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💟神功皇后御陵と松良天皇御陵の神風串呂(№87)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風串呂は、地文ちもん(地名)を研究することで神の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「神功皇后の御陵(奈良市山陵町)と松良天皇御陵(愛知県豊川市御油町)の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、神功皇后御陵と松良天皇御陵

神功皇后の御陵は、奈良市山陵みささぎ町にあります。山陵とは、御陵のことです。

神功皇后の御陵は、地文としては「山陵町」ですから、御陵を鑑定する串呂起点として、この「山陵町」の神功皇后の御陵から愛知県豊川市御油町筑前ヶ谷の「松良天皇御陵」に串呂してみますと、和田二串で福山市松永町を串呂します。

神功皇后と松良天皇の御関係は、松良天皇の御母・小室門院の串呂で考察しましたように、神功皇后と小室門院の関係がありました。(詳細後述)

これは、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖の元津御魂(もとつみたま)との関連かと思います。

今回は、神功皇后御陵と松良天皇御陵との神風串呂をご紹介します。

正統家の真実を開くことを表わす地名「開正」(愛知県西尾市一色町)

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、神功皇后御陵と松良天皇御陵の神風串呂

三浦芳聖は、神功皇后の御陵(奈良市山陵町)と松良天皇御陵(愛知県豊川市御油町)とを串呂すると、次の様になると述べています。

松良天皇については、松良天皇(正良) (№79)を参照ください。

神功御陵松良天皇御陵

松永町」(福山市)-「大地」(玉野市)-「神功皇后御陵」(奈良市)-「一色」(津市)-「開正」(西尾市)-「松良天皇御陵」(豊川市)-「船明」(浜松市)-「藤太夫島」(藤枝市)-「上和田」(伊豆市)-「和田町」(南房総市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』257頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「松永町」-「大地」-「神功皇后御陵」-「一色」-「開正」-「松良天皇御陵」-「船明」-「藤太夫島」-「上和田」-「和田町」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)松永町(まつながちょう、広島県福山市)

福山市松永町
広島県福山市(地図マピオン)

松良天皇をあらわす串呂上の符号・諺文です。この他、松良天皇をあらわす符号・諺文には、三重県桑名郡木曽岬町の「松永」、静岡県沼津市「松長」(まつなが)、埼玉県比企郡川島町大字「松永」などがあります。

【参照】松永についての詳細

(2)大地(だいち、岡山県玉野市槌ケ原)
文字通り「大なる地」をあらわす。松良天皇の御陵が「偉大なる地」であり、「重大なる地点」(松良天皇の御陵)であることをあらわしている。

リンクの地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。

(3)神功皇后御陵(じんぐう皇后御陵、奈良市山陵町)
神皇正統第14代仲哀天皇の皇后・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)の御陵。

住所が「山陵みささぎ町」であることから、松良天皇御陵を鑑定する串呂起点。

神功皇后御陵
奈良市山陵町(地図マピオン)

「明治時代以前は神功皇后を天皇(皇后の臨朝)とみなし、15代の帝と数えられていたが、1926年(大正15年)10月の詔書により、歴代天皇から外された。」『ウィキペディア』神功皇后

神功皇后と松良天皇の関係は、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現、八幡大明神・三浦芳聖が、松良天皇の再現として、松良天皇の人生の追体験をさせられたこと(三浦芳聖≒松良天皇)。

また、応神天皇の再現としては、神功皇后が「70歳になるまでは監督します!」と言われて三浦芳聖の訓育係であった事など、深い関係があります。

松良天皇と神功皇后との関係は、下記の神風串呂を参照ください。

【参照】福山市鞆町の皇后島と妙覚塚の神風串呂

(4)一色(いっしき、三重県津市河芸町)

河芸町一色
三重県津市河芸町(地図マピオン)

「一色」は、串呂哲学では「彼と之とは同じ」の意味で、重要串呂線上に入る地文とされています。一色田(荘園において一種類の賦課のみを負担していた田地のことを称する)に由来する荘園地名です。

ここでは、松良天皇の御陵(三浦芳聖を祀る八幡大明神)と神功皇后御陵(山陵町)がともに「御陵」(天皇墓)であることを表わしている。

【参照】北陸朝廷の存在を昭示する神風串呂 

(5)開正(かいしょう、愛知県西尾市一色町)
「正を開く」と読み、「正統を開く」、「正良を解明する」意味であると三浦芳聖は述べている。(同上著258頁)

(6)松良天皇御陵(まつながてんのうごりょう、豊川市御油町筑前ケ谷)

三浦家墓地2
豊川市御油町筑前ケ谷(地図マピオン)

元来は、松良天皇御陵「御坊塚」(おんぼうづか)で、現在は、三浦家墓地(八幡大明神)となっている。

【参照】松良天皇御陵についての詳細はこちらをご覧下さい。

(7)船明(ふなぎら、静岡県浜松市天竜区)
松良天皇皇后綾子姫の御陵(上臈塚)のあるところである。

松良天皇の御陵と、その皇后の御陵のある天竜区「船明」が同一方角線上に位置する神秘的な串呂です。上臈塚については下記を参照ください。

【参照】綾子姫命(松良天皇皇后)

青木文献には「寛成親王息女綾姫宮路左太夫遠洲光明寺村落給(寛成親王の息女綾姫は宮路佐太夫と遠州光明寺村に落ち給う)」と書かれてあり、昭和2年(1927年)9月、三浦芳聖は青木文献の記録と神風串呂とで御陵の位置を割出し、静岡県磐田郡光明村船明(現浜松市天竜区)に「上臈塚」(じょうろうづか)を発見した。

(8)藤太夫島(とうだゆうじま、静岡県藤枝市本郷)

藤太夫島
静岡県藤枝市本郷(goo地図)

神皇正統第百代・大宝天皇の後称「三浦藤太夫」をあらわす諺文。大宝天皇は、松良天皇の第一皇子です。

【参照】藤太夫島についてはこちらを参照ください。

【参照】大宝天皇(美良)号宗心・後称三浦藤太夫

この「藤太夫島」については、下記の神風串呂を参照ください。
【参照】石清水八幡宮と牧平大門の神風串呂
【参照】皇大神宮内宮と小松天皇御陵の神風串呂

(9)上和田(かみわだ、静岡県伊豆市下白岩)
和田に同じ。和田は、松良天皇の符号。「和田」とで和田二串(ふたぐし)の神風串呂を形成している。リンクの地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。

【参照】和田について

(10)和田町(わだまち、千葉県南房総市)
松良天皇の串呂上の符号。「上和田」とで和田二串(ふたぐし)の神風串呂を形成している。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「松永町」-「大地」-「神功皇后御陵」-「一色」-「開正」-「松良天皇御陵」-「船明」-「藤太夫島」-「上和田」-「和田町」

豊川市御油町の「松良天皇御陵」が、「松永」の「大地」にして「神功皇后御陵」と同様の「山陵」(天皇墓)であり、その後継者は藤太夫(大宝天皇)であることを昭示する神風串呂です。

松良天皇をあらわす「松永町」、御陵をあらわす「山陵町」、「松良天皇御陵」の的確なる神風串呂です。

松良天皇御陵の西方串呂線上には、松良天皇の皇后綾子姫の御陵の存在する「船明」と、両者の間に降誕した美良親王(大宝天皇)の後称・三浦藤太夫を表わす「藤太夫島」が串呂している実に神秘的な神風串呂です。


🟡串呂を表わす地名  滋賀県彦根市「甘呂町」、串呂=甘呂=甘露の神諭


💟串呂クシロ(かんろ)とは

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢もといせ伝承で皇祖神・天照大御神が各地を巡行じゅんこうしながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢伝承地と巡行ルート(「幻の邪馬台国・熊襲国」より引用)

元伊勢クシロは、皇城守護こうじょうしゅご結界けっかいのことだといわれて来ましたが、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神皇正統しんのうしょうとう嫡皇孫ちゃくこうそん三浦芳聖みうらよしまさ」が、生涯の精魂せいこんを込めて解明した神風串呂によって、「元伊勢クシロ」とは、皇統正史こうとうせいしを我が国の国土に埋め込んだ地文学・神風串呂であることが判明したのです。

神皇正統・三浦皇統家を昭示する神風串呂
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章)

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問(皇霊学)が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、真日本国再建のために皇祖神・天照大御神によって構築されました。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神・天照大御神からの神妙なる息吹を体感体得たいかんたいとくすることができるでしょう!

串呂主宰神かんろしゅさいしん(天照大御神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助てんゆうしんじょにより日本民族本来の力を発揮はっき出来るようになります。

🔴皇大神宮内宮(大御神)の嫡皇孫は三浦佐久の子孫(三浦皇統家)である。

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章)

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に、無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


🎀元伊勢伝承とは

元伊勢伝承の皇祖神・天照大御神の各地巡行は、神風クシロ構築の旅であり、各地の産土神うぶすなしん地霊ちれい)に神風クシロ構築計画への協力を呼び掛ける遊説ゆうぜいでありました。元伊勢クシロは神風クシロです。天照大御神が、伊勢地方にお鎮まりになったのは、串呂の超重要起点(基点・根拠地)をここに置くためだったのです!


🟢串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


🔴神風串呂を学びましょう!


🟢後醍醐天皇の皇位を継承したのは誰かについて、歴史資料を示し、さらに串呂で証明した串呂哲学の概説書かつ神風串呂の入門書!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
💟開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道
🎀串呂文庫 コピーサービスのお知らせ(🌷新着)


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

前号(№86)     
次号(№88)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノート(鈴木超世志)
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