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💟大市レイライン発見-⛰️御正体山と👑行燈山古墳(崇神天皇陵)との神風串呂6-崇神天皇‐扶余王依羅説に挑む10
🎀串呂哲学研究ノート 第438号
はじめに
🌺先般、「崇神天皇の人と業績!(№436)」を研究中、「🟡市場6串」と「🍀市の付く地名4串」計11串 の神風串呂が解明され、さらに調査を進めたところ、⛰️御正体山と崇神天皇御陵(天理市柳本町行燈山)とを結んだ串呂沿線に、下記の市場を初めとする大市場が多数存在していることが判明しました!🎯🌷🌈🌺💯
🟡大東京綜合卸売センター (府中市場)(東京都府中市矢崎町)
🟡東京都中央卸売市場 淀橋市場(東京都新宿区北新宿)
🟡東京都中央卸売市場 足立市場(東京都足立区千住橋戸町)
🟡松戸南部市場(千葉県松戸市松戸新田)
🟡新鮮市場(道の駅 発酵の里/千葉県香取郡神崎町松崎)
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🌺引用させて頂いた下記資料「纒向遺跡 - Wikipedia」の様に初期ヤマト王権の王都⛰️三輪山 北西麓一帯は当時から、おおいち(大市場)で有名な地区であり、国内各地との間で交際・交流(物流)があったことが判明しています。
🍀飛鳥時代から奈良時代にかけては、この地域(編注)に市が発達し「大市」と呼ばれた。箸墓古墳のことを、宮内庁治定では「大市墓」というのはこのためである。奈良時代から平安時代にかけては、井戸遺構や土坑、旧河道などが検出されている。「大市」と墨書された土器も検出されている。
(編注)この地域=纒向遺跡
🍀日本全国で作られたと見なされる土器が出土しているが、中でも大和国に隣接し、古代から交流が盛んで関係が深かった伊勢国で造られた物と、伊勢湾を挟んで東側に位置する尾張国で造られた物が多い。また、搬入品のほか、ヤマトで製作されたものの各地の特色を持つとされる土器が多く、祭祀関連遺構ではその比率が高くなる(多い地点では出土土器全体の3割を占める)。
🍀平安時代初期の「大市」墨書土器があり、この地(編注)が『倭名類聚抄』記載の「於保以智(おほいち)」郷に相当するとみられ、『日本書紀』記載の海柘榴市も纒向遺跡南に比定されていることから、纒向が後世に至るまで市的機能を有していたことが知られている。
(編注)この地域=纒向遺跡
【参照】『海柘榴市- Wikipedia』
🔴御正体山と崇神天皇御陵(右上)との串呂
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ご案内
🔴このオンラインブックは「崇神天皇 扶余王依羅説 に挑む」シリーズ(10)です!
🌺初めての方は、まず下記の記事をご覧頂くようご案内します。
(1)⛩️大依羅神社を発見!
(2)崇神王権の串呂解明!
(3)青龍レイライン発見!
(4)ヤマト王権の本質を昭示!
(5)青山レイライン発見!
(6)伊王島町を発見!
(7)瑞穂国の滅亡!
(8)扶余王率いる侵略軍!
(9)崇神天皇の人と業績!
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1、大市レイライン発見
🌺先般「崇神天皇の人と業績!№436」を研究中、下記に掲載のように「🟡市場6串」を含む「🍀市11串」の神風串呂が解明されました。
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