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三浦芳聖伝 51、短大名誉講師に就任(串呂哲学研究ノート№173)
短大名誉講師に就任
1、公職追放解除
公職追放は、大政翼賛会の愛知県錬成部長、政治結社・中部国民道場長など、国家民族の為に粉骨砕身して奮闘した愛国者・三浦芳聖を苦しめる悪法であった。
大東亜戦争が悪だったというなら、責任は政府指導者にあり、国策に従って協力し、合法的に生活していた国民に何の罪があるというのでしょうか。
最高指導者の「責任」は問題にせず、責任のない国民を罰し弾圧するという酷い占領政策であったことを忘れてはなりません。
芳聖の場合は、超国家主義団体等の有力分子、大政翼賛会等の政治団体の有力指導者に該当し、厳重監視処分に附され、公職に就かないように警察官に見張られていたのです。
そういう中を芳聖は、勇猛果敢に修行に邁進しましたが、公職追放で収入を絶たれた家族の生活は窮乏し悲惨でありました。
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極東裁判は戦勝国による不当なリンチであり、公職追放もまた不当な経済制裁であり、プレスコードと呼ばれる報道規制も非民主的な国民弾圧でありました。
こうした占領軍が行った非文明的な蛮行を、日本人は忘れてはなりません。そして今も報道自主規制や検閲自主規制が続いていると思わねばなりません。
表面的に自由で民主的な国家であるように見えているだけで、いまだに占領下にあると思わねばならないのです。
2、短大名誉講師に就任
昭和27年(1952年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効となり、長く苦しかった「公職追放」が解除されましたので、
天照大御神の御神諭のまにまに修行に邁進していた芳聖も、家族の生活のために、まとまった収入を得る必要性に駆られ、就活を開始しました。
以下は、芳聖が、その当時の経緯を述べたものであります。
昭和27年4月28日に追放監視共に解除されまして、久し振に自由の身となりましたので、約7年間専心一意、修行と串呂の研究に没頭し、全くの無職無収入で家族8名の者共に言語に絶する塗炭の苦しみをさせ、家内の親戚にも沢山の借銭も出来て居りますから、解除と共に何か就職し収入を得て家族を此の苦しみから救わねばならぬと、各方面の知己に依頼しましたが、一つも就職口がありません。
(三浦芳聖著『串呂哲学第一輯』23頁、大竹書店/1956年)
しかし、天の助け!芳聖は、新設の「中部社会事業短期大学」の名誉講師の職を得ることが出来ました。大政翼賛会・錬成部長時代の縁故でした。
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中部社会事業短期大学創立者・鈴木修学理事長
その後、なかなか就職口がなくて困っていましたが、以前極めて懇意にしていて、私が青壮年を錬成する為に、立派な錬成道場を無料で貸して下さった事のある、日本中でも社会事業家としては最も有名な鈴木修学師(前名鈴木修一郎氏)が、名古屋市昭和区滝川町に中部社会事業短期大学を設立して開校せられたのを知ったので、(私も以前専門学校の哲学の教授をした事があるから)
鈴木修学師の所へ早速やって行って、短大の講師に雇って頂く様お願いした処、釈尊の再来の様な方ですから、もう人員は一ぱい充満していましたが、名誉講師と云う待遇で雇って頂き、一室研究室をあてがって下さったので、昭和28年春から現住所の豊川市から毎日午前中だけ通勤する様になりました。
(三浦芳聖著『串呂哲学第一輯』25頁、大竹書店/1956年、改行、句点、送り仮名を補い、数字はアラビア数字に変換するなど編集しました。)
3、研究室で神風串呂を解明
名誉講師の芳聖は、出勤すると机や椅子を研究室の外へ出し、床に地図を広げて串呂の研究に没頭していました。
芳聖が「中部社会事業短期大学」の名誉講師として、通勤するようになると、今度は愛知県警の「警察官」が教えを受けるという名目で「偵察」にやって来るようになりました。
下記は、芳聖が、その当時の様子を述べたものです。
そうすると、名古屋市昭和区昭和警察署警備課から巡査部長川口則雄と云う大学出(?)のまだ20代の若い人と、もう一人は老朽な38、9才の刑事と二人で短大の方へ訪問せられて「三浦先生が此処へお勤めになって御通勤になっていると云う事で、上司から一度お教えを受けて来いと言われてやって参りました」と言われるから、私は快く会談して、たくさんの神霊写真を見せたり、又地図を出して神風串呂を引いて説明した後、
「川口君は只今何処にお住まいですか、又何処の出身ですか」と尋ねると『亡父の郷里は宮崎県ですが、私は愛知県で生まれました。只今名古屋市南区曽池(そいけ)町5の27に住んでいます。』との事ゆえ
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「一つ川口君の串呂を引いて見ましょう」と云うと
『いや私などのは、そんな串呂に載っていないでしょう』と云われるから
「とに角一つ埼玉県の川口市から南区曽池町まで引いてみましょう」と串呂を引いて見ると
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埼玉県川口市中心部
右図の如く、埼玉県の川口市から名古屋市南区曽池町の川口則雄家へ串呂すると、線上、東京都八王子市の川口と、愛知県西加茂郡藤岡村の川口と実に川口三串―●―●―●―の串呂です。
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(三浦芳聖著『串呂哲学第一輯』26頁、大竹書店/1956年)
之には川口則雄君も自分の事ですから、スッカリ感心してしまって、位は巡査部長だが、まだ20代で大学出(?)の純真な人だから、寸分の紛れも無く地図の上を糸をピーンと引いて三つも「川口」を串呂しているのですから大いに感動して
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東京都八王子市川口町
『正直に申上げると只今まで先生の御説明を承っていて、実は腹の中で過去の右翼の巨頭と云う事を上司から云われたから、之は我々を煙に巻く為に、地図などを出して糸を引いて狂言をやっていられるのだなと思って、お叱りを受けるかもしれないが、何とかして先生の腹の中を探りたいと思って、実はウワの空で承っていましたが、只今眼のあたりに此の串呂をお示し下さって、偶然の一致だとは思えなくなりました。之は一体何が示されているのでしょうか』
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と真剣に質問せられるので、此の串呂(特に三串の重大なる事を確定神示される神風串呂)に関連して詳細に渉って解説し、スッカリ肝銘せられました。その後川口君には間もなく転任せられて直接面会しませぬが、爾来賀状や暑中見舞は欠かさず下され、又先般は何か警察の学校へ入学したと云う挨拶状をよこされました。
(三浦芳聖著『串呂哲学第一輯』25~26頁、大竹書店/1956年、改行、句点、送り仮名を補い、数字はアラビア数字に変換するなど編集しました。)
串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)
情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖の伝記及び三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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