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💟尊良天皇御陵と与位との神風串呂(№38)

はじめに

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、「尊良天皇御陵と与位との神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


1、「獅子」の位を付与された尊良天皇

島根県飯石郡飯南町に「獅子しし」というユニークな地名があります。百獣の王ライオンを意味する地名です。

串呂では、この「獅子」は「百獣の王=天皇」と解釈いたします。

岡山県津山市加茂町に、百獣の王の「百」が二つ並ぶ「百々どうどう」という地名があります。

三浦芳聖は「百々は皇室に通じていることをあらわす」と述べています(同上著286頁)。

山口保吉著『芳花鶴水園の聖地』に下記のように説明されています。

百百とは、王の義より出づ。牡丹は百花の王、獅子は百獣の王、橘は百果の王等より出で。皇室の御霊地と御聖地と重なる地点を百百と称し。御霊蹟地を顕はし奉る貴き名称である。

山口保吉著『芳花鶴水園の聖地』84頁(編者注、旧漢字は当用新漢字に変換)

百獣の王(獅子)は、王者=大王=天皇に通ずる地文なのです。

今回は、どんな位が与えられているかを鑑定する「与位」(兵庫県宍粟市山崎町)と「尊良天皇御陵」(京都市左京区南禅寺下河原町)とを結ぶ神風串呂をご紹介します。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、尊良天皇御陵と与位との神風串呂

三浦芳聖は、尊良天皇御陵(京都市)と与位(宍粟市)とを串線すると下記のような串呂になると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

「獅子」(飯南町)―「与位」(宍粟市)―「寺野」(神河町)―「後嵯峨天皇・亀山天皇御陵」(京都市)―「聖護院」(京都市)―「尊良天皇御陵」(京都市)―「寺野薬師堂」(岡崎市)―「佐久」(浜松市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』本文52頁、一部省略、現住所に改めた。)

【地文のみ掲載】
「獅子」―「与位」―「寺野」―「後嵯峨天皇・亀山天皇御陵」―「聖護院」―「尊良天皇御陵」―「卍寺野薬師堂」―「佐久」

【地文の解釈】(地文に説明や地図がリンクしています)
(1)獅子(しし、島根県飯石郡飯南町)

語義は
ア、百獣の王(ライオン)
イ、高麗から伝来したとされるライオンに似た想像上の動物などである。

ここでは、「獅子」は、尊良天皇が皇位を継承した天皇(百獣の王)であることを表わす地文と解釈いたします。

・古代の京都御所の門に「獅子」の紋章があったと云われています。
・諺文学からは獅子(シシ)は「イノシシ」に通ずるとする解釈もある。

(2)与位(よい、兵庫県宍粟市山崎町)国内唯一の地名。
「位を与える」を意味する地文。与位は、どのような位が与えられたかを鑑定する重要串呂起点。

与位
与位(兵庫県宍粟市山崎町)(地図マピオン)

(3)寺野(てらの、兵庫県神崎郡神河町)
愛知県岡崎市夏山町寺野にある「寺野薬師堂」を表わす地文。(7)の寺野薬師堂(夏山町寺野)とで、寺野二串の確定立証の串呂を構築。串呂図には記載されていません。

神河町寺野
寺野(兵庫県神崎郡神河町)(地図マピオン)

【参照】坂出市天皇と白山市三浦との神風串呂(№39)
[由良岬]-[御在所山]-[天皇・天皇寺]-[龍子]-[高長]-[寺野(神河町)]-[大門]-[大丹生]-[大丹生町]-[大聖寺]-[小松市]-[三浦町]-[神代]
(「寺野」でリンクしています。)

(4)後嵯峨天皇・亀山天皇御陵(京都市右京区嵯峨天竜寺)
後嵯峨天皇・亀山天皇の御陵「嵯峨南陵(さがのみなみのみささぎ)」

後嵯峨天皇・亀山天皇は、尊良天皇の直系遠祖。神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の八幡大明神の中に、後嵯峨天皇が含まれています。

地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。

天龍寺
京都市右京区嵯峨天竜寺(地図マピオン)

(5)聖護院(京都市左京区)
三浦芳聖は、大正7年4月から大正9年の3月までの2年間、ここにあった私立両洋学院で学び、天才的教育者「中根正親校長」の肉親にも勝る、慈愛に満ちた訓育を受け、天賦の才能を開花させました。

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京都市左京区聖護院(地図マピオン)

聖護院は「三浦芳」をり育てた学校と解釈します。

不思議なことですが、中根正親校長は、ライオン校長の異名をとる熱血校長でした。この串呂が関係しているのかもしれません。

中根正親校長の遠祖・中根正恒は、三方原合戦の勇士で愛知県額田郡箱柳村(現岡崎市)に住んでいたことが、歴史家の研究によって明らかになっています。(『中根正親先生回想録』26頁、1986年)

三浦芳聖(1971年帰幽)は、こうした歴史を知りませんでしたが、中根正親校長(長崎市出身)の先祖は、大宝天皇から出ていると串呂で解明しています。

(6)尊良天皇御陵(たかながてんのう御陵、京都市左京区南禅寺)
後醍醐天皇 第一皇子 尊良親王(串呂哲学では天皇と尊称)の御首塚。

『太平記』によると、越前金ヶ崎城で自害した尊良親王の首が南禅寺に届けられ、住職の夢窓国師が葬礼を執行した後、この地で首塚として祀られた。

尊良親王墓
尊良天皇御陵(京都市左京区南禅寺)

皇后清子姫も埋葬され、比翼塚ともいう。(京都市左京区南禅寺下河原町19-2)尊良天皇御陵についての詳細はこちらを参照ください。

【参照】尊良天皇御陵(御首塚)と金崎神宮(御胴埋葬地)の神風串呂
日高-応神天皇御陵-尊良天皇御陵-金崎神宮

(7)寺野薬師堂(愛知県岡崎市夏山町寺野)

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寺野薬師堂

【参照】寺野の大クス、薬師堂より転載

寺野薬師堂は大宝天皇の行在所、樹高で愛知県一の大楠で有名。地元の古老は、お参りすると母乳がよく出るようになるので、「寺野のちち薬師」と呼んでいます。

夏山町寺野
愛知県岡崎市夏山町寺野(地図マピオン)

三浦家に伝承された記録には「大宝天皇」が、御父松良天皇が陰暦8月8日(お薬師さんの正当日=縁日)の降誕ゆえ、薬師如来とし、皇后を毘沙門天として隠祀したので「父薬師」と称したと記されてあったそうです。正面のお扉に十六弁の菊花紋がついています。

【参照】寺野薬師堂についての詳細はこちらをご覧ください。
【参照】大宝天皇についての詳細はこちらをご覧ください。

(8)佐久(さく、静岡県浜松市天龍区)
大宝天皇の皇后「三浦佐久姫」を表す地文。三浦佐久姫は、三浦義勝五世の嫡孫、楠木正成六世の孫。父は三浦宗明、母は楠木正親の女・冬子。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(291頁)には「皇后富士大宮司三浦氏の第六十一世の嫡女三浦佐久姫」とあります。三浦芳聖の遠祖。

三浦佐久姫についてはこちらを参照ください。

天竜区佐久
佐久(静岡県浜松市天龍区)(地図マピオン)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「獅子」―「与位」―「寺野」―「後嵯峨天皇・亀山天皇御陵」―「聖護院」―「尊良天皇御陵」―「卍寺野薬師堂」―「佐久」

「与位」は、どのような位が与えられたかを鑑定する、重要串呂起点です。尊良天皇の御陵は、後嵯峨・亀山、両天皇同様、獅子(百獣の王=天皇)の御陵であると解釈いたします。

この串呂の神崎郡神河町の「寺野」は、寺野薬師堂のある「寺野」とで寺野二串の確定立証の串呂を構築しています。

この串呂線上に尊良天皇の再現である三浦芳聖が学んだ両洋学院が存在した「聖護院」が串線していることも神秘的なことです。

数えの10歳で一家離散となり、お寺の小僧となった三浦芳聖は、この両洋学院で出会った天才的教育者「中根正親校長」の、肉親にも勝る、慈愛に満ちた訓育を受け、天賦の才能を開花しました。

この中根正親校長との出会いもまた、串呂主宰神の設計した青写真に基づくもので、歴史家・三遠文化協会長「柴田澄雄氏」によって、中根校長の遠祖が愛知県岡崎市出身の三河武士であることが明らかになっています。

その他、遠祖の後嵯峨天皇・亀山天皇の御陵や、今回は省略しました他の串呂地文が串線することも、串呂とは実に神秘的で不思議な世界であると思います。

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💟皆様方の御支援に感謝しています!

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


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🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№37)
🟢次号(№39)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
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