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💟総領町上領家を串線-崇神天皇陵と靱負神社との神風串呂-崇神天皇‐扶余王依羅説に挑む16
🎀串呂哲学研究ノート 第444号
はじめに
🌺崇神天皇 扶余王依羅説は、天地神明の御教導により、これまで解明された5本の串呂により確定されました。
しかし、念のため崇神天皇 扶余王依羅説を補強する傍証の串呂を解明しておきたいと思います。
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🔴イリ馬に乗る第十代崇神天皇
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先史古代研究会 丸谷憲二さん提供
🟡熊山遺跡は、岡山県赤磐市の熊山山上にある仏教遺跡である。
『熊山遺跡- Wikipedia』
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🌺日本国政府によって崇神天皇陵と治定されている⛩️行燈山古墳と、地名学による古代史研究家の丸谷憲二さん(黄蕨の会代表)が崇神天皇の皇居跡であると主張される⛩️靱負神社(元崇神天皇社)とを串呂すれば、必ず傍証の串呂が解明されるであろうという想定のもとに研究しました。
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なぜなら、重要な串呂(地文)は、まるで精巧に造られた精密機器のように、無限にリンクしていて留まることを知らないからであります。
🌺このような理由から、今回は、串呂で崇神天皇の御陵である事が確定した行燈山古墳と崇神天皇の吉備国の皇居跡であることが解明された岡山県瀬戸内市長船町の⛩️元崇神天皇社(靱負神社)とを結ぶ串呂を研究したところ、想像していた通りの的確なる関連地文が多数串線していました。
🌺中でも、古代の大王家を表わすと解釈できる総領町上領家(広島県庄原市)は、「崇神天皇の皇居」を彰示するために構築されたとしか思えない地文であります。
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