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💟矢田の天王と坂出市天皇との神風串呂(№40)

はじめに

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「矢田の天王と坂出市天皇との神風串呂」をご紹介しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

1、三津町三浦湾を削り取った日本海の荒波

島根県出雲市に「三津みつ町」という地名があります。江戸時代には「三津浦」と呼ばれていましたが、明治22年(1889年)「佐香村さかのむら三浦みうら」となり、昭和30年(1955年)1月1日、佐香村が平田市に合併された時、「三津町」に改称されました。

この三津町の海岸は古来「三浦」と称する由緒ある地名でした。14世紀の元弘の変の時、後醍醐天皇が隠岐を脱出してこの港に立ち寄ったことが『南北朝時代史』(田中義成)に出ています。

当時は「楯縫郡たてぬいぐん三浦みうら」と称していたようです。

出雲市役所・平田行政センター地域振興課のSさんの話では、今でも「三津町」周辺の通称地名を「三浦」と呼んでいるとのことですが、串呂哲学上、非常に重要な地名である「三浦」が「三津」に変更になったことは、残念でなりません。

諺文学では「三浦」=「三津」です。津々浦々と云います。

現在は、からくも「小伊津(三浦)漁港」に三浦の名前が残っています。

この「三浦」と矢田の「天王」との距離と、矢田の「天王」から坂出市西庄町の「天皇」までの距離は、元来「ほぼ等距離」に設計されていたと思いますが、日本海の荒波に削られて6キロの差が出来てしまいました。

「三浦」―「天王」(約78キロ)と「天王」 ―「天皇」(約84キロ)

今回は、矢田の「天王」と坂出市の「天皇」とを結ぶ串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、矢田の天王と坂出市天皇との神風串呂

三浦芳聖は、岡山県新見市哲西町の「天王」と香川県坂出市西庄町の「天皇」とを串呂すると下記のようになると述べています。

三浦芳聖の著書には哲西町「天皇」となっていますが、読み方が同じ「てんのう」であるため、地図上に「天皇」と印刷されていた時期があったようです。

三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版

平田市「三浦」と哲西町「天王」、哲西町「天王」と坂出市「天皇」との距離がほぼ等距離!

三浦漁港」(出雲市)―「天王」(新見市) ―「八幡」(高梁市)―「竜王山」(井原市)―「天皇」(坂出市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』本文37頁、三浦芳聖著『神風串呂』177号38頁、現在の住所に改めました。)

【地文のみ掲載】
「三浦漁港」―「天王」 ―「八幡」―「竜王山」―「天皇」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)三浦漁港(みうらぎょこう、島・出雲市三津町)

三津町の日本海岸にある湾(漁港)を三浦といいます。上の地図の小伊津(三浦)漁港に三浦の名前が残っています。

また、津(舟着き場)=浦(入り江、海岸)で三津は三浦の諺文である。「津津つつ浦浦うらうら」ともいう。三津=三浦です。

島・出雲市三津町 小伊津(三浦)漁港(Googleマップ)

今でも「三津町」周辺の通称地名を「三浦」と呼んでいる(出雲市役所・平田行政センター地域振興課のSさんの話)。

三津町は享保2年発行の『雲陽誌』によれば江戸時代には三津浦と呼ばれていた。明治22年の町村制の実施で楯縫郡たてぬいぐん佐香村さこうむら三浦みうらとなり、明治29年楯縫郡が出雲郡・神門郡と合併して簸川郡ひかわぐんとなった時も簸川郡佐香村三浦であった。昭和30年1月1日、佐香村が平田市に合併した時、三浦から三津町に改称した。

『郷土誌さか』佐香郷土誌編纂委員会、平成12年8月発行
平田市三浦 (2)
新日本分県地図(日地出版・1965年頃)には、「三浦」となっていた。

(2)天王(てんのう、岡・新見市哲西町矢田)

矢田天王2
天王(岡・新見市哲西町矢田)(MapFan地図)

天皇(てんのう)に同じ。この岡山県新見市哲西町矢田の「天王」は、どのような「天皇」であったかを鑑定する重要串呂起点です。

八咫鏡やたのかがみにちなんで「矢田やた天王てんのう」と呼んでいます。三浦芳聖の著書で「天皇」となっているのは、旧版の地図には「天皇」と印刷されていたからです。

【参照】矢田の天王に関する詳細はこちらをご覧下さい。

(3)八幡町(はちまん町、岡・高梁市)

高梁市八幡町
岡・高梁市八幡町(地図マピオン)

八幡大明神をあらわす地文で、五皇一体の八幡大明神「三浦芳聖」に関する神風串呂線上に出てくる地文。

(4)竜王山(りゅうおうざん、岡・井原市美星町三山)

井原市竜王山
岡・井原市美星町三山 竜王山(地図マピオン)

「辰年の王」の意味もあるが、「龍顔・龍駕・龍車・龍徳」などの言葉が示すように、龍は天子(天皇)の権威すなわち王権の象徴ですので、「竜王=天皇」と解釈することも出来る。

(5)天皇(てんのう、香・坂出市西庄町)

坂出市天皇
香・坂出市西庄町天皇(地図マピオン)

高御座たかみくらに就かれた天皇を表わす。また、どのような天皇だったかを鑑定する重要串呂起点でもあります。

【参照】西庄町「天皇」についての詳細はこちらをご覧下さい。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「三浦」―「天王」 ―「八幡」―「竜王山」―「天皇」

神皇正統の天皇(竜王)は三浦である。三浦とは五皇一体の八幡大明神としてこの世に出現した「三浦芳聖」の三浦皇統家のことである。

三浦芳聖が解明した串呂の根幹をなす神風串呂の一つで「神皇正統の天皇は三浦である」を昭示する縦の串呂です。(横の串呂は後日紹介します。)

「三浦」―「天王」(約78キロ)と「天王」 ―「天皇」(約84キロ)間が、ほぼ等距離である点、実に精密かつ神秘的で、説得力があると思います。(日本海の荒波で三浦の海岸が削られたため6キロの差が出来ている。)

皇后・三浦佐久姫の姓を名乗って「三浦藤太夫」と称し、牧平大門へ移住せよ!と仰せになった「天照大御神」が、串呂の主宰神です!

串呂主宰神が、日本民族の繁栄の為に「神風串呂」を設計し、長年月掛けて構築されてきたご苦心に思いを馳せ、「神風串呂」で啓示された御神意を厳粛に受けとめねばならないと考えている次第です。


💟皆様方の御支援に感謝しています!

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
💟開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№39)
🟢次号(№41)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノート(鈴木超世志)
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