皇大神宮内宮と萩村寓居の神風串呂(№104)
この記事は、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。
神皇正統嫡皇孫「三浦芳聖」が解明した「皇大神宮内宮を基点とした神風串呂」の解説書です。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国であることを認識し、体感、体得することができるでしょう!
1、汝が天皇である!死ぬことを許しません!
昭和20年(1945)8月24日、愛知県宝飯郡音羽町萩村上近久(現在の豊川市萩町)の寓居において、敗戦の責任を痛感し、切腹自裁せんとした三浦芳聖に、天照大御神様が御降臨になって直々に御神諭を賜った。
御神諭の主旨は、「汝は、往昔、大宝天皇が祈念せし、五皇一体の再現・八幡大明神である。その八幡大明神として、この世に出現した使命を全うする迄は、勝手に死ぬことは許しません!」というものでした。
三浦芳聖は、これは極限状態の中での妄想かも知れないと、切腹自裁を50日間の断飲断食に替えた所、最初の10日間ほどで、全身が干からびて、意識が朦朧となり、ほぼ枯死しかけたが、11日目位から霊界より有形無形の飲食を与えられ、蘇生したばかりでなく、以前にも増して頑強な身体になったという。
三浦芳聖は、それでも自分が天皇であるという確信が持てなかったので、行脚して石清水八幡宮へ参篭し、「天照大御神の御神諭が本当なら、世界に二人と無い実証をお示し下さい。妄想であったなら、私の命を召し上げて頂きたい。また私の血統も絶やして頂きたい。」と熱祷祈願した。
すると午前6時頃、「外へ出て太陽を見よ!」という霊示があったので、外へ出て太陽を凝視した所、まったく眩しくなく、爾来、真夏の烈日を終日凝視していても全く眩しくなく、真善美なる宝鏡を拝する如き心境になったと述べている。
今回は、三重県伊勢市宇治館町の皇大神宮内宮から愛知県豊川市萩町の三浦芳聖の寓居への神風串呂をご紹介します。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、内宮と三浦芳聖の萩村寓居の神風串呂
三浦芳聖は、三重県伊勢市の皇大神宮内宮を起点にして、愛知県豊川市萩町上近久の三浦芳聖の萩村寓居を串線すると次の様な神風串呂になると述べています。
平成時代になって、国土地理院発行の20万分の1の地図で確認した所、この線上に、聖天(しょうてん、埼玉県秩父郡小鹿野町般若)という地名を発見しました。昭和時代に発行された地図には記載されていなかった地文です。
「⛩皇大神宮内宮」(伊勢市)-「御堂山」(蒲郡市)-「三浦芳聖の萩村寓居」(豊川市)-「高松」(新城市)-「聖岳」(静岡市)-「聖天」(小鹿野町)-「御幸ヶ原町」(宇都宮市)-「入定」(いわき市)
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』89頁、新たな研究の成果を盛込み、現住所に改めた。)
【地文のみ掲載】
「⛩皇大神宮内宮」-「御堂山」-「三浦芳聖の萩村寓居」-「高松」-「聖岳」-「聖天」-「御幸ヶ原町」-「入定」
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)皇大神宮内宮(こうたいじんぐうないぐう、三重県伊勢市宇治館町)
皇祖天照大御神をお祭りする「わが国二所の宗廟」の一つで、八大串呂起点のひとつ。天照大御神は、神風串呂の主宰神。ここでは、「天照大御神」に「萩村の三浦芳聖の寓居」を鑑定して頂くという設定の神風串呂です。
(2)御堂山(みどうやま、愛知県蒲郡市大塚町、標高363.5m)
蒲郡市と豊川市の境にあり、釈迦の悟りを象徴する菩提樹があることで有名な山です。ここでは、「御堂」を、三浦芳聖が大悟徹底正覚(入定)した寓居の霊格上の尊称と解釈します。
山の南麓には県の文化財「木造十一面観音立像」が祀られ、山頂には蒲郡市の指定史跡の丹野城跡があります。【参照】御堂山・砥神山
(3)萩村寓居(はぎむらぐうきょ、愛知県豊川市萩町上近久)
三浦芳聖が昭和20年1月3日より昭和25年8月13日までの5ヶ年半住んでいた居住地。昭和20年1月3日の米軍機(B29)による名古屋大空襲で、名古屋市昭和区御所町にあった三浦芳聖が経営する「中部国民道場兼自宅」は、丸焼けと成り灰燼に帰した。
この日、愛知県碧海郡明治村和泉(現在の安城市和泉町)での大政翼賛会の練成中、三浦芳聖は、霊感神示により空爆を予知して「中部国民道場」へ駆けつけた。
しかし、火炎に包まれた道場の二階から辛くも持ち出すことの出来たのは、天津神・国津神・祖霊舎のお社(やしろ)と頭山満が揮毫した「忠節」の掛軸だけで、あとは一物も残さず灰燼に帰したと云う。
そのため、三浦芳聖は妻と4人の子供を伴い、遠祖・松良天皇の先蹤(せんしょう)に倣って愛知県宝飯郡萩村上近久に疎開した。
【参照】三浦芳聖の降誕・仮寓・晩年の住所を貫く神風串呂(№42)
「正善」-「天神」-「大門」-「天王町」-「三浦芳聖降誕地・牧平大門」-「萩村寓居」-「ありし日の三浦芳聖家」
(4)高松(たかまつ、愛知県新城市作手)
高松(たかまつ)=尊良(たかなが)+松良(まつなが)で、尊良天皇、松良天皇、再現・三浦芳聖の串呂上の符号です。
【参照】高松について
【参照】高遠町弥勒と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№98)
「高松町」―「ありし日の三浦芳聖家」―「高松」(新城市)―「高松」―「弥勒」-「日本平山」-「白髭山」―「弥勒」
【参照】皇大神宮内宮と松良天皇御陵の神風串呂(№91)
「和田」-「⛩相賀神社」-「⛩皇大神宮内宮」-「松良天皇御陵」-「高松」(新城市)-「竜戸」-「和田町」-「日向」-「黒田」-「御稜威ヶ原」-「高松町」-「大門」-「菊川」-「太田」-「大金」-「薬師岳」(新城市作手高松は南北にわたって面積がある。)
(5)聖岳(ひじりだけ、静岡市葵区)
聖岳は「天皇」を現す地文です。漢和辞典を引くと聖には天子の意味があると出ています。聖運、聖駕、聖皇など数え上げれば枚挙に暇がないほどです。
現在地図検索で確認できる「聖岳」という山は以下の4ヶ所です!
(1)聖岳(佐賀県多久市)(2)聖岳(静岡市葵区)
(3)聖岳(神奈川県小田原市)(4)聖岳(長野県飯田市)
【参照】十津川村の三浦と守義との神風串呂 (№57)
「三浦」-「守義」-「中田」-「聖岳」(静岡市葵区)-「鏡」
【参照】皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る! (№5)
「⛩皇大神宮内宮」-「高松町」-「小松原町」-「和田」-「小松」-「小松天皇御陵」-「藤太夫島」-「松長」-「聖岳」(小田原市)
(6)聖天(しょうてん、埼玉県秩父郡小鹿野町般若)
聖天子をあらわす地文か。平成時代に発見した地文。秩父大神社(聖天社)に由来する地名。 仏教では、大聖歓喜天の略称で、天照大御神の御神諭に接した三浦芳聖が、歓喜したと解釈することもできる。
聖天地区内に、奥の院の岩窟に大日如来が安置されている「卍般若山法性寺」がある。
(7)御幸ヶ原町(みゆきがはらまち、栃木県宇都宮市)
三浦芳聖は、「天照大御神が萩の仮寓地に御降臨されたことをあらわす」と述べている。
「みゆき」とは天皇の外出(行幸)、上皇法皇女院の外出(御幸)を云う。この語義に従えば、神皇正統嫡皇孫・八幡大明神三浦芳聖が名古屋市昭和区御所町の中部国民道場兼自宅から宝飯郡萩村へ疎開したことをあらわすとも言えよう。
隣接して南側に「御幸本町」「御幸町」があり、実質的に「御幸」三串・確定立証の神風串呂であります。
(8)入定(にゅうじょう、福島県いわき市遠野町)
三浦芳聖が、50日間の水一滴も用いない断飲断食の行を決行し、大確信を得たことをあらわす地文です。
辞書には「入定」の意味に「無我の境地に入ること」とありますが、難解な仏教用語であります。
【参照】上野宮と興国天皇御陵との神風串呂 (№60)
「夫婦瀑」-「玉置川」-「一色町」-「興国天皇御陵」-「龍頭山」-「天龍」-「十原」-「高山」-「龍岡町」-「龍舞町」-「大和田町」-「上野町」-「上野宮」-「入定」-「五社山」-「寺脇」
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
「⛩皇大神宮内宮」-「御堂山」-「三浦芳聖の萩村寓居」-「高松」-「聖岳」-「聖天」-「御幸ヶ原町」-「入定」
この串呂は、三浦芳聖が解明した数多くの神風串呂の中で、ひときわ輝いて見える、正に「至尊」の神風串呂であります。ひとつひとつの地名を眺めていますと、この串呂を構築された神々の思いがひしひしと伝わって来るようで、忝さで胸が一杯になります。新日本の黎明を告げる正に神風串呂であります。
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🔴神風串呂を学びましょう!
💟串呂文庫
🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
🟡バックナンバー(総合)
🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。
🟡前号(№103)
🟢次号(№105)
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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