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💟矢田の天王と後村上院御陵との神風串呂(№188)

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。 元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。

 串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。 
 
ここでは、「矢田の天王と後村上院御陵との神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。 

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう! 
 
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。 
 
 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。



矢田の天王と後村上院御陵との神風串呂

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

1、重要串呂起点「矢田の天王」

矢田の天王とは上の串呂図の中央にある天皇(岡・新見市哲西町矢田地区)のことで、三浦芳聖の著書で「天皇」となっているのは、旧版の地図には「天皇」と印刷されていたからです。

新見市哲西町矢田地区「天王」(国土地理院地図)

この哲西町矢田地区「天王」は、如何なる天皇であったかを鑑定する重要串呂起点の一つです。

【参照】天王(岡山県新見市哲西町矢田)

今回ご紹介するのは、この矢田の天王から「後村上院(義良親王)」の御陵を鑑定して頂く視点での神風串呂です。下記串呂を参照の上お読み下さるとより理解しやすいと思います。

【参照】後村上院(義良)午年皇子説立証の神風串呂(№186)
【参照】内宮と後村上院御陵とを結ぶ神風串呂(№187)

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、矢田の天王と後村上院御陵との神風串呂

三浦芳聖は、天王(岡・新見市)と後村上院御陵(大・河内長野市観心寺)とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。

天王(新見市)-大松(高梁市)-勢力(赤磐市)-日生(備前市)-(姫路市)-馬瀬(忠岡町)-後村上院御陵(河内長野市)-高天(御所市)-⛩吉野神宮(吉野町)-御園(吉野町)-天神山(南伊勢町)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第一章25頁、現在の地名・新住所に改めました。)

【地文のみ掲載】
「天王」-「大松」-「勢力」-「日生」-「宮」-「馬瀬」-「後村上天王御陵」-「高天」-「吉野神宮」-「御園」-「天神山」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)天王(てんのう、岡山県新見市哲西町矢田)
この岡山県新見市哲西町矢田の「天王」は、どのような「天皇」であったかを鑑定する要素が強い八大重要串呂起点です。

八咫鏡(やたのかがみ)にちなんで「矢田の天王」(やたのてんのう)と呼んでいます。

この「天王てんのう」は、巻頭の串呂図をご覧になればお分かりの様に、「三浦」「天皇」「由良」を表わす十文字串呂の中心にある超重要地文です。

この「矢田の天王」は、哲西町矢田地区の住居表示変更に伴い、地図検索では見る事が困難になりましたが、確かに存在する地名です。位置は哲西中学の東側に当たります。

この地名は、「備中・豆木城」の所在地「岡山県新見市哲西町矢田字天王豆木山」に見ることができます。

岡山県新見市哲西町矢田字天王豆木山

三浦芳聖の著書で「天皇」となっているのは、旧版の地図には「天皇」と印刷されていたからです。

矢田の天王
岡山県新見市哲西町矢田(MapFan地図)

【参照】天王(岡山県新見市哲西町矢田)

(2)大松(だいまつ、岡・高梁市中井町西方)
松は常緑樹で四緑木星を表わす。大は大物を表わす。すなわち四緑木星生れの義良親王を木の中でも「大松」と称えている地文です。

リンクの地図は右上の「地理院地図Vector」をクリックすると見られます。

内宮と後村上院御陵とを結ぶ神風串呂(№187)
「馬木」-「後村上院御陵」-「松山」ー「三津」ー「三峰山」ー「上出江」-「皇大神宮内宮」の松山(四緑木星生れを表わす)を参照の事。

高梁市大松
岡・高梁市中井町西方(地図マピオン)

(3)勢力(せいりき、岡・赤磐市)国内唯一の地名。
吉野朝の義良親王が、かなりの勢力を持っていたことを表わす。

『ウィキペディア』観応の擾乱「正平一統」を参照のこと。

勢力
岡山県赤磐市(地図マピオン)

(4)日生(ひなせ、岡・備前市日生町)
日+生=星で、皇子の諺文。ここでは義良親王が神皇正統の天皇ではなく南朝副統の天王だったことを表わす。

三浦芳聖は、「右の星の実証には、名古屋市南区星崎町に名古屋大学の前身愛知医学専門学校を創始した柴田紹平翁の孫に、翼賛会当時の私の門人であった、四緑木星午年の柴田憲良と云うのがあります。現在は南区前浜通りで其の子息と共に医院をしています。」と述べています(同上著第一章22頁)。「憲良」は後村上院の初名。

備前市日生町
岡山県備前市日生町(地図マピオン)

(5)(みや、兵・姫路市家島町)
宮様のことで皇族を表わす。ここでは義良親王が神皇正統の天皇ではなく南朝副統の擬天皇だったことを表わす。

家島町宮
兵庫県姫路市家島町(地図マピオン)

(6)馬瀬(まぜ、大・泉北郡忠岡町)
「馬のいる所」のこと。馬は午年をあらわす。すなわち、(2)大松と併せて、義良親王が元徳2年(1330)四緑木星・庚午年生まれの皇子であったことを昭示する地文。

岡町の瀬」は、後村上天王が大義名分をわきまえ、神皇正統の天皇を守るために副統の天王を演じた「忠義な午年生まれの親王」であったことをあらわす。下記神風串呂の「大忠」に同じ。

忠岡町馬瀬
大阪府泉北郡忠岡町(地図マピオン)

【参照】後村上院(義良)午年皇子説立証の神風串呂(№186)
「王院山」-「大木川」-「美女原」-「釜村」-「大忠」-「南山方」-「後村上天王御陵」-「後醍醐天皇御陵」

(7)後村上院御陵(ごむらかみいん御陵、大・河内長野市寺元観心寺)
高野山真言宗「観心寺」後山にある檜尾陵(ひのおのみささぎ)のこと。

観心寺後村上
後村上院御陵
檜尾陵
大阪府河内長野市寺元観心寺(地図マピオン)

(8)高天(たかま、奈・御所市)国内唯一の地名。
「たかてん」と読めるので、尊治(たかはる)天皇、尊良(たかなが)天皇の符号。ここでは「後醍醐天皇(尊治)」(義良親王の父)をあらわす。

高天
奈良県御所市(地図マピオン)

御所市高天には「史蹟 高天原」の石碑がある。「⛩高天彦たかまひこじんじゃ神社」には「高皇産巣日神たかみむすびのかみ」が祀られている。古代からの由緒深い地名である。(神風串呂史観)

(9)吉野神宮(よしのじんぐう、奈・吉野郡吉野町)
後醍醐天皇を奉祀する旧官幣大社。義良親王が自ら刻んだと伝えられる後醍醐天皇の尊像が吉水神社から移されて御神体とされた。 
『ウィキペディア』吉野神宮 吉野神宮公式サイト

吉野神宮
奈良県吉野郡吉野町(地図マピオン)

(10)御園(みその、奈・吉野郡吉野町)
皇室をあらわす雅語で、皇族をあらわす。同じ「みその」でも、「御薗」は天皇・皇后をあらわす。

北陸朝廷の存在を昭示する神風串呂 (№20)
「金崎神宮」-「御在所山」-「国府町・天王山忠魂碑」-「御薗町」-「一色」-「皇大神宮内宮」 の「御薗町」を参照のこと。

吉野町御園
奈良県吉野郡吉野町(地図マピオン)

(11)天神山(てんじん山、三・度会郡南伊勢町栃木竈)
天神(あまつかみ)は、天皇をあらわす地文。ここでは義良親王の父・後醍醐天皇をあらわす。

南伊勢町天神山
三重県度会郡南伊勢町栃木竈(地図マピオン)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「天王」-「大松」-「勢力」-「日生」-「宮」-「馬瀬」-「後村上天王御陵」-「高天」-「吉野神宮」-「御園」-「天神山」

後醍醐天皇の皇子・義良親王は四緑木星午年の大物であり、宮であり、星であり、かなり勢力を持っていた吉野朝(南朝副統)の天王であったことを吉野神宮の祭神・後醍醐天皇が立証している。

後醍醐天皇の皇位継承者尊良天皇奉斎の「金崎神宮」と「後村上天王御陵」とを比較対照下さい。神風串呂の的確性がよく理解されます。

 醍醐天皇-村上天皇(延喜・天暦の治)
後醍醐天皇-上村上天皇(尊良天皇)・・神皇正統(内伝極秘・北陸朝廷)
後醍醐天皇-後村上天王(義良親王)・・南朝副統(陽動作戦・吉野の桜)

🟠後醍醐天皇(治)・・・吉野のサクラ (おとり)
🟢東山天皇(良)・・・・崎宮、摂社掛け神社
🟡後村上天王(良)・・・肢、足、

🟢矢田の天王と金ヶ崎神宮との神風串呂(№21)
上村上」-「天王」-「三浦」-「元伊勢内宮」-「大君」-「⛩金崎神宮」 

🟡矢田の天王と後村上天王御陵との神風串呂(№188)
天王」-「大松」-「勢力」-「日生」-「」-「馬瀬」-「後村上天王御陵」-「高天」-「吉野神宮」-「御園」-「天神山

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串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖の伝記及び三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
 三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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串呂哲学研究ノート(鈴木超世志)
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