志学の神風串呂
💟ご挨拶
串呂哲学研究会 鈴木超世志
このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)について記述したものです。
神風串呂(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂(カミカゼクシロ)のことだったのです。
串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、「志学」(島根県大田市三瓶町)と、「与位」(兵庫県宍粟市山崎町)とを結んだ「志学の神風串呂」をご紹介しています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。
神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
1、吾れ十有五にして学に志す
島根県大田市三瓶町の「志学」という地名は、三浦芳聖が、向学の念止みがたく、数えの15歳の春3月、青雲の志を抱いて上洛し、学問を修めた「志学の串呂」を構成する重要なる地文です。恐らく国内唯一の地名です。
三浦芳聖をこの世に派遣するに当たって、串呂主宰神(天照大御神)が、長年月掛けて周到なる計画を立て、綿密なる準備をして来られたことが理解されるかと思います。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、志学の神風串呂
三浦芳聖は、「志学」(島根県大田市三瓶町)と、「与位」(兵庫県宍粟市山崎町)とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。
志学(大田市)-与位(宍粟市)-卍天竜寺(京都市)-聖護院(京都市)-尊良親王御陵(京都市)-卍伝正院太子堂(岡崎市)-水鳥愛子出生地(岡崎市)
(三浦芳聖著『神風串呂の解明』5頁・昭和40年2月1日発行、住所は現在のものに改めた。「天竜寺」と「尊良親王御陵墓」との間に「聖護院」を加えました。)
【地文のみ掲載】
「志学」-「与位」-「卍天竜寺」-「聖護院」-「尊良親王御陵墓」-「卍宮崎山伝正院」-「水鳥愛子出生地」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています)
(1)志学(しがく、島根県大田市三瓶町)
論語の「吾れ十有五にして学に志す」の志学です。学問に志すこと。15歳のこと。
三浦芳聖が、大正7年(1918年)3月15日、数えの15歳の春3月、向学の念止みがたく、青雲の志を抱いて上洛し、学問を修めたことを表わす地文です。恐らく、国内唯一の地名です。
(2)与位(よい、兵庫県宍粟市山崎町)国内唯一の地名。
「位を与える」を意味する地文。与位は、どのような位が与えられたかを鑑定する重要串呂起点。
ここでは、三浦芳聖が、楠林山安楽寺に於ける4年半の仏道修行を終え、京都で学問するため、「志学」の位が与えられたと解釈します。
(3)卍天竜寺(てんりゅうじ、京都市右京区嵯峨天竜寺)
臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山天龍資聖禅寺と称する。本尊は釈迦如来、開山(初代住職)は夢窓疎石である。
尊良天皇(三浦芳聖)の直系遠祖である後嵯峨天皇・亀山天皇の御陵「嵯峨南陵(さがのみなみのみささぎ)」がある。
神武、応神、後嵯峨、後村上、松良、五皇一体の再現・八幡大明神の中に、「後嵯峨天皇」が含まれています。
(4)聖護院(京都市左京区)
三浦芳聖は、大正7年4月から大正9年の3月までの2年間、ここにあった私立両洋学院で学び、天才的教育者「中根正親校長」の肉親にも勝る、慈愛に満ちた訓育を受け、天賦の才能を開花させました。
聖護院は「三浦芳聖」を護り育てた学校と解釈します。串呂主宰神が長年月掛けて計画し準備した「芳聖の学び舎・両洋学院」のあった地名が「聖護院」です。
芳聖は両洋学院卒業後3年間、この聖護院の両洋学院の英語講師をしながら仏教専門学校で学び、また学生演劇の俳優としても活躍した。
中根正親校長の遠祖・中根正恒は、三方原合戦の勇士で、愛知県額田郡箱柳村(現岡崎市)に住んでいたことが、歴史家の研究によって明らかになっています。(『中根正親先生回想録』26頁、1986年)
三浦芳聖(1971年帰幽)は、こうした歴史を知らなかったが、中根正親校長の先祖は、大宝天皇から出ていると串呂で解明しています。
(5)尊良天皇御陵(たかながてんのう御陵、京都市左京区南禅寺)
後醍醐天皇 第一皇子 尊良親王(串呂哲学では天皇と尊称)の御首塚。
『太平記』によると、越前金ヶ崎城で自害した尊良親王の首が南禅寺に届けられ、住職の夢窓国師が葬礼を執行した後、この地に埋葬し首塚として祀られた。
皇后清子姫も埋葬され、比翼塚ともいう。(京都市左京区南禅寺下河原町19-2)尊良天皇御陵についての詳細はこちらを参照ください。
【参照】尊良天皇御陵(御首塚)と御胴埋葬地「金ヶ崎神宮」の神風串呂
「⛩金崎神宮」-「尊良天皇御陵」-「応神天皇御陵」-「日高」
(6)卍伝正院太子堂(でんしょういんたいしどう、岡崎市明見町)
愛知県岡崎市明見町字田代130にある浄土宗西山深草派の虎洞山(宮崎山)伝正院は、尊良天皇の第二皇子「基良親王」(良玄法親王)が開基したお寺で、聖徳太子をお祀りしたという太子堂は地元ではかなり有名。
🔴太子堂は、実は父・尊良親王を隠祀したものだということを知る人は少ない。
(7)水鳥愛子出生地(みずとりあいこ出生地、愛知県岡崎市宮崎町)
水鳥愛子さんは、三浦芳聖の門人。大正7年(1918年)4月28日生まれ。旧姓名「真木留(とめ)」
不思議なことに、三浦芳聖がはじめて「尊良天皇御陵」に参拝した大正7年(1918年)4月28日(日曜日)に生まれた。
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
「志学」-「与位」-「卍天竜寺」-「聖護院」-「尊良親王御陵」-「卍伝正院太子堂」-「水鳥愛子出生地」
南朝大覚寺統である亀山天皇の御陵のある「嵯峨天竜寺」や、芳聖が尊良親王(実は天皇)の御陵に遭遇した大正7年(1948年)4月28日に生まれた門人「水鳥愛子さん」の出生地(愛知県岡崎市宮崎町)や、芳聖が幼少期に母親から「尊良精神」を叩き込まれた「卍虎洞山(宮崎山)伝正院」を串呂している神秘的な神風串呂です。
この串呂は、下記の串呂と同じものですので、参照ください。
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💟串呂文庫
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🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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