1、芳聖の迷いは雲散霧消した
芳聖は、それまでの悩みがすっかり晴れ、秘密を打ち明けて下さった田中光顕伯に歓喜の涙と共にお礼を言って、
「明治天皇は、たとえ三浦家の傍系から出られたと雖も、畏くも天照大御神のご冥慮に叶わせられて天佑を保有したもう。我また何をかいわんや。父の遺言通り系図は地下に埋蔵して何人にも語りませぬ。」
と申し上げた所、田中伯爵は「よく分かって下さってありがたい。但し只今申し上げたことは、何人にも語らぬという誓約をして頂きたい」と言われたので、言われるままに誓約書を書いた所、田中伯爵は「ご貴殿のご将来の為に私の無二の親友、頭山満翁を紹介するから。」と言い、
自ら電話を掛けて連絡を取り、芳聖を国家主義者の大物である玄洋社の頭山満翁の御屋敷(東京都渋谷区常盤松町の頭山邸)に連れて行った。
恐らく田中光顕伯爵は、この重大事件の処理について、自分一人では自信が持てなかったので、国家主義者の大物「頭山満翁」に相談し、また後々問題が起きないよう睨みを利かす重石になって欲しかったのだろうと思う。
芳聖の著書から引用します。
2、頭山満翁遺訓
以下は、芳聖の著書からの引用です。
萬國を併せて王たるも、菰をかむりて一椀の主たるも、形の上の事なら蟻の塔の大小も同じで、畢竟児戯にすぎず。彼を栄とし、之を辱とし、或は喜び、或は悲しむは吝な話、たゞ一心の天に通ずるあらば、布衣と雖も決して王者に劣るものではない。
此の空前絶後の偉大なる御教訓を賜ったのであります。私は此のご教訓を拝して廓然として覚ったのであります。すでに「田中光顕伯」から真実の事を聞いて前記の如く私の迷いは全く晴れていたのであるが、更に此の大巨人「頭山満翁」の偉大なる御教訓に接して、真に「一心が天に通ずる聖人にならねばならぬ」と固く固く決意を致しました。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』序文42~35頁)
3、芳聖が三浦系図の鑑定を仰いだ証
戦前、芳聖が後醍醐天皇の直系の皇孫だという事を知っていた人は、山口鋭之助、田中光顕、頭山満の他にはいなかったはずだが、山口鋭之助の秘書官だった豊橋市の「原与作」氏が、昭和37年(1962年)『日本の良識』(不二タイムス社刊)という本を出版して、戦前宮内省で「三浦皇統家」のことが問題になっていたことが判明した。
芳聖の大著でも引用されているが、『日本の良識』(不二タイムス社刊)の第7頁から8頁の一節に三浦芳聖と山口鋭之助の話題が出ている。
芳聖が田中光顕伯爵に系図を見せた証拠はまだある。昭和6年(1931年)に文部省から発行された『歴代天皇御製集』335頁に、長慶天皇の御製として下記の和歌が掲載されている。
この和歌は、実は三浦皇統家系図に書かれてあった第百代大宝天皇が詠まれた歌であるが、芳聖が田中光顕伯爵に
と頼んだが、「大宝天皇」ということでは出来ないと言われたので、それならせめて長慶天皇の御製という事にして載せて頂きたいと懇願して掲載して貰ったものだ。
この歌は、大宝天皇が切越において16年もの長期間、大般若六百巻を念書され、至誠通神・天照大御神から「天の岩戸篭りをして牧平大門に移住するよう」命じられた時に詠まれた歌だ。
詳細は下記の「大宝天皇の御製を昭示する神風串呂 (№8)」を参照してほしい。
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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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