見出し画像

三浦芳聖伝 17、日曜院の住職時代(6)


1、芳聖の迷いは雲散霧消した

芳聖は、それまでの悩みがすっかり晴れ、秘密を打ち明けて下さった田中光顕伯に歓喜の涙と共にお礼を言って、

「明治天皇は、たとえ三浦家の傍系から出られたと雖も、畏くも天照大御神のご冥慮に叶わせられて天佑を保有したもう。我また何をかいわんや。父の遺言通り系図は地下に埋蔵して何人にも語りませぬ。」

と申し上げた所、田中伯爵は「よく分かって下さってありがたい。但し只今申し上げたことは、何人にも語らぬという誓約をして頂きたい」と言われたので、言われるままに誓約書を書いた所、田中伯爵は「ご貴殿のご将来の為に私の無二の親友、頭山満翁を紹介するから。」と言い、

自ら電話を掛けて連絡を取り、芳聖を国家主義者の大物である玄洋社の頭山満翁の御屋敷(東京都渋谷区常盤松町の頭山邸)に連れて行った。

恐らく田中光顕伯爵は、この重大事件の処理について、自分一人では自信が持てなかったので、国家主義者の大物「頭山満翁」に相談し、また後々問題が起きないよう睨みを利かす重石になって欲しかったのだろうと思う。

芳聖の著書から引用します。

 爰(ここ)に於て私(三浦芳聖)は全く感激に堪えず、私の家は神皇正統嫡皇孫家に絶対間違い無いけれども、例え傍系から出られても、その御聖徳が「天照大御神」様の御神慮に叶って、かくも劣等国から吾が国が世界の三大強国の一つになったと云うことは、「天照大御神」の御冥慮に叶わされた「明治天皇」の御聖徳に致す所で、此の御神慮に依って「明治天皇」の御皇孫が永遠に萬世一系の宝祚を踏ませ給う千古不磨の欽定憲法が御制定になったのだと感得致しました時に、全く今までの悩みは悉く雲散霧消致しました。
 其処で私は「田中光顕伯」に、『よくお打ち明け下さいました。お蔭で遠祖「後醍醐天皇」の御天意が全く「明治天皇」に依って継承された事がよく解りました。此の上は私は御皇室に対して絶対忠誠をお誓い致します。最早私は何の迷いも無くなりました。真に有難う御座いました。』と深く感謝を致しました。「田中光顕伯」は
 それではあなたの所の系譜や記録は深く地下へ埋蔵せられ、一生一切語らぬと云う事と、又折角安定した人心を迷わす様な結果になるから、その神風串呂は絶対他人には口外せぬと云う事を誓約して頂けるかとおっしゃるので、神風串呂の研究は聖父の御遺言であるから一生研究して参りますが、「極秘伝の記録と系譜」及「神風串呂」の事は終生何人にも絶対語りませぬ、と其の時血判までして誓約致しました。
 そうすると、「田中光顕伯」は『あなたにいい人を紹介してあげるから』と云う事で、「山口鋭之助」先生とは其処でお別れして、私を東京都渋谷区常盤松町の「頭山満翁」の御屋敷へつれて行って下さったのであります。

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』序文42~35頁)

2、頭山満翁遺訓

頭山 満(とうやま みつる、1855年5月27日- 1944年10月5日、幼名:乙次郎)は、明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社の総帥でもある。号は立雲。

中部国民道場
(三浦芳聖著『串呂哲学第一輯』巻頭写真)

以下は、芳聖の著書からの引用です。

「頭山翁」には、昭和三年十二月九日、日本青年会館で「渥美勝」先生の葬儀の時、御顔は拝見していますが、親しく膝つき合わして御言葉を交わす事は初めてであります。

「頭山邸」では私を座敷へ通されまして、「田中光顕伯」には、私の所の極秘伝の記録と系譜を持って行って別室で約一時間程会談されて、それから御両人揃って私の通された座敷へ来られて、改めて「頭山満翁」に紹介され、「頭山満翁」には『あなたにいい贈物を進上します』と仰せになって、私の目の前でお書き下さったのが、私の終生の座右の銘となった次の御教訓であります。

頭山満遺訓
(三浦芳聖著『串呂哲学第一輯』巻頭写真)

萬國ばんこくあわせて王たるも、こもをかむりて一椀いちわんぬしたるも、かたちの上の事ならありとう大小だいしょうも同じで、畢竟ひっきょう児戯じぎにすぎず。かれえいとし、これじょくとし、あるいは喜び、あるいは悲しむはけちな話、たゞ一心の天に通ずるあらば、布衣ふいいえども決して王者おうじゃおとるものではない。

 此の空前絶後の偉大なる御教訓を賜ったのであります。私は此のご教訓を拝して廓然として覚ったのであります。すでに「田中光顕伯」から真実の事を聞いて前記の如く私の迷いは全く晴れていたのであるが、更に此の大巨人「頭山満翁」の偉大なる御教訓に接して、真に「一心が天に通ずる聖人にならねばならぬ」と固く固く決意を致しました。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』序文42~35頁)

*コラム・超世志のここだけの話
 昭和4年当時、数えの26歳の青年だった芳聖は、田中光顕伯爵の打明け話と頭山満翁遺訓で、悩みは全て晴れたのだが、串呂主宰神(日本神界)は、この両巨頭の措置に不満であった。両巨頭の本末転倒の判断の結果、神皇正統家を世に出す好機を見逃したからだ。
 この時、神皇正統・三浦皇統家に、しかるべき処遇がなされていたら、日本は先の戦争で敗れ、外国軍に占領されることはなかったはずである。
 日本の運命は、この時の両巨頭の誤った判断で決まり、その結果、明治維新以来、国民に多大な犠牲を強いて築いた業績は、明治大帝の崩御後たったの35年、昭和4年からなら、わずか16年で無に帰した。
 苦心して拡張した新領土のみならず、千古不磨の欽定憲法も、教育勅語も軍人勅諭も、果ては日本国の独立すらも悉く否定され、GHQに占領憲法を押し付けられ、未だにアメリカの属国状態になっている。

3、芳聖が三浦系図の鑑定を仰いだ証

戦前、芳聖が後醍醐天皇の直系の皇孫だという事を知っていた人は、山口鋭之助、田中光顕、頭山満の他にはいなかったはずだが、山口鋭之助の秘書官だった豊橋市の「原与作」氏が、昭和37年(1962年)『日本の良識』(不二タイムス社刊)という本を出版して、戦前宮内省で「三浦皇統家」のことが問題になっていたことが判明した。

芳聖の大著でも引用されているが、『日本の良識』(不二タイムス社刊)の第7頁から8頁の一節に三浦芳聖と山口鋭之助の話題が出ている。

 問題は天皇にあるのでなく、君側にあるのだ。私は十年間宮中顧問官の秘書で宮中の内部を少し知ったが、君側の者の特殊性、すなわち彼らのきたならしい優越感による行動である。この部落根性が天皇と国民を切離している。皇太子の結婚にも「粉屋の娘」という言葉が出たが、これは特殊的な潜在意識から出たもので、この意識が大きなガンとなっている。
 天皇ははじめから国民のための国民による天皇であって、国民以外の天皇ではない。戦前に私達は行幸の警戒をゆるめて、もっと国民と接近させるべきであり、皇室財産も国有として、一切無私有の原則に立ち、皇室費は「荷前の思想」により、全国民の浄財で賄うのが本来の姿であると主張した。いまもその考えは変らぬ。
 戦後南朝正統の問題が出たが、戦前でも問題になっていた。豊川市に住む南朝の直系という人の不満を押えた山口鋭之助宮中顧問官は奇人であって、自ら狂人と称していたほどだから、皇室財産否定論を宮中で叫んだのである。(原与作著『日本の良識』不二タイムス社刊、7頁~8頁)

芳聖が田中光顕伯爵に系図を見せた証拠はまだある。昭和6年(1931年)に文部省から発行された『歴代天皇御製集』335頁に、長慶天皇の御製として下記の和歌が掲載されている。

九重のみぎりをめぐるみかは水すみこし末はたえじとぞ思ふ

この和歌は、実は三浦皇統家系図に書かれてあった第百代大宝天皇が詠まれた歌であるが、芳聖が田中光顕伯爵に

明治天王が松良天皇第四皇子光良親王の御子孫と解れば我また何をか言わん。然しながら何卒三河へ神皇正統の天皇が蒙塵されたことだけでも顕らかにして頂きたい。それが出来なければせめて大宝天皇の、神皇正統の最後の天皇の御製だけでも発表して貰いたい。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』282~283頁)

と頼んだが、「大宝天皇」ということでは出来ないと言われたので、それならせめて長慶天皇の御製という事にして載せて頂きたいと懇願して掲載して貰ったものだ。

この歌は、大宝天皇が切越において16年もの長期間、大般若六百巻を念書され、至誠通神・天照大御神から「天の岩戸篭りをして牧平大門に移住するよう」命じられた時に詠まれた歌だ。

詳細は下記の「大宝天皇の御製を昭示する神風串呂 (№8)」を参照してほしい。

三浦芳聖が田中光顕に頼んで、文部省発行の『歴代天皇御製集』(335頁)に長慶天皇の御製として載せて貰ったという大宝天皇の御製「九重の砌をめぐる三河水住み越し末はたえじとぞ思ふ」は、『歴代天皇御製集』には「寄水祝」の題で「九重のみぎりをめぐるみかは水すみこし末はたえじとぞ思ふ」(天授二年・千首和歌)となっている。


🟣バックナンバー総合

🔴情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂や三浦芳聖伝の紹介記事のバックナンバーです。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№130)
🟢次号(№132)

******************
🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
*******************

串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により活動が維持されています。理解しやすい記事作成のために諸般の費用が掛かります。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方のご支援に感謝しています!