両神山」-「天神」-「如来堂バス停」-「天神町」-「明神」-「大平山」
上記の神風串呂に無くてはならない重要地文「如来堂」(現在は相生町1丁目)が、何時、どのようにして命名されたかを伝える「如来堂の命名譚」です。
この「如来堂」は、高松三串 -〇-〇-〇- 、弥勒二串 -〇-〇- の神風串呂が設けられている「ありし日の三浦芳聖家」(三浦皇統家)を表わす地文です。
・・・・・引用ここから
「如来堂」の由来
桐生市の南西にある相生町1丁目は明治22年(1889)まで「如来堂村」と称していました。この如来堂村は、明治22年4月に5か村が合併して相生村が誕生した際に「山田郡相生村大字如来堂」となりました。
昭和29年(1954年)10月1日に桐生市に合併して、現在の名称である「桐生市相生町1丁目」となり、如来堂という地名はバス停や歩道橋にその名称が残っています。(「如来堂の由来」より)
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この如来堂という地文(バス停・歩道橋)について調べていると、「如来堂」の由来というサイトに、串呂に必要な地名の成立譚ともいうべき、興味深いエピソードが語られていて、その内容が「串呂哲学的」でしたのでご紹介します。
鎌倉時代、仁田山(群馬県桐生市川内町)に、荘司・園田太郎成家という武士がおり、大番役で都(京都)へ上った際、法然上人に出会い仏門に入りました。
智明坊(ちみょうぼう)と名乗り、法然上人の下で6年間の修行を重ねた後、故郷で教えを広めるため帰国することになりました。
その際、上人から天智天皇の護持仏だったという、由緒ある阿弥陀如来像を頂戴し、牛の背に積んで仁田山への道を急がせました。すると藪塚(新田郡・現在の太田市)まで来た所で牛が倒れて死んだので時間を取られ、やっと出発するや渡良瀬川の増水で足止めとなり、前進することが出来なくなってしまいました。
そこで一行は、仕方なく薊村(あざみむら、如来堂村の古名)の塚の上にお堂を建て阿弥陀如来像を安置して布教を始めたところ、あちこちで霊験が現れたので、薊村(あざみむら)が如来堂村に改称されたというのです。
私は、この「如来堂」の由来を読み、鎌倉時代に如来堂村と命名されたのは、串呂主宰神(天照大御神)が関与している!とすぐに直感しました。
串呂主宰神(天照大御神)が神風串呂の設計図に従って、長年月掛けて必要な地文を設けてきた苦心談が残っていたと理解したからです。
・・・・・引用ここまで
🟡計画的に構築された串呂地文
上記の記事で述べているように、この「如来堂」の由来は「八尺鏡野と在りし日の三浦芳聖家との神風串呂」を研究中、「如来堂」という地名(地文)について調査していた時に発見したものです。
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下記の神風串呂を構築するために串呂主宰神(天照大御神)が如何にご苦心なさったか、その一端を「如来堂の由来」を通して垣間見ることが出来るのです。
「八尺鏡野」-「石鏡町」-「在りし日の三浦芳聖家」-「古真立」-「両神山」-「天神」-「如来堂バス停」-「天神町」-「明神」-「大平山」
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「八尺鏡野」-「石鏡町」-「在りし日の三浦芳聖家」-「如来堂」
🔴「如来堂」は、「在りし日の三浦芳聖家(三浦皇統家)は、如来の在所である」ことを昭示する重要地文です。
以下に、これを簡略に説明します。
如来とは、高松三串 -〇-〇-〇- で昭示される「弥勒=三浦芳聖」の事であります。
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「高松町」―「在りし日の三浦芳聖家」―「高松」―「高松」―「弥勒」-「日本平山」-「白髭山」―「弥勒」
「在りし日の三浦芳聖家(三浦皇統家)は、弥勒の在所であった」ことを昭示する神風串呂です。
🟡弥勒とは
元来は、仏教の弥勒菩薩、弥勒如来を表わす地文。弥勒下生信仰から救世主の意味もある。串呂哲学では、弥勒は、弥(いよいよ、ますます)革(改める)力(ちから)と解釈します。何を改めるのか、誤れる生命観を、誤れる世界観を、誤れる歴史観を改め、物質偏重、拝金主義の世の中を改革することを言います。その為の教材として神風串呂が構築されています。実際、三浦芳聖は『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を著述し、戦争の勝者により捏造された誤れる皇統史を糺しました。
また、この伊那市高遠町の「弥勒」(三浦芳聖の代名詞)は、下記の串呂上の弥勒です。
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八尺鏡野は「登極」を昭示する地文でありますので、「弥勒」(三浦芳聖の代名詞)は、登極したことを皇大神宮内宮(天照大御神)が立証していると解読します。
下記の(1)~(3)の串呂を頭の中で作図して見て下さい。
三角形△の見事な串呂図が出来上がります!
(1)「八尺鏡野」―「三浦皇統家」―「古真立」―「如来堂」
(2)「三浦皇統家」―「高遠町弥勒」―「弥勒」
(3)「八尺鏡野」―「皇大神宮内宮」―「高遠町弥勒」
「如来堂」という地名が、いかに重要な串呂地文であるか、そしてこの「如来堂」という地名をこの位置に構築する為に串呂主宰神(天照大御神)が、どんなに苦心惨憺されたかを垣間見ることが出来たかと思います。
そして、これは「ほんの一例にすぎない」のです。
・・・・・
🔴東西20kmのローソク型の極太串呂
さて、話は「串呂の精度(地文とする許容範囲)」に戻ります。
2022年3月、皇祖神からの伝言「蔵王山と三浦山ゾーンの骨太串呂」で三浦山ゾーンについて述べました。
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三浦山の西南方に「三浦ダム」が建設され、流域面積69.4平方kmという広大な「三浦貯水池」が出現し、「三浦山」を頂点とする東西南北、各々20km幅の広大なるダイヤモンド型の「三浦山ゾーン」という「一大串呂地文」が誕生しました。
🟡三浦山を頂点とするダイヤモンド型の三浦山ゾーン
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🟡三浦山ゾーンを構成する「三浦貯水池(三浦湖)」
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【参照】『三浦ダム- Wikipedia』
🟡東西約10kmの愛知県田原市の「蔵王山」
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🔴裾野の幅、東西20kmの「三浦山ゾーン」と東西10kmの「蔵王山」とを結ぶ、ローソク型の極太串呂が、日本列島の南北を貫くように形成されているのです。
三浦山ゾーン
(東西20km)
|
付知町大門
|
牧平町大門
(天皇蒙塵の地)
|
大塚町大門
|
〽蔵王山
(東西10km)
串呂の精度「地文とする許容範囲について」の考察から、記事がこのような展開となりましたが、串呂地文を構築するために串呂主宰神(天照大御神)が如何にご苦心なさったかを思うとき、
串呂の精度(地文とする許容範囲)は、100万分の1の地図の精度で良いのではないかと思うのです。
いま仮にそうだとしますと、
「地図上の1ミリメートルが実際の1000メートル」ですので、串呂は幅約1000メートルの大幹線となり、その中の地文は「地文とする許容範囲」となります。
因に、三浦芳聖師の著書(B5版)に掲載されている「串呂図」は、主として200万分の1~400万分の1の縮尺となっています。
🔴神風串呂を学びましょう!
💟串呂文庫
🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
🟡バックナンバー(総合)
🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
🟡前号(№379)
元伊勢クシロの真実を補強!新串呂解明4
-⛩元伊勢内宮と⛩多賀大社の神風串呂
🟢次号(№381)
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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