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如来堂村の由来
1、如来堂(バス停、群馬県桐生市相生町1丁目)
如来 (にょらい)とは、仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。あるいは、大乗仏教における諸仏の尊称。如来堂は如来を安置する建物。
桐生市の南西にある相生町1丁目は明治22年まで「如来堂村」と称していました。この如来堂村は、明治22年4月に5か村が合併して相生村が誕生した際に「山田郡相生村大字如来堂」となりました。
昭和29年(1954年)10月1日に桐生市に合併して、現在の名称である「桐生市相生町1丁目」となり、如来堂という地名はバス停や歩道橋にその名称が残っています。(「如来堂の由来」より)
この如来堂という地文(バス停・歩道橋)について調べていると、「如来堂」の由来というサイトに、串呂に必要な地名の成立譚ともいうべき、興味深いエピソードが語られていて、その内容が「串呂哲学的」でしたのでご紹介します。
鎌倉時代、仁田山(群馬県桐生市川内町)に、荘司・園田太郎成家という武士がおり、大番役で都(京都)へ上った際、法然上人に出会い仏門に入りました。
智明坊(ちみょうぼう)と名乗り、法然上人の下で6年間の修行を重ねた後、故郷で教えを広めるため帰国することになりました。
その際、上人から天智天皇の護特仏だったという、由緒ある阿弥陀如来像を頂戴し、牛の背に積んで仁田山への道を急がせました。すると藪塚(新田郡・現在の太田市)まで来た所で牛が倒れて死んだので時間を取られ、やっと出発するや渡良瀬川の増水で足止めとなり、前進することが出来なくなってしまいました。
そこで一行は、仕方なく薊村(あざみむら、如来堂村の古名)の塚の上にお堂を建て阿弥陀如来像を安置して布教を始めたところ、あちこちで霊験が現れたので、薊村(あざみむら)が如来堂村に改称されたというのです。
私は、この「如来堂」の由来を読み、鎌倉時代に如来堂村と命名されたのは、串呂の主宰神が関与している!とすぐに直感しました。
串呂の主宰神が神風串呂の設計図に従って、長年月掛けて必要な地文を設けてきた苦心談が残っていたと理解したからです。
2、如来堂村の由来(「如来堂の由来」より)
桐生市の南西にあって、新田郡笠懸町と隣り合わせる町が相生町で、その相生町の東武赤城線・新桐生駅やデパートの西友、改築成った市立桜木小学校を有する地域を相生町1丁目といいます。
この相生町1丁目というのは、桐生市合併以降の町名で、明治22年以前は「如来堂村」と称していました。他地区の人々は、この『如来堂村』という村の名を耳しますと、「ほう、珍しい村名ですね。」と、とても興味を示してくれます。
鎌倉時代(1182~1392)の昔にさかのぼります。仁田山(現在の川内町)に荘司・園田太郎成家という武士がおりました。その成家が大番役で都(京都)へ上った際、法然上人に出会われ、上人の得を慕って仏門に入られました。後に小倉(おぐら)の上人とあがめられるようになる智明坊(ちみょうぼう)が、誕生したのです。
智明坊は、法然上人のもとで、厳しい修行を6年間も重ねられた後、その教えを故郷に広めようと、元久2年(1205)、法然上人のもとを辞して、帰国の途につきました。そのときに、かつては天智天皇の護特仏だったという、由緒ある阿弥陀如来像を上人からいただいて牛の背に積まれ、仁田山への歩みを急がせました。(写真は如来堂報身寺の山門・仁王様です)
長い長い旅が重ねられ、ようようの思いで一行が藪塚(新田郡)まで到着したときでした。如来さまを背に、はるばる都から智明坊のお供をしてきた牛が、突然ドーッと、その場に崩れ落ちてしまいました。智明坊一行の手厚い看護の甲斐もなく、牛は息を引き取ってしまいました。さすがの牛も、重くて大きい如来さまを背にした長旅には耐えられまかったのでしょう。
智明坊は、その場で懇ろに牛の霊を弔う(牛の塔建立)と、新たに屈強の牛を求めて、心はやるがままに、その歩みを速められました。しかし、悪いことは重なるものといいます。仁田山への入り口にあたる渡良瀬川がにわかの増水で、渡ることができなくなってしまわれたのです。
赤石の渡しの渡し守たちも、
「この長雨のことだ。渡良瀬川の水が引くメド(あて)なんか、まったくたたねえ。当分は旅籠(はたご・宿屋)で待つしか仕方あるめえ。」
といいます。
故郷いりへの心が急ぐからと言って、一行には、増水した川を渡る手だてなど全く考えも及びません。
智明坊は、やむなく薊村(あざみむら、如来堂村の古名)の手ごろな塚の上にお堂を建てて、しばらくは如来さまを安置することにしました。そして、仁田山での布教に先立って、まずは薊村での布教活動に入られました。
(写真は如来堂歩道橋です)
如来さまを安置した塚は、周囲にグルリとシダレザクラが植えられてありましたので、里人に「桜塚」と呼ばれていた場所でした。その桜塚に如来様が祀られてからというものは、智明坊の布教の深まりとともに、村内のあちこちでありがたい霊験が顕薯にあらわれるようになりました。
里人たちは、
「なんとも有り難い仏さまだ。」
「これほどのご利益(ごりやく)をお授けくださる仏さまには、ぜひとも、この土地に長くおとどまりいただきたいものだ。」
と語り合い、これまでの「薊村」から「如来堂村」へと変えてしまったのです。
「珍しい村名ですね。」
と、人々に言われる如来堂村には、こんなにも素晴らしい『村名命名』の由来があったのです。
いま、川内2丁目・崇禅寺(臨済宗、元久2年=1205=創建)に、崇禅寺のご本尊として、また群馬県指定の重要文化財として、手厚い保護のもとで安穏な日々を送っておられる阿弥陀如来さまがあります。昔も今もかわりない慈悲のまなざしを私たちに注ぎつづける、その如来さまが、実は、むかぁし、薊村を如来堂村へと改称させた「ありがたい仏さま」ご本人なのです。(「如来堂」の由来)
3、八尺鏡野と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂
「八尺鏡野」-「石鏡町」-「三浦芳聖晩年の住所」-「古真立」-「両神山」-「天神」-「如来堂バス停」-「天神町」-「明神」-「大平山」
この神風串呂は、天照大御神の御魂代である「八尺鏡」「石鏡」は、「三浦芳聖晩年の住所」は「如来堂」であり、古(いにしえ)の真(まこと)を立てれば世界は太平になると解釈します。
「天照大御神」より「八尺鏡」を授けられて「高天原」より降臨した「八幡大明神」であり「弥勒大如来」である「三浦芳聖」を奉戴して之を立てれば(古真立)全世界の太平を招来する。(三浦芳聖『神風串呂』177号49頁)
4、報身寺
バス亭「如来堂」の東側に「報身寺」という寺院がある。「報身とは仏陀となるための因としての行を積み、その報いとしての完全な功徳を備えた仏身である。」『ウィキペディア(Wikipedia)』報身
5、智明坊
鎌倉時代の僧。承安(じょうあん)4年(1174年)生まれ。浄土宗。鎌倉幕府御家人。
正治(しょうじ)2年、京都で法然の教えをきき僧となる。郷里の上野(こうずけ・群馬県)にもどり、教導して家のもの二十余人をみな出家させ、山田郡小倉村に庵室をむすんだ。
宝治(ほうじ)2年(1248年)9月16日死去。75歳。俗名は薗田成家。
串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)
情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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