大宝天皇延命長生を昭示する神風串呂(串呂哲学研究ノート№183)
大宝天皇延命長生を昭示する神風串呂
この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。
串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
地名(地文)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、大宝天皇延命長生を昭示する「表佐竜巻現場」(岐・不破郡垂井町)と「浪合」(長・下伊那郡阿智村)とを結ぶ神風串呂をご紹介し、詳しい解説をしています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
1、身延山・久遠寺と神風串呂史観
山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗総本山「身延山・久遠寺」は日蓮上人の御霊をお祀りする寺院です。
今回、ご紹介するのは、下記の串呂ですが
浪合で遭難された大宝天皇は辛くもこの危難を逃れ、88歳まで長生されました。神風串呂では、「身延山・久遠寺」「長生郡一宮」は、「長く久しく延命長生する一宮」表わす地文です。
一宮大宝天皇は、「身延山・久遠寺」「長生郡一宮」等の串呂が有ったから延命することが出来たのか、大宝天皇が延命したことを表わすためにこの地文が出来たのか、どちらでしょうか。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、尹良親王の謎を解く
昭和36年(1961)9月26日早朝、南朝史学会「史蹟と伝説」の主筆である豊橋市石巻町の「藤原彦人(丸山、石山)」氏が、三浦芳聖家を訪問し、近々著書を発行するに当ってどうしても解いておきたい疑問があるので三浦先生の神風串呂によるご教示を仰ぎたいというのでした。
その内容は【長野県下伊那郡浪合村で遭難薨去されたと伝える「尹良親王」は、愛知県北設楽郡川宇連にも「尹良神社」として、お祀りしてあるが、此の御方は元老院纂輯御系圖には「宗良親王王子」となっていますが、私が多年に渉って調査した結果は三河地方に於ける南朝方の者は皆この親王様を奉戴している様であり、宗良親王の御事績を調査しても、こんなに忠臣の方々が付いていない。特に花山院長親の子孫の人々迄皆この「尹良親王」を奉戴しているので、これは或いは「長慶天皇」の別名を「尹良」と申されたのではなかろうか?と思い、三浦先生の御教えを受けに参上した】との事でした。
芳聖は、軽々しくお答えできないから、串呂で研究調査し御神示を仰いだ上でご返事しますと申上げ、藤原さんに帰って頂き、一心に祭祀をして御祖大神に御教示を仰ぐと、「長慶天皇ではない!」との御神示でした。
芳聖が、「では尹良親王はどなたの事ですか?」と御教示を仰ぐと、「神風串呂をもっとよく研究せよ!」との御神示でしたので、地図を広げて研究したのですが、的確な串呂が解明できませんでした。
そこで、三浦芳聖は、翌27日9時から祭祀を開始して10時30分に終了し、引き続き「尹良親王の御正体をはっきりとさせて頂くために的確な場所に極めて最小限に止めて竜巻を起して頂きたい」と念じ、竜巻を興す秘法を厳修した処、岐阜県不破郡垂井町表佐で竜巻が起きました。
芳聖が、当日の夕刊に出ていたのを確認したところ、竜巻は「表佐から綾戸の方へ向かい一軒の小屋が60メートルほど吹き上がり、また紡績工場のガラスが100枚ほど破れた」という記事が出ていました。
そこで、芳聖は、この「表佐竜巻現場」と尹良親王が戦死したと伝えられる長野県下伊那郡浪合村の「浪合」(現在阿智村)とを結んで両方へ延長した処、下記のような串呂が解明されました。
(三浦芳聖著『神風串呂第十二編』1~2頁要約/1961年10月)
4、大宝天皇延命長生を昭示する神風串呂
三浦芳聖は、表佐竜巻現場(岐・不破郡垂井町)と浪合(長・下伊那郡阿智村)とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。
大宝(雲南市)-天王(真庭市)-阿弥陀山(高島市)-表佐竜巻現場(垂井町)-河合(土岐市)-市原(瑞浪市)-浪合(阿智村)-卍身延山久遠寺(身延町)-一宮町(長生郡)
(三浦芳聖著『神風串呂第十二編』5頁/1961年10月、新住所に改めた)
【地文のみ掲載】
「大宝」-「天王」-「阿弥陀山」-「表佐竜巻現場」-「河合」-「市原」-「浪合」-「卍身延山久遠寺」-「一宮町」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)大宝(島・雲南市吉田町川手)
神皇正統第百代・大宝天皇を表わす。
(2)天王(てんのう、岡・真庭市蒜山上徳山)
天皇(てんのう)を表わす。
リンクの地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。
(3)阿弥陀山(あみだやま、滋・高島市安曇川町中野)
この阿弥陀山は、下記神風串呂の阿弥陀山で延命長寿の多賀大社の大神を表わし、この串呂の守護神であると共に「救い」を表わします。
【参照】多賀大社と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№29)
「和田野」-「正善寺」-「和田」-「阿弥陀山」-「多賀大社」-「松永」-「天皇」-「上地八幡宮」-「願成寺」-「松良天皇御陵・三浦家墓地」-「三浦芳聖晩年の住所」-「和田辻」-「和田地区」
連想ゲームで「阿弥陀さん」といえば「救い」です。そう、阿弥陀さん(多賀大社の大神)が、大宝天皇を救って下さったのです。阿弥陀山は大宝天皇が辛くも危難を逃れ、「救われた事」を表わす地文です。
【参照】延命長寿法を昭示する神風串呂 (№16)
「多賀大社」-「西山」-「助命」-「西山」-「後醍醐天皇塔尾陵」-「山西」-「三浦」(西山三串の絶対確証の助命の神風串呂)
(4)表佐竜巻現場(岐阜県不破郡垂井町)
昭和36年(1961)9月27日午前10時30分頃、三浦芳聖が「尹良親王の御正体を解明する為の的確なる串呂地点をお示し下さい」と念じ、竜巻を起す秘法を厳修した事により発生した竜巻現場。
表佐は、影武者が表面を飾って犠牲となり、本命を佐(助)けると云う意味です。表(おもて)には「うわべ、外見」の意味が有ります。
(5)河合(岐・土岐市泉町)
大宝天皇が浪合から逃れ、三州作手、宮崎村を経て河合村(切越)に隠棲された事を表わす。
三浦家の系譜には、大宝天皇が永享10年(1438)、河合村(切越)に隠棲したと記録されていました。神風串呂の的確性に驚かされます。
下記の南朝史学会・藤原丸山氏の研究書により明らかです。
(6)市原(岐・瑞浪市土岐町)
市は、芳聖の父・三浦市次郎を表わす符号。市原は原(もと)は市次郎を表わす。原(もと)は、尊属を表わす。
また、三浦市次郎命(無学宗心居士)は、大宝天皇と同じ甲戌年生まれで、六白金星の丑年にお亡くなりになっています。三浦市次郎命=大宝天皇。
(7)浪合(長・下伊那郡阿智村)
長野県下伊那郡阿智村浪合には尹良親王の御陵・浪合神社が存在する。
藤原丸山(彦人)氏の『続南朝正統皇位継承論 尹良親王の伝説』7頁/1971年/南朝史学会には、応永3年(1396)と応永31年(1424)と永享7年(1435)の三つの浪合遭難の伝説があると出ています。
(8)卍身延山久遠寺(山・南巨摩郡身延町)
日蓮宗総本山身延山久遠寺のことですが、神風串呂では「長く久しく延命した」意味を表わす。
弘安4年(1281)に日蓮に依って「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられたという。(『ウィキペディア』久遠寺)
この串呂線上に「身延山久遠寺」という地文があったから、大宝天皇は延命できたと言えます。これも串呂主宰神の計画だったかも知れませんが。
南巨摩郡は、南朝正統の巨人(大物・天皇)と解読できます。
(9)一宮町(千・長生郡)
ここでは、松良天皇の第一皇子・美良親王を表わす。「長生郡一宮町」で、浪合で薨去されたのは、身代わりで、一宮・大宝天皇は、長生きされた事を表わします。
三浦家の系譜には、大宝天皇は、文明13年(1481)3月15日、岡崎市牧平町大門にて88歳で崩御と記録されてありました。
5、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
「大宝」-「天王」-「阿弥陀山」-「表佐竜巻現場」-「河合」-「市原」-「浪合」-「卍身延山久遠寺」-「一宮町」
神風串呂の世界では「卍身延山久遠寺」は、「長く久しく延命する」という意味ですが、この地文が有ったから大宝天皇は延命することが出来たのか、大宝天皇が延命したことを表わすためにこの地文が出来たのか、どちらでしょうか。
弘安4年(1281)身延山妙法華院久遠寺と名付けらる
永享7年12月(1435)浪合遭難事件
タイムラインから行くと、地文の方が先に出来ていますが、神界のタイムラインは、現界からは理解のほかですから何とも言えません。それにしても、神風串呂とは奥深く神秘的な世界だと思います。
串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)
情報拡散のお願い
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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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