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💟神情報の神展開!-⛰️御正体山と⛩️靱負神社との神風串呂2-崇神天皇‐扶余王依羅説に挑む14

🎀串呂哲学研究ノート 第442号

はじめに

🌷崇神天皇 扶余王ふよおう依羅説いりせつを串呂で解明するために始めたこのシリーズ(崇神天皇‐扶余王依羅説に挑む)は、地名学に基づく古代史研究家である丸谷憲二さん黄蕨の会代表)から頂戴した神情報(崇神天皇 吉備 滞在説)によって、

🌷百済を足場にして倭国に侵入した騎馬民族・扶余王依羅(崇神天皇)一行は、ひとまず吉備の国(⛩️元 崇神天皇社/岡山県瀬戸内市長船町)に駐留滞在してヤマト地区攻略態勢を整え、時機を見て東遷し、大和地区へ進出したことを立証するという想定外の神展開となりました。💟🌈🍀🎯💯

黄蕨の会代表 丸谷憲二さん
大来(邑久)の古代史を彩る三人の女性(先史古代研究会 丸谷憲二)

🔴崇神天皇が「第九代 開化天皇の皇子」なら、吉備の国(岡山県)に崇神天皇の皇居跡があるはずが無いからであります。

🟡⛩️元 崇神天皇社を⛩️靱負ゆきえ神社と改称して、崇神天皇が吉備の国に滞在していた歴史を隠蔽いんぺいしようとしたのは、本ブログ第440号で既報のごとく、寛文9年(1669年)2月の事であります。

🍀支配者の都合に合わせて、歴史をいつわることは、国家民族の進路を誤る原因となりますので、真実を顕わさんがために神風串呂が構築されているのであります。

第10代 崇神天皇

🔴崇神天皇 皇居跡(⛩️靱負神社/岡山県瀬戸内市長船町長船天王)

天王社刀剣の森・靱負神社
岡山県瀬戸内市長船町(国土地理院地図)

🍀ご案内🍀

🔴このオンラインブックは「崇神すじん天皇 扶余王依羅説ふよおういりせつ に挑む」シリーズ(14)です!

🌺初めての方は、まず下記の記事をご覧頂くようご案内します。
(1)⛩️大依羅神社を発見!
(2)崇神王権の串呂解明!
(3)青龍レイライン発見!
(4)ヤマト王権の本質を昭示!
(5)青山レイライン発見!
(6)伊王島町を発見!
(7)瑞穂国の滅亡!
(8)扶余王率いる侵略軍!
(9)崇神天皇の人と業績!
(10)大市レイライン発見
(11)天皇陵 行燈山古墳
(12)崇神王権東遷説立証
(13)天皇の杜古墳を串線

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1、崇神天皇の東遷とうせんを彰示!

崇神天皇が、岡山県瀬戸内市長船町に駐留・滞在していた事は、すでに述べたように、天皇がヤマト地区へ東遷した事になりますので、⛩️靱負ゆきえ神社(崇神天皇 皇居跡)の串呂には崇神天皇の東遷を彰示する地文が串線します。

これまで解明した下記の二本の串呂には、⛩️靱負神社(崇神天皇皇居跡)が皇居であったことを彰示する地文と共に、纒向まきむく地区、大和福地城跡やまとふくちじょうあと、三輪などの東遷先とうせんさきを表わす地文が串線しており、まことに興味深い事であります。

🔴下記にその要点を記載します。詳細はリンク先の記事でご覧下さい。

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