皇大神宮内宮と興国天皇御陵の神風串呂(№59)
この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。
串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
神風串呂は、地文(地名)を研究することで神の存在を認識することのできる神道皇霊学で、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。地名(地文)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、「皇大神宮内宮と興国天皇御陵の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
1、串呂で遠祖の終焉の地を制定する試練!
三浦家に一子相伝に継承された三浦系図には、興国天皇の終焉の地は「猿田小高陵に葬る」とあっただけでしたので、候補地はいくつかありましたが、興国天皇の御陵墓制定は、なかなか確定出来なかったようで、三浦芳聖は43年掛かったと述べています。
三浦芳聖が制定した興国天皇の御陵、愛知県岡崎市明見町田代の「宮崎山伝正院裏山」は、三浦芳聖の降誕地から、直線距離で約8キロの身近な所にあったのに分からなかったのは、三浦芳聖の父親が、病気で急死した為、口頭で伝えられなかったからではないかと想像しています。
また、長期間にわたって串呂を構築して来られた串呂主宰神の立場に立ってみますと「手がかりが少なくても、神風串呂で解明できることを実地に体験させたい!」という御希望(親心)ではなかったかとも想像しています。
いずれにしても、三浦芳聖には、串呂で遠祖の終焉の地を制定する試練でした。
今回ご紹介するのは、興国天皇(守永)の御陵は、「宮崎山伝正院裏山」として確定してもよいかを、皇大神宮内宮の神様に鑑定して頂くという視点の神風串呂です。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、皇大神宮内宮と興国天皇御陵の神風串呂
三浦芳聖は神皇正統の皇位継承を昭示(あるいは鑑定)する重要串呂起点である「皇大神宮内宮」(伊勢市宇治館町)と「興国天皇御陵」(愛知県岡崎市明見町田代、宮崎山伝正院裏山)とを串呂すると次の様になると述べています。
「和気」(熊野市)-「⛩皇大神宮内宮」(伊勢市)-「興国天皇御陵」(岡崎市)-「巴山」(岡崎市)-「三都橋」(設楽町)-「小松」(設楽町)-「中田」(東栄町)-「大蛇」(上松町)-「南天山」(秩父市)-「天神」(本庄市)-「如来堂バス停」(桐生市)-「明神」(日光市)-「登り内」(大田原市)-「小松」(白河市)-「⛩小高神社」(相馬市)
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』137頁、現住所に改めた)
【地文のみ掲載】
「和気」-「⛩皇大神宮内宮」-「興国天皇御陵」-「巴山」-「三都橋」-「小松」-「中田」-「大蛇」-「南天山」-「天神」-「如来堂バス停」-「明神」-「登り内」-「小松」-「⛩小高神社」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)和気(わけ、三重県熊野市紀和町)
往昔、国体を変革せんとした弓削道鏡の企てを阻止した大忠臣・和気清麻呂公(護王大明神)の和気で、国体護持の護王精神を表します。
ここでは、興国天皇(守永)は、神皇正統の天皇である事を表わす。
『ウィキペディア(Wikipedia)』和気清麻呂
三浦芳聖は、天皇に関する串呂では「和気は正真正銘の天皇」を表わす。また、応神天皇の御名が「品陀和気(ほんだわけ)」ですから、之にも通ずることになると述べています(同上著、第一章44頁)。
『古事記』では品陀和気、『日本書紀』では誉田別と表記される。
和気(わけ)は、国体護持のため活躍した和気清麻呂に象徴される地文。
弓削(ゆげ)は、臣下にして皇位を伺った弓削道鏡に象徴される無道の者、国体破壊者、権力者が勝手(不当)に擁立した天王を象徴的に表わす地文。天照大御神の御心に反するという意味にも解釈できます。
和気=国体護持 弓削=国体破壊
(2)皇大神宮内宮(三重県伊勢市宇治館町)
皇祖天照大御神をお祭りする「わが国二所の宗廟」の一つで、八大串呂起点のひとつ。天照大御神は、神風串呂の主宰神。ここでは、興国天皇の御陵を鑑定する串呂起点。詳細はこちらをご覧ください。
(3)興国天皇御陵(愛知県岡崎市明見町田代、宮崎山伝正院裏山)
興国天皇御陵(こうこくてんのうごりょう)は、愛知県岡崎市明見町田代「宮崎山伝正院」裏山にあるという。
宮崎山伝正院は、尊良天皇の第二皇子「基良親王」(良玄法親王)が開基したお寺で、尊良天皇を陰祀せる「太子堂」が有名。
(4)巴山(ともえさん、愛知県岡崎市千万町)
作手守義に隣接した地区なので、興国天皇の隠棲地であった可能性がある。
三河の源流=三の源=三浦皇統家の遠祖。
三河の源流の在る山。頂上付近に⛩白鬚神社がある。興国天皇と⛩白鬚神社(猿田彦)とは関係が深い。三浦系図には「猿田小高陵に葬る」と書かれてありました。
下記参照のこと。
(5)三都橋(みつはし、愛知県北設楽郡設楽町)未解明。
作手守義に隣接した地区なので、隠棲地であった可能性がある。設楽町三都橋は、津島神社の参候(さんぞろ)祭で有名。
参候祭 設楽町三都橋 津島神社
(6)小松(こまつ、愛知県北設楽郡設楽町)
興国天皇の皇位後継者、小松天皇を表わす。他の「小松」とで、小松二串の確定立証の神風串呂を構成している。
(7)中田(なかた、愛知県北設楽郡豊栄町振草小林)
守永天皇の母「右大臣西園寺公顕の女・藤原清子(御匣殿)」の霊統・霊格をあらわす地文。中田は貴族・高官の家柄の母を表わす。
天皇の母の霊統・霊格をあらわす地文には「太田(大田)」「中田」「平田」「小田」であらわされる。
(8)大蛇(長野県下伊那郡天龍村長島)
皇女、小室門院元子内親王(辛巳年生まれ)を指す。1390年頃、富士の皇居が落城し、その後、静岡県牧之原市に隠棲中、非業の最期を遂げられた小室門院元子内親王は、牧之原市大寄部ヶ谷の妙覚塚に葬られたが、戦後、三浦芳聖が訪ねて行った時には、大蛇の姿になっていたという(霊視)。
天龍村の天龍は興国天皇を表わす。
(9)南天山(なんてんやま、埼玉県秩父市大滝村)
南朝の天皇を表わす。
【参照】三浦山は長野県木曽郡王滝村にある。
南天山(大滝村)・・・三浦山(王滝村)
(10)天神(てんじん、埼玉県本庄市)
天神地祇(てんじんちぎ)の天神で、天津神(あまつかみ・天孫)をあらわす地文。住居表示に関する法律により消滅。天神川に地名が残っている。
リンクの地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。
【参照】『ウィキペディア(Wikipedia)』天津神・国津神
(11)如来堂バス停(にょらいどうバス亭、群馬県桐生市相生町1丁目)
如来 (にょらい)とは、仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。あるいは、大乗仏教における諸仏の尊称。如来堂は如来を安置する建物(寺院)。
ここでは、「興国天皇の御陵の尊称」と解釈します。如来堂については「如来堂の由来」を参照ください。
八尺鏡野と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂
「八尺鏡野」-「石鏡町」-「三浦芳聖晩年の住所」-「古真立」-「両神山」-「天神」-「如来堂バス停」-「天神町」-「明神」-「大平山」
(12)明神(みょうじん、栃木県日光市)
明神(みょうじん)とは、日本の神道の神の称号の一つ。(天皇を指す場合には「あきつかみ」と読む。現人神参照。)ここでは、五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖の尊称と解釈します。日光市は「大日」同様「天皇(天津日嗣)」を表わす。
(13)登内(とうち、栃木県矢板市)
天に昇る=帰幽を表わすか?「登玉」同様「登極」の諺文か?未解明。
(14)小松(こまつ、福島県白河市表郷)
興国天皇の皇位後継者、小松天皇を表わす。他の「小松」とで、小松二串の確定立証の神風串呂を構成している。
(15)⛩小高神社(おだかじんじゃ、福島県相馬市小高区小高字城下)
小高=こたか=小鷹は、興国天皇の別称。祭神は、天之御中主命。この串呂の守護神であると同時に、興国天皇(守永)を表わす。
小高区小高の小高神社で「小高三串」に相当します。
尊良天皇の符号は大高(おおたか・大鷹)で、その皇子の興国天皇の符号が小高(こだか・小鷹)と符牒が合せてあるようだ。
愛知県北設楽郡設楽町名倉の「⛩小鷹神社」は、護良親王を祭神としているが、護良親王が三河地方に来られたとは考えられず、南朝史学会の藤原石山氏は、守永=もりなが=護良で、興国天皇(守永)を御祭りした神社であり、他の地方の伝承からも小鷹(こたか)が、興国天皇(守永)の別称であることを考証している。
【参照】小鷹神社(北設楽郡設楽町)
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
「和気」-「⛩皇大神宮内宮」-「興国天皇御陵」-「巴山」-「三都橋」-「小松」-「中田」-「大蛇」-「南天山」-「天神」-「如来堂バス停」-「明神」-「登り内」-「小松」-「⛩小高神社」
三浦芳聖は、この串呂について下記のように述べています。
「和気」「⛩皇大神宮内宮」「興国天皇御陵」「南天山」「天神」「明神」「⛩小高神社」など重要地文が同一方角線上に位置している神秘的な神風串呂です。
小高(小鷹)は、興国天皇(守永)の別称ですから、愛知県岡崎市明見町田代「宮崎山伝正院裏山」を「興国天皇御陵」と制定することが出来たということです。
神風串呂のお蔭で、興国天皇の終焉の地が判明したのです。これは、素晴らしいことだと思います。
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🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志)
🔴バックナンバー(総合)
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この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
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神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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