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💟天照御魂大神 日降ヶ丘 降臨の謎を解く! 新串呂解明11-⛩元伊勢内宮と神武天皇 奉斎 ⛩橿原神宮との神風串呂

はじめに

大阪府茨木市福井に日降ヶ丘ひぶりがおかという標高131メートルの小山があります。

大阪府茨木市福井「日降ヶ丘ひぶりがおか」(国土地理院地図)

第十代崇神すじん天皇の御宇ぎょう、この小山に、天照御魂大神あまてるみたまおおかみが、ご降臨になられたため、日降ヶ丘ひぶりがおかと命名され、ふもとの一角に「新屋坐にいやにます天照御魂あまてるみたま神社」が建立され、朝廷から厚く崇敬すうけいされて来ました。

天照御魂大神あまてるみたまおおかみの降臨祭の図
大阪府茨木市福井「日降ヶ丘」

🔴ところが、なぜ天照御魂大神あまてるみたまおおかみは、この地に御降臨になられたのか?という理由については、これまで何も分かりませんでした。

今回、「⛩元伊勢内宮と神武天皇 奉斎 ⛩橿原かしはら神宮の神風串呂」を研究したところ、天照御魂大神あまてるみたまおおかみが、日降ヶ丘ひぶりがおかに御降臨になられた理由が解明されたのです!🌷🌷🌷

【参照】
新屋坐にいやにます天照御魂あまてるみたま神社は、第十代崇神すじん天皇の御宇ぎょう天照御魂大神あまてるみたまおおかみが現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命いかがしこおのみことを勅使として丘山の榊に木綿もめんを掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に二千百年の歴史を有しており、摂津国せっつのくに屈指くっしの歴史と社格を誇る神社であります。

🌷御由緒 - ようこそ新屋坐天照御魂神社(新屋神社)

🌷新屋坐天照御魂神社 - Wikipedia


💟⛩元伊勢内宮と神武天皇 奉斎 ⛩橿原神宮との神風串呂

1、串呂起点と串呂至点

本日(2024年2月11日)は、三浦芳聖先生御降誕120周年の記念の年の建国記念の日であります。🌷🌷🌷🌷🌷

三浦芳聖師が「⛩皇大神宮内宮と⛩橿原神宮とを結ぶ串呂」を解明されましたので、今号は「⛩元伊勢内宮皇大神社と⛩橿原神宮とを結ぶ新串呂」を研究しました。

(1)元伊勢内宮皇大神社(串呂起点)

串呂起点の元伊勢内宮皇大神社については、「新発見-⛩元伊勢内宮と⛩皇大神宮内宮の神風串呂!」を参照してください。

以下「⛩元伊勢内宮皇大神社」は「⛩元伊勢内宮」と表記します。

新串呂解明シリーズのバックナンバーは下記でご覧いただけます。
🟢⛩元伊勢内宮皇大神社の神風串呂

元伊勢内宮皇大神社のHPより引用転載
「神宮の神話」(神宮)より転載
⛩元伊勢内宮皇大神社のHPより

(2)⛩橿原神宮(串呂至点)


橿原神宮(奈良県橿原市久米町)

橿原かしはら神宮は、祭神・神武天皇が畝傍山うねびやまの東南・橿原の地に宮を建てられ即位の礼を行われた宮址みやあとに、明治23年(1890年)4月2日に創建された元官幣大社です。

現在も毎年2月11日に勅使が参向して例祭(紀元祭きげんさい)が行われています。

古事記や日本書紀で初代天皇とされている神武天皇が、橿原の宮で即位された時、三種の神器を天窓に捧げて高御座たかみくらにおつきになったと伝承されています。

天照大御神がそのようにするよう、お決めになったのだそうです。
(「神皇紀」)

🟡『ウィキペディア(Wikipedia)』橿原神宮

2、この神風串呂の要諦

(1)卍如意輪寺(後醍醐天皇塔尾陵

早速、「⛩元伊勢内宮」と「⛩橿原神宮」とを結んで南北に延長してみました。

すると、まことに神秘的なことに、後醍醐天皇塔尾陵とおのおのみささぎのある「卍如意輪寺」(奈良県吉野郡吉野町吉野山)をピシンと串呂していました。
これは新発見です!

北西から南東方向へ

⛩元伊勢内宮」-「⛩橿原神宮」-「卍如意輪寺(塔尾陵)

後醍醐天皇塔尾陵(奈良県吉野郡吉野町大字吉野山)
塔尾山椿花院如意輪寺裏山にある北面の後醍醐天皇の御陵。

後醍醐天皇、「諱は尊治(たかはる)。 大覚寺統の天皇。第96代の天皇および南朝初代天皇。元弘の乱で鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏あしかがたかうじとの戦い建武の乱に敗れたため、大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立し、尊氏の室町幕府が擁立ようりつした北朝との間で、南北朝の内乱を開始した。」(『ウィキペディア(Wikipedia)』後醍醐天皇

(2)この神風串呂の要諦

北西方面から南東方面に下記の重要地文が串線していました!

西山(🔴皇統没落)(京丹後市)-⛩元伊勢内宮(🟡初代神皇)⛩西山(🔴皇統没落)神社(亀岡市)-⛩橿原神宮(🟡初代大王)卍如意輪寺塔尾陵(🟡最後の実質的天皇)

⛩元伊勢内宮・・・・・・奉斎 天照大御神(瑞穂国の初代神皇)
⛩橿原神宮・・・・・・・奉斎 神武天皇(大和国の初代大王)
卍如意輪寺・・・・・・・後醍醐天皇御陵(最後の実質的天皇)
西山二串-🔴-🔴-・・・・日は西山に没する(神倭かんやまと皇朝こうちょうの没落)

この後醍醐天皇以降の皇統は、南北朝に分かれて内戦となり、神皇正統の天皇は、内伝の天皇として虚器を擁するばかりで、国内各地を漂流していました。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 序文

✅まことに畏れ多いことながら、後醍醐天皇は、実質的に皇位にあった最後の天皇と申上げることが出来ます。

✅従って、この串呂は神武天皇から始まった神倭かんやまと皇朝こうちょうの初代王と最終王を結ぶ串呂と言えるのであります。

西山(🔴皇朝没落)ー「元伊勢内宮(🟡王権の始源)」ー「西山(🔴皇朝没落)神社」ー「⛩橿原神宮(🟡大和国初代大王)」ー「後醍醐天皇塔尾陵(🟡最後の実質的天皇)

🔴新発見です!㊗💯😍🥰😊
*この串呂の要諦ようていです。
*地文をよく吟味してください!
*私自身、驚いています!

3、重要地文概観

例によって、この串呂線上の地文を詳細に調べて見ました。すると、この串呂の主旨に見合う的確な地文が多数串線していました。

総ての地文を取上げると煩雑になりますので、重要と思われる地文を厳選して取上げました。

北西方面から南東方面に

西山にしやま
(京都府京丹後市峰山町)
西山 二串 -🔴-🔴-
日は西山に没する!
  
元伊勢内宮もといせないくう
(京都府福知山市大江町内宮)
瑞穂国の初代神皇「天照大御神」奉斎
  
はつ
(京都府綾部市新庄しんじょう町)
初二串 -🔴-🔴-
初代神皇・初代大王・吉野王朝初代天皇
  
位田いでん
(京都府綾部市)
皇位、高御位たかみくら
  
西山にしやま神社
(京都府亀岡市畑野町千ケ畑西山)
西山 二串 -🔴-🔴-
日は西山に没する!
  
高座たかくら神社
(大阪府茨木市佐保)
高御座たかみくらに就いたことを表わす。
  
日降ヶ丘ひぶりがおか
(大阪府茨木市福井)
西山に同じ。別名「西の丘山」
  
初香台はつかだい
(奈良県生駒郡平群町)
初二串 -🔴-🔴-
初代神皇・初代大王・吉野王朝初代天皇
  
夕陽ケ丘ゆうひがおか
(奈良県生駒郡平群町)
西山に同じ。
  
大和川やまとがわ第一緑地
(奈良県生駒郡斑鳩町神南)
大和二串 -🟢-🟢-
  
大和川やまとがわ
(奈良県生駒郡斑鳩町神南)
大和二串 -🟢-🟢-
  
橿原かしはら神宮
(奈良県橿原市)
神皇正統第一代神武天皇奉斎、元官幣大社。
  
御園みその
(奈良県高市郡明日香村)
皇室を表わす。
  
後醍醐ごだいご天皇塔尾御陵とおのおのみささぎ
(奈良県吉野郡吉野山如意輪寺裏山)
神皇正統第九十六代尊治たかはる天皇の御陵
吉野王朝初代天皇

4、重要地文解説

本日は、建国記念の日でありますので、神武天皇奉斎の⛩橿原かしはら神宮の新しい神風串呂を解明したいと思いまして、三浦芳聖師が解明された⛩橿原神宮の串呂を読み直してみました。

就中なかんづく、「⛩皇大神宮内宮と⛩橿原神宮とを結ぶ串呂」が一番重要であると思いましたので、『三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版』に掲載されている串呂図を掲げて見ました。

三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版

三浦芳聖師は、上記の著書の中で、この串呂について

神皇正統第一代「神武天皇」は、此の「橿原かしはらの宮」に於て、うやうやしく此の「石鏡いしかがみ」の宝鏡ほうきょう奉戴ほうたいして「高御位たかみくら」に登極とうぎょくされたのであります。

と解説されていますように、初代王・神武天皇の即位を表わす実に神秘的な神風串呂であります。

西方から
「⛩橿原かしはら神宮」ー「西山にしやま」(宇陀うだ市大宇陀)ー「大神おおがみ」ー「⛩皇大神宮内宮」ー「石鏡いじか

この串呂は、三浦芳聖師の別の著書では、上記の様に⛩橿原かしはら神宮と大神おおがみの間に、奈良県宇陀市大宇陀の「西山」という地名が載っています。

下記の地図で確認できますように、この西山の西側に隣接して「西山岳」という山岳が存在しています。

串呂哲学で「西山」は、日は西山に没するというように、太陽(大日=天皇)が天之岩戸籠あめのいわとごもりするという地文でありますので、この串呂は、天照大神の御霊代みたましろである石鏡いしかがみは西山にお隠れになった。

即ち「石鏡」(天照大御神)に象徴される神皇正統の皇統は天之岩戸籠あめのいわとごもり中であると解釈します。

建国記念の日に、このような悲しい記事を投稿することは大変つらいのですが、神皇正統の皇統は天之岩戸籠あめのいわとごもり中でありますので、建国記念の日は、勇気を奮い起こして天之岩戸開きをする決意を新たにする日としなければならないのです。🌷🌷🌷🌷🌷

(1)西山にしやま
(京都府京丹後市峰山町)
二串 -🔴-🔴-

串呂哲学で「西山」は、日は西山に没するというように、太陽(大日=天皇)が天之岩戸籠あめのいわとごもり中という地文でありますので、

この西山にしやまは、神皇正統の皇統が天之岩戸籠あめのいわとごもり中である事を表わすと解釈します。

「西山」についての詳細は下記を参照して下さい。
🟡神鏡は石鏡であった事を昭示する-皇大神宮内宮と橿原神宮との神風串呂
🟣西山聖地(兵庫県加西市青野町)

(2)⛩元伊勢内宮
(京都府福知山市大江町内宮)
既出 この神風串呂の起点。
祭神「天照大御神」

この串呂は、⛩元伊勢内宮の天照大御神が、⛩橿原神宮を鑑定するという設定です。

⛩元伊勢内宮皇大神社のHPより


(3)はつ
(京都府綾部市新庄しんじょう町)
初 二串 -🔴-🔴-

ここでは初代神皇、初代大王おおきみを表わす地文と解釈します。
後醍醐天皇も吉野王朝の初代天皇であります。

⛩元伊勢内宮の祭神・天照大御神が瑞穂国の初代神皇であり、⛩橿原神宮の祭神・神武天皇が大和国の初代大王であり、後醍醐天皇が吉野王朝の初代天皇である事を表わす。

(4)位田いでん
(京都府綾部市)

地位を表わす地文。
ここでは高御座たかみくら(皇位)を表わす。
例によって「国内唯一の地名」と思われる。

地位を表わす地文には下記の地文がある。
高御位山たかみくらやま(兵庫県加古川市)
位山くらいやま(岐阜県高山市)
与位よい(兵庫県宍粟市山崎町)


(5)⛩西山にしやま神社
(京都府亀岡市畑野町千ケ畑西山)
西山 二串 -🔴-🔴-

京都府京丹後市峰山町の(1)西山にしやまに同じ。

串呂哲学で「西山」は、日は西山に没するというように、太陽(大日=天皇)が天之岩戸籠あめのいわとごもり中という地文でありますので、

この西山にしやま神社は、神皇正統の皇統が天之岩戸籠り中である事を表わすと解釈します。


(6)⛩高座たかくら神社
(大阪府茨木市佐保)

高御座たかみくら(天皇位)を表わす地文。

祭神は
天照大神
素盞鳴命
建御名方命
天兒屋根命


(7)日降ヶ丘ひぶりがおか
(大阪府茨木市福井)
国内唯一の山岳名。(別名「西の丘山」)

新屋坐天照御魂にいやにますあまてるみたま神社の御祭神である天照御魂大神あまてるみたまおおかみが、ご降臨されたという小高い丘のこと。

大阪府茨木市福井「日降ヶ丘ひぶりがおか」(国土地理院地図)
大阪府茨木市福井「日降ヶ丘ひぶりがおか

巻頭で述べましたように、これまで天照御魂大神あまてるみたまおおかみが、この日降ヶ丘ひぶりがおかに御降臨になった理由が不明でありました。

🌷西の丘山(日降ヶ丘)
新屋坐にいやにます天照御魂あまてるみたま神社は、第十代崇神すじん天皇の御宇ぎょう天照御魂大神あまてるみたまおおかみが現在の茨木市福井の西の丘山(日降ヶ丘)にご降臨され、同七年九月、物部氏の祖である伊香色雄命いかがしこおのみことを勅使として丘山の榊に木綿もめんを掛け、しめ縄を引いて奉斎したのが創祀とされ、実に二千百年の歴史を有しており、摂津国せっつのくに屈指くっしの歴史と社格を誇る神社であります。

🌷御由緒 - ようこそ新屋坐天照御魂神社(新屋神社)

別名「西の丘山」=「西山」が、この疑問を解くキーワードです!

ここでは、日(大日=天皇)が、西山に没して天之岩戸籠あめのいわとごもりしている地文と解釈します。

天照御魂大神あまてるみたまおおかみ日降ヶ丘ひぶりがおかにご降臨されたのは、この場所に、この地文「西の丘山」を構築する為であったのです。(「神風串呂史観」)

日降ヶ丘ひぶりがおか=「西の丘山」=西山

日降は、太陽が降下する=西山に没する、と解釈できるからです!

🔴天照御魂大神あまてるみたまおおかみは、何のために日降ヶ丘ひぶりがおかに御降臨になったのか?という疑問の回答が、この串呂が解明された事により初めて明らかになったのです。🌷🌷🌷🌷🌷

💞自分で言うのははばかられますが、これは新発見であり、前人未到の歴史的偉業ではないでしょうか!🎯💖🌈🎉💯

🌷新屋坐天照御魂神社(西福井)

天照御魂大神あまてるみたまおおかみの降臨祭の図
大阪府茨木市福井「日降ヶ丘」

(8)初香台はつかだい
(奈良県生駒郡平群町)初 二串 -🔴-🔴-

ここでは初代神皇、初代大王おおきみを表わす地文と解釈します。
後醍醐天皇も吉野王朝の初代天皇であります。

⛩元伊勢内宮の祭神・天照大御神が瑞穂国の初代神皇であり、⛩橿原神宮の祭神・神武天皇が大和国の初代大王であり、後醍醐天皇が吉野王朝の初代天皇である事を表わす。


(9)夕陽ケ丘ゆうひがおか
(奈良県生駒郡三郷町)
西山に同じ。

日(大日=天皇)が、西山に没して神皇正統の皇統が天之岩戸籠あめのいわとごもりしている地文と解釈する。


(10)大和川第一緑地
(奈良県生駒郡斑鳩町神南)
大和王朝を表わす。
ここでは、神武天皇から後醍醐天皇までの皇統を表わす。

(11)大和川
(奈良県生駒郡斑鳩町神南)

大和王朝を表わす。
ここでは、神武天皇から後醍醐天皇までの皇統を表わす。


(12)⛩橿原かしはら神宮
(奈良県橿原市久米町)
既出
神皇正統第一代神武天皇奉斎の元官幣大社

⛩橿原神宮(奈良県橿原市久米町)


(13)御園みその
(奈良県高市郡明日香村)

皇室を表わす地文。
御薗、美薗、美園、聖園、三園などがある。

🌷高松塚古墳(奈良県高市郡明日香村平田439)まで東へ200m


(14)卍如意輪寺(後醍醐天皇塔尾御陵)
(奈良県吉野郡吉野山 卍如意輪寺 裏山)
既出
神皇正統第九十六代尊治天皇の御陵

後醍醐天皇塔尾御陵
後醍醐天皇御霊殿(如意輪寺)

5、結語

西山(🔴西山二串)元伊勢内宮もといせないくう(🟢初二串)位田いでん町-⛩|西山(🔴西山二串)神社-⛩高座たかくら神社-日降ヶ丘ひぶりがおか初香台(🟢初二串)夕陽ケ丘ゆうひがおか大和川やまとがわ第一緑地-大和川やまとがわ橿原かしはら神宮御園みその卍如意輪寺後醍醐ごだいご天皇塔尾御陵とおのおのみささぎ

神武天皇から始まった大和王朝の皇統は後醍醐天皇で実質的に終焉を迎え、現在、神皇正統の皇統は天之岩戸籠りしている状況である事が昭示されています。

「日本を取り戻す!」ためには、この神皇正統の皇統に高御座たかみくらに就いて頂かなければ実現することは困難です!

神皇正統の皇統に高御座たかみくらに就いて頂くという天業翼賛事業を実現するには、一人でも多くの日本国民が真実に目覚める必要があります。

本日は、建国記念の日に当たり、天地神明の御導きにより、「⛩元伊勢内宮と⛩橿原神宮との神風串呂」を解明することが出来、往昔「天照御魂大神あまてるみたまおおかみ」が、日降ヶ丘ひぶりがおかに御降臨になった理由が明らかとなりました。🌷🌷🌷🌷🌷

世界の平和と日本国の真の繁栄発展のために、一日も速く神皇正統の皇統に高御座たかみくらに就いて頂き、天照大御神を始め奉り、皇祖皇宗の御神霊の御心を安んじ奉るために、串呂の研究と普及活動に邁進まいしんして参りたいと決意を新たに致しました。🌷🌷🌷🌷🌷


💟皆様方の御支援に感謝しています!

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
💟開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№393)
妙覚塚 重要祭場説 立証!新串呂解明10-〽天母山自然公園と⛩天母妙覚之大神との神風串呂
🟢次号(№395)
神武天皇の神風串呂

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノート(鈴木超世志)
串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により活動が維持されています。理解しやすい記事作成のために諸般の費用が掛かります。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方のご支援に感謝しています!