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地文学への招待-「鬼女新田」(串呂哲学研究ノート第265号)

このオンラインブックは、鬼女新田きじょしんでんという地名は、伊勢神宮の大神の叡智えいちに基づく神経綸かみしくみによって、静岡県牧之原市大寄おおより小室門院こむろもんいん元子媛命もとこひめのみことの御陵「妙覚塚みょうがくづか」のために、用意周到よういしゅうとう、計画的に命名された串呂地文である事を考証した世界で最初の小論文です。

💫日本国再建のため、霊戦を開始しましょう!

🔴日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しましょう!
私は、朝夕「大祓祝詞、太祝詞(神勅など)」を約40分ほど掛けて奏上し、
真日本国の再建を熱禱祈願しています!

🔴残念ながら、今のままでは我が国は、異民族の隷属れいぞく国(保護国)に甘んじつつ、ついには亡国への坂道を転げ落ちる道しか残されていないように思えてなりません(満州国がその前例です)。

🔴この亡国の危機にひんしている日本国再建の大道は、わが国の守護神であり指導神霊である伊勢神宮の大神(天照大御神)に中心帰一して、日高見国ひだかみのくに・縄文日本の民としてよみがえることであると確信しています。

🔴神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、真日本再建のため皇祖神(天照大御神)によって構築されました。

🔴主権在民の我が日本国です!良きにつけ悪しきにつけ、現在の我が国については、われわれ国民一人一人に責任がありますし、悪政を放置した結果、痛い目にうのも我々一般国民です。真実に目覚め、真日本再建の為には日々の研鑽けんさん・学習・戦いが必要です!

🔴日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しましょう!

著者 鈴木超世志


💫串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。


💖「鬼女新田きじょしんでん」-地文学への招待 №2

1、鬼女新田の命名譚めいめいたんについて

鬼女新田(静岡県牧之原市)は、「きじょしんでん」と読みます。例によって、国内唯一の地名です。

この珍しい地名の由来(命名譚めいめいたん)についての史料は、まだ他にもあるかも知れませんが、私が調べたところでは、下記の二つが有力です。

(1)気丈な女説
いつの時代か不明であるが、検地に来た役人を追い返した「気丈きじょうな女」から来たという説がある。この気丈な女には今も「鬼女開祖の墓」があり、その墓石には十六の菊の紋きざんである。気丈な女の家格は身分が高い(高貴)という。
(『さがらの伝説百話』第59話「鬼女新田の地名」要約)

『さがらの伝説百話』第59話「鬼女新田の地名」より

(2)鬼女退治説
人皇75代安ママ親王の第3子が勘当かんどうされて須々木すすき村に立ち寄った際、鬼女を退治した。髪はちぢらで目は明星みょうじょうのように光り、口は耳の根までけて背の丈は1丈(約3m)ほど、2尺(約60㎝)ほどの角があった。この鬼女退治から「鬼女新田」という分郷わけごうができたという。
(川原崎鬼山「鬼女という村名」民間伝承刊行会/1956年)
出典 国際日本文化センター 怪異妖怪伝承データーベース

このように、地名には命名譚めいめいたんが残っている場合があります。特に「鬼女新田」などという珍しい地名が付くには、何か特別ないわれがあったはずだからです。

私は、ふたつの命名譚のうち、(1)の気丈な女の墓に「十六の菊の紋」がきざまれてあることに注目しました。この十六の菊の紋がある「お墓」も、地名を補強する準地文であり、実際に物証(お墓)が存在するのですから、「十六菊紋入りの墓」の実証の地文です。

🟡「鬼女新田」+「十六菊紋の刻まれた鬼女開祖の墓」=?

現地に行って、このお墓の十六の菊の紋を見てみたいと思いますが、十六の菊の紋といえば下記の紋を指し、皇室を表わす事はご存じかと思います。

『菊花紋章- Wikipedia』より 十六葉一重菊

🔴「鬼女新田」+「十六菊紋の刻まれた鬼女開祖の墓」=鬼女・皇室・墓

命名譚を調べたら、このようにつながりました。これも一種の串呂です。

このオンラインブックを最後までお読みになれば、この鬼女新田という地名は、偶然命名されたのではなく、串呂を構築された串呂主宰神(伊勢神宮の大神)の叡智えいちに基づく神経綸かみしくみによって、用意周到よういしゅうとう、計画的に命名されたことが理解できるかと思います。

💞最後までご一読下さり、コメント欄やメールで、ご質問なり、ご批評なりして下されば幸いです。


2、鬼女新田と妙覚塚との神風串呂

それでは、この「鬼女新田」という地名を串呂哲学による「地文学ちもんがく」で考証しましょう!

三浦芳聖が解明した「鬼女新田」を串線する串呂の中で、代表的な串呂が下記の図の「鬼女新田」と「小室門院こむろもんいん元子媛命もとこひめのみこと御陵・妙覚塚みょうがくづか」とを結んだ(3)の串呂です。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第5章

松島まつしま」ー「妙覚塚みょうがくづか」ー「鬼女新田きじょしんでん」(十六菊紋入の墓)

この串呂は国土地理院発行の5万分の1の地形図「掛川」「御前崎」の2枚をつなぎ合わせれば確認できますので、皆さんも串呂を引いてみて下さい。

国土地理院発行の地図は、全国の販売店で購入できますが、下記の地図センターでオンラインで購入できます。

(1)松島まつしま(静岡県島田市菊川
昭和23年(1948年)当時、磐田市惣兵衛下新田そうべえしもしんでんに住んでいた、三浦芳聖の門人・松島氏を表わす地文。

磐田市惣兵衛下新田は、小松天皇の御陵のある磐田市神増原の直ぐ近くにある。

磐田市惣兵衛下新田と神増(地図マピオン)

島田市菊川松島」「惣兵衛下新田」の地名に「菊川」「新田」が付いている所から見ると、松島氏は、小松天皇に近侍した南朝忠臣「新田氏」の一族ではないかと思われる。(菊=皇室。菊川=宮側。新田=新田氏)

三浦芳聖は、神風串呂の集大成ともいうべき『徹底的に日本歴史の誤謬ごびゅうただす』で、妙覚塚を発見した経緯を詳細に記述しています。

それによりますと、「三浦芳聖は昭和23年(1948年)8月3日、磐田市神増原台上の小松天皇の御陵に参拝後、磐田市惣兵衛下新田の門人「松島家」に宿泊し、午後9時ごろ、松島家の神棚の前で、この地区の門人・準門人ら(人数不明)と共に三浦芳聖が祭主となって神道祭祀を厳修した。

すると祭祀中に、5万分の1の地図が霊視され、その地図上に上記の串呂(1)~(3)が次々と引かれ、その串呂の交差点あたりに塚(お墓)らしきものが見えた瞬間、時計の振り子が止まる程の大きな地震があった。」

要するに「松島」とは、妙覚塚の位置を知らせる霊示を受けた祭祀場さいしじょう(住居)の門人の名前であり、おそらく小松天皇・小室門院に近侍していた臣下の子孫と思われます。

(2)妙覚塚みょうがくづか(静岡県牧之原市大寄)
天母妙覚てんぼみょうがくの大神とたたまつる、小室門院元子媛命の御陵です。小室門院は、南朝正統第九八代小松天皇皇后ですが、一説には女性天皇と考証した研究書もあります。

神皇正統の皇統略系図『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 序文

🟠妙覚(みょうかく)とは「皇后または女性天皇」を表わす!

1. 真の悟り、微妙(みみょう)・深遠な悟りのこと。また、仏の無上の悟りのこと。
2. 菩薩の五十二位・四十二地の最上位で、菩薩が修行して到達する最後の階位のこと。妙覚の位に達した菩薩は、煩悩を断じ尽くし、智慧を完成させるとされる。天台教義の六即と対応させると、別教の菩薩五十二位の最高位である「妙覚」は、円教の「究竟即くきょうそく」に相当する。一つ前の等覚の位にいる菩薩が、さらに一品(いっぽん)の無明を断じてこの妙覚位に入る。しばしば、仏の位と同一視される。 (『妙覚- Wikipedia』)

静岡県牧之原市大寄おおよりの天母妙覚の大神・小室門院元子媛命の御陵「妙覚塚」が、女性天皇または皇后の皇陵であることは、「妙覚」の「無上最上位最高位」などの意義からも拝察できると思います。

『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』には、三浦芳聖が、昭和23年(1948年)9月、妙覚塚を発見した時には、恐ろしい大蛇の姿を霊視し、思わず後ずさりしたと記述されています。まさに「鬼女」です。串呂の的確さに驚嘆するばかりです!

私は昭和45年(1970年)ごろ、三浦芳聖の道場で、この大蛇の姿を撮影した神霊写真を見たことを覚えています。

この大蛇になっていた小室門院元子媛命は、三浦芳聖が昭和23年(1948年)10月に厳修した浄霊祭祀で浄化され、美しい官女(皇后)の姿(神霊)に変身したとのことです。

昭和34年頃に建立された小室門院御陵のお社と標柱
三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』

しかし永い間(約550年)大蛇となっていて人間の言葉を忘れていた為か、神霊となった官女(皇后)が何もおっしゃらないので、三浦芳聖は、この姫君がどなたであるかを特定できず、御祖大神みおやのおおかみに尋ねても「串呂を引いて見よ!」とおっしゃるので、京丸から遠州光明寺村(静岡県浜松市天竜区船明)へ落ちたという松良天皇の皇后「綾姫」(「青木文献」)と誤認していました。

妙覚塚の記録は、地元の史料『さがらの伝説百話』にっていますが、昭和23年(1948年)~33年(1958年)頃に三浦芳聖が発表した資料に基づいて記述されているため、綾子姫の御陵と誤認されています

綾子姫の御陵と誤認されている『さがらの伝説百話』第87話/妙覚塚の話(大寄)

その後、三浦芳聖の努力により、妙覚塚の串呂の解明が進み、また浄霊の進んだ妙覚塚の神霊からの霊示により、昭和33年(1958年)以降に、小室門院元子媛命の御陵と判明したので、三浦芳聖がおやしろと標柱を建立し、

天母てんぼ妙覚みょうがく大神おおかみ  小室門院こむろもんいん元子媛命もとこひめのみこと御陵ごりょう」として奉斎されました。

小室門院元子媛命についての詳細は下記をご覧ください。
【資料】
小室門院元子内親王 
天母妙覚の大神 小室門院元子媛命
三浦芳聖伝 46、小室門院の御陵発見
三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第五章

(3)鬼女新田きじょしんでん(静岡県牧之原市)
鬼女(おにおんな)を表わす地文。国内唯一の地名。

この串呂では、応永元年(甲戌/1394年)無念の思いを抱いて非業ひごう御最期ごさいごを遂げ、およそ550年間、怨霊おんりょう(大蛇)となっていた小室門院こむろもんいん元子媛命もとこひめのみことを表わす。

鬼女新田には、命名譚(1)に出て来る「鬼女開祖の墓」があり、その墓石には十六菊の紋が刻まれてあるのは、この鬼女(小室門院)の墓(妙覚塚)が皇族の墓である事を表わします。

💖串呂の的確さに驚嘆いたしますね。

牧之原市鬼女新田(国土地理院地図)

3、まとめ

今回は、三浦芳聖が解明して発表した数少ない「ミクロの串呂」に出ている「鬼女新田」をご紹介しました。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第五章

松島(島田市菊川)
塚の串呂の霊示のあった惣兵衛下新田の門人の姓
松島家での塚の串呂の霊示 -🟣-🟣-🟣-
菊川(宮側・皇室側)-🟡-🟡-🟡-
新田 -🟢-🟢-(南朝忠臣新田氏)
  
妙覚塚
小室門院元子媛命の御陵 -🟣-🟣-🟣-
大蛇になっていた小室門院=鬼女 -🔴-🔴-
皇室(皇后または女性天皇)-🟡-🟡-🟡-
  
鬼女新田(気丈な女の十六の菊紋入の墓)
お墓 -🟣-🟣-🟣-
鬼女 -🔴-🔴-
十六菊紋入の墓(皇室) -🟡-🟡-🟡-
新田 -🟢-🟢-(南朝忠臣新田氏)

地文が3つだけの串呂ですが、実に驚嘆すべき串呂ですね。

このミクロの串呂を構築されるのに、串呂主宰神がどんなに苦心されたかは想像を絶する世界で、鬼女新田の命名譚からわずかに垣間見える程度です。とうてい人間の力の及ぶところではありません。まさに神風串呂です。

直観力の優れた方なら、もうこの串呂を見ただけで、日本の本質は神国であり、この串呂を構築された皇祖神の存在を認識できると思います。ぜひ、国土地理院発行の5万分の1の地形図をつなぎ合わせて、実際にご確認いただきたいと思います。

なおついでに、この串呂図に出ている「堀之内ほりのうち」の意義を説明しますと、「御濠おほりの内側=天皇・皇后の御陵」という意味になります。

四ヶ所の「堀之内」で囲まれた妙覚塚とは一体如何なるところか!よくよく思惟しゆいすべきであると自戒しているこの頃です。

古代古墳(御陵)に御濠おほりは付き物

🔴これまで、繰り返しお知らせして参りましたように、この小室門院元子媛命の御陵(妙覚塚)は、串呂主宰神・伊勢神宮の神々が構築された神風串呂で昭示されたれっきとした天皇陵であるということです。


💖串呂は、実に神秘的に構築されている神道皇霊学であり、地図上ではありますが、視覚により実際に認識できる明確な世界であることが特徴です。
💝信念や想像の世界ではないと言う事です。


🔴神風串呂の集大成、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』は、国立国会図書館、豊川市立図書館、京都府立資料館、京都大学文学研究科図書館、九州大学附属図書館にありますので、誰でも読むことが可能です。



串呂クシロ(かんろ)とは

串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代みたましろである神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷ほうせんして同床共殿にお祭りすれば、いま危機にひんしている「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。

串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)

🟡前号(№264) 
静岡県内の南朝皇陵について
🟢次号(№266)
地文学への招待-聖一色(小室門院登極説)

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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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