高遠町弥勒とありし日の三浦芳聖家との神風串呂(№98)
このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)について記述したものです。
神風串呂(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、長野県伊那市高遠町長藤「弥勒」と愛知県豊川市諏訪二丁目の在りし日の「三浦芳聖家」とを結ぶ神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。
1、弥勒とは弥(いよいよ)革(あらた)める力
弥勒とは、仏教でいう救世主の事ですが、串呂哲学では、弥(いよいよ、ますます)革(改める)力(ちから)と解釈いたします。
何を改めるのか、誤れる生命観を、誤れる世界観を、誤れる歴史観を改め、物質偏重、拝金主義の世の中を改革することを言います。その為の教材として神風串呂が構築されています。
同文同種の地名が3個串線する串呂を絶対確証の神風串呂といい、2個串線する串呂を確定立証の神風串呂といいます。
今回は、高松三串、弥勒二串で三浦芳聖の晩年の住所を串線する究極の神風串呂をご紹介します。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、高松三串、弥勒二串の神風串呂
三浦芳聖は、重要串呂起点のひとつである長野県伊那市高遠町長藤「弥勒」と愛知県豊川市諏訪二丁目の「在りし日の三浦芳聖家」とを串線すると下記のような串呂になると述べています。
(三浦皇統家大神宮は、在りし日の三浦芳聖の道場兼住宅の事です)
「高松町」(田原市)―「ありし日の三浦芳聖家」(豊川市)―「高松」(新城市)―「高松」(飯田市)―「弥勒」(伊那市)-「日本平山」(阿賀町)-「白髭山」(阿賀町)―「弥勒」(横手市)
(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第二章83頁、現住所に改めた)
【地文のみ掲載】
「高松町」―「在りし日の三浦芳聖家」―「高松」―「高松」―「弥勒」-「日本平山」-「白髭山」―「弥勒」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)高松町(たかまつちょう、愛知県田原市)
高松(たかまつ)=尊良(たかなが)+松良(まつなが)で、尊良天皇、松良天皇、再現・三浦芳聖の串呂上の符号です。
他の高松と共に高松三串の絶対確証の串呂を構成しています。
【参照】皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る!
【参照】高松について
(2)在りし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪二丁目)
三浦芳聖は、昭和25年(1950年)8月13日より昭和46年(1971年)3月30日に帰幽するまでの約20年半、豊川市市田町諏訪林37番地(豊川市諏訪2丁目)に居住し、神風串呂講究所を開設して、神風串呂を解明し公表した。三浦芳聖終焉の地でもある。
(3)高松(たかまつ、愛知県新城市作手)
上記の高松に同じ。他の高松と共に高松三串の絶対確証の神風串呂を構成しています。
(4)高松(たかまつ、長野県飯田市上郷黒田)
上記の高松に同じ。他の高松と共に高松三串の絶対確証の神風串呂を構成しています。
(5)弥勒(みろく、長野県伊那市高遠町長藤)
元来は、仏教の弥勒菩薩、弥勒如来を表わす地文。弥勒下生信仰から救世主の意味もある。
串呂哲学では、弥勒は、弥(いよいよ、ますます)革(改める)力(ちから)と解釈します。
何を改めるのか、誤れる生命観を、誤れる世界観を、誤れる歴史観を改め、物質偏重、拝金主義の世の中を改革することを言います。その為の教材として神風串呂が構築されています。
実際、三浦芳聖は『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を著述し、戦争の勝者により捏造された誤れる皇統史を糺しました。
下記(8)の横手市杉沢の弥勒とで弥勒二串の確定立証の神風串呂を構成しています。
(6)日本平山(にほんだいら山、新潟県東蒲原郡阿賀町谷沢)1081.1m
ア、日本を表わす。イ、日本(天下)を平定するという意味を表わす。国内唯一の地名(山岳)。
天下を平定するとは、神風串呂の解明により、誤れる生命観を、誤れる世界観を、誤れる歴史観を改めて、物質偏重、拝金主義の世の中を改革することを言います。
これこそ、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神「三浦芳聖」がこの世に出現した主旨であります。
(7)白髭山(新潟県東蒲原郡阿賀町五十沢)
白髭は文字通り白い髭で老年期を表わす。住所の「阿賀町五十沢」を参考にすると、50才前後のことを表わすように思われます。
三浦芳聖は、弥勒に関する大本教のお筆先を、昭和28年(1953)3月18日、大本教事件を担当した大審院検事で、後に検事をやめて出口王仁三郎の弟子となり、大本教の信徒となった土井靖都氏(当時は大長老)から、直接聞いたと述べています。この時、三浦芳聖は数えの50歳・知命の年でありました。【参照】大本教お筆先(大正8年1月27日)
(8)弥勒(みろく、秋田県横手市杉沢)
上掲の(5)弥勒に同じ。伊那市高遠町の弥勒とで弥勒二串の確定立証の神風串呂を構成している。
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
「高松町」―「ありし日の三浦芳聖家」―「高松」―「高松」―「弥勒」-「日本平山」-「白髭山」―「弥勒」
これこそ、神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神「三浦芳聖」が、この世に出現した主旨であります。
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🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
🟡前号(№97)
御調町公文と三浦芳聖晩年の住所の神風串呂
🟢次号(№99)
京丸と牧平町大門との神風串呂
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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