💟第7話 神風串呂神伝-父の最期の絶叫(天照大御神の子育て)
🟡父の遺言
大正2年(1913年)6月30日の朝、芳聖の父・三浦市次郎は、死期を悟ったのか、学校へ行く挨拶に来た芳聖に、今日は学校を休んで看病するよう命じました。
そして他の子供が学校へ行ってしまうと、枕元で看病している芳聖に、三浦家に一子相伝に伝えられて来た「大切なもの」が埋めてある場所を教えて、成人になったら掘り出すよう命じ、「この件は自分の後継者になる子供以外には、たとえ将来結婚する妻と言えども語ってはならない!これは三浦家の固い掟である!」と遺言したのでした。
🟡父の最期の絶叫
そして、その夕刻(午後5時頃)、医師が臨終を告げた直後、市次郎は突如上半身を起こして布団の上に座り、
奥郡の蔵王山から木曽の三浦山を見よ!
と絶叫して息を引き取られたのでした。
この父の最期の絶叫は、その場に居合わせた人々の耳には「わぁ、わぁ、わぁ、わぁ〜」 という音声にしか聞こえませんでしたが、芳聖の耳には明瞭に「奥郡の蔵王山から木曽の三浦山を見よ! 」と聞き取れたのでした。
*奥郡とは、今の愛知県田原市付近(元渥美郡)の事です。
🟡神風串呂神伝
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