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💟メンバーシップ「神風串呂」を始めました!(2)

🎀串呂哲学研究ノート 第458号

🔴このオンラインブックは、『メンバーシップ「神風串呂」を始めました!』の続きです。

🌷note.comで「串呂哲学研究ノート」を始めて満五ヶ年が経過し、私も今年の誕生日で後期高齢者の仲間入りとなりますので、後の事が心配になりました。

そこで
(1)読者の皆様方のご感想やニーズなどを教えて頂くため
(2)串呂哲学研究ノートの内容充実を計るため
(3)串呂研究の後継者を養成し法燈を継続するため
(4)一般公開できない超極秘情報をお伝えするため
(5)オフラインやzoomによる勉強会を開催するため

などなど、多くの願いをこめて、メンバーシップ「神風串呂」(サークル・コミュニティ)を始めました。

まず、月一記事以上配信の「お試しプラン」、月二記事以上配信の「スタンダードプラン」から開始しました。

将来「マスタープラン」「プレミアムプラン」などの上級コースを実施する計画です。


🔴修行生活の第一歩

🌷修行生活の第一歩は、愛知県豊川市八幡町の「⛩️三河八幡宮」の境内の落ち葉掃除でした。

懐かしい三河八幡宮の境内

当時、三浦芳聖師は、毎月二回、日曜日の午前中に、門人全員を参列せしめ、⛩️三河八幡宮の本殿に昇殿して、天の下を浄化する特別秘法祭祀(約一時間)を厳修しておられました。

この⛩️三河八幡宮は、「天武天皇だった672年、大分県の宇佐八幡宮(全国に4万社余りある八幡宮の総本宮)に祀られている神の分霊を迎えて建てられた神社です。御祭神として、第一殿に応神天皇、第二殿に三女神、第三殿に神功皇后が祀られています。奈良時代、すぐ隣に三河国分寺が造立されると、八幡宮は同寺の鎮護の神として崇められるようになりました。」「室町時代の1447年に建てられたもので、なんと570年以上の歴史があります。室町時代中期の神社本殿建築の遺構として大変貴重な存在です。」(八幡宮)とあるように、本殿が国の重要文化財となっている由緒のある⛩️八幡宮です。

国の重要文化財 ⛩️三河八幡宮(八幡宮

🌷三浦芳聖師は、戦後の昭和25年(1950年)8月に豊川市市田町諏訪林(現在の諏訪二丁目)に転居後、この⛩️三河八幡宮で太陽凝視直拝の神行を行い、翌、昭和26年には、神界から八十一通りの秘法を伝授されました。

また、下記の様に、神風串呂の上からも極めて重要な⛩️八幡宮であります。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第二章

🌷私は幸運にも、この重要串呂線上にある、貴重な重要文化財である⛩️三河八幡宮の本殿に昇殿させて頂き、三浦芳聖師の特別秘法祭祀を直々に拝受することが出来たのであります。

この施設を毎月二回使用させて頂くお礼として、参列する門人皆で、祭祀が始まる一時間前に⛩️三河八幡宮に集合して境内全域を掃き清める奉仕活動をしていたのです。

およそ一時間ほどの祭祀が終了した後は、諏訪二丁目の道場で興国書道(筆禅道)の修練があり、午後は三浦芳聖師の神風串呂のご講話がありました。

至誠通神を揮毫する晩年の三浦芳聖(1971年)
国土地理院の地勢図を敷いて行われた神風串呂の講義(1971年)

🌷残りの日曜日の内、二回は、⛩️三河八幡宮と同様、豊川市御油町の松良天皇の御陵(現在は⛩️神龍八幡大明神)で行われる天の下を浄化する三浦芳聖師の特別秘法祭祀に先立ち、参道や御陵周辺の掃き掃除や除草作業をしました。

🌷この松良天皇の御陵(現在は⛩️神龍八幡大明神)は、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』に掲載されている串呂だけでも、十数本もある重要串呂地点で、三浦芳聖師の特別秘法祭祀中に、神秘的な超常現象が発生したのを目撃しました。

祭祀終了後は、「⛩️三河八幡宮」参拝時と同様でした。

松良天皇の御陵(現在は⛩️神龍八幡大明神)

🌷このほかに、毎月15日に行われる月次報恩祭つきなみほうおんさい、30日に行われる三浦家の月次祭つきなみさい、支部道場ごとの例会が月一回ほどありましたので、

幸運にも私は、毎月7日間、多い時は神宮御陵参拝時の随行などが加わり10日間ほど、三浦芳聖師の謦咳けいがいに接する恩恵に浴することが出来ました。

🌷三浦芳聖師は、平安王朝の最後の天皇とも申し上げるべき後醍醐天皇の嫡皇孫であり、富士大宮司 三浦義勝の嫡孫であらせられますので、ヤマト朝廷と富士王朝、両王朝の真の後継者を自任され、神皇正統 三浦皇統家、神皇正統嫡皇孫と自称しておられました。

後醍醐天皇

🌷三浦芳聖師の経営されていた道場には、天神地祇てんじんちぎ、皇祖皇宗の御神霊がお祭りしてあり、三浦芳聖師が祭祀を執り行えば、天照大御神を始めとする皇祖神が御降臨になられますので、三浦芳聖師は、この道場を三浦皇統家大神宮と呼んでおられました。

このような一般社会とは非常に変わった「別世界」に足を踏み入れた私は、ちまたで生活していても、まるで深山幽谷で修行に励む修行僧になったような気持ちがしました。

🌷当時の世の中は、1955年(昭和30年)から始まった高度経済成長期の真っただ中で、ほとんどの国民は物質的繁栄を求めて金儲けに夢中となり、我が国が、異民族に占領支配されている保護国同然の悲しい現実に気付かず、属国政策を続けている政府を支持していました。

このような環境の中で、超能力者であり、由緒正しい神皇正統 三浦皇統家の当主である三浦芳聖師に近侍する修行は容易ではありませんでした。

修行と言っても、滝に打たれたり、断食をしたりとかの荒行をする訳ではなく、三浦芳聖師が実施する祭祀に参列し、興国書道(筆禅道)の修練と神風串呂の講義を拝聴して、三浦芳聖師に近侍する御弟子になりきることが修行でした。

そのためには、個我を叩き割って無私となり、三浦芳聖師に帰一して、いわゆる常識世界から精神的に隔絶して、孤高を保ち続けていなければなりませんでした。

日々の生活を維持するためには、当然のことながら、最低限の収入を得るために経済活動をしなければなりません。しかし、上記のような修行生活を続けるためには、まともな就職先は無く、アルバイト的な仕事しかできません。

🔴私は、楽しかるべき二十歳前後の青春時代を神々に捧げ、三浦芳聖師に近侍する為に、極めて精神的で禁欲的な修行生活に明け暮れしていたのです。

🌷修行生活にも慣れた1969年(昭和44年)の3月、超能力者である三浦芳聖師は、御神示と串呂とで未来が予見できるようで、私のために解明して下さった串呂をお示しになりながら、私に「将来、必ず大成する御弟子の一人である!」「この串呂の通りになるだろう!」という主旨のことを言われました。

その時、国土地理院発行の地勢図を用いて引いて下さった串呂を、WEB地図で確認した所、下記の様な串呂を解明することが出来ました。

⛰️吉野山(奈良県吉野郡吉野町)-平坂町鈴木家(愛知県西尾市)-御弟子みでし集落(山梨県南巨摩郡身延町)-大成町おおなりちょう(埼玉県さいたま市北区)

平坂町鈴木家と御弟子との神風串呂(Google.map)

🌷吉野山は、吉野朝の創始者・後醍醐天皇の⛩️塔尾陵とおのおりょうや⛩️吉野神宮、⛩️吉水神社など南朝ゆかりの施設がある所です。

奈良県吉野郡吉野町 ⛩️吉野神宮
吉野山

🌷御弟子みでし集落(山梨県南巨摩郡身延町折門)は、主として三浦芳聖師の門人を表わす地文です。

三浦芳聖師の帰幽後は、不要となった御弟子集落

🟡御弟子(下部町) (aikis.or.jp)

山梨県南巨摩郡身延町折門(YAHOO!JAPAN地図)

🌷住所の身延町みのぶちょうは延命を表わします。三浦芳聖師の御弟子みでしになることで、寿命が延びたと解釈します。

吉野町の⛰️吉野山を串呂しているのは、我が鈴木家のルーツが吉野山(後醍醐天皇)であるという事だと思います。

これは推測に過ぎませんが、串呂から見ると、我が鈴木家の守護神霊は「後醍醐天皇」と解釈できるのです。

⛰️吉野山(奈良県吉野郡吉野町)-平坂町鈴木家(愛知県西尾市)-御弟子みでし集落(山梨県南巨摩郡身延町)-大成町おおなりちょう(埼玉県さいたま市北区)

🌷この串呂を見ると、計画していた大学進学を諦めて、三浦芳聖師の御弟子になったお蔭で延命(身延町)したと解釈できます。

大学進学のため、学生運動で荒れていた東京へ行っていたら、過労で病気になったり、政治活動に巻き込まれたりして死亡していた可能性が大きいという事です。

実際、私と同年代の若者たちが、連合赤軍事件(山岳ベース事件で12名)を始めとする様々な政治活動に巻き込まれ、若くして死亡しています。

あさま山荘事件・山岳ベース事件

古来「親の意見と茄子なすびの花は千に一つも無駄はない」と申しますが、言い得て神妙な諺であります。

🔴母親の指導を尊重して、三浦芳聖師の門人になって修行する進路を選んで良かったと思うのであります。

つづく

🍀祈り

全世界の全人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楽しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向上の道を歩み、この世に生まれて来た使命を全うし、大宇宙の進化と発展に寄与させて頂いておりますことに心から感謝いたします!


💌イエローハットの創業者であり、NPO法人「日本を美しくする会」の
相談役でもある鍵山秀三郎氏の言葉

国民一人ひとりが、自分にとって、もしくは誰にとってよいかどうかではなく、本当に何が正しいかどうかを考えて行動するようになれば、どんな問題も解決できるでしょう。

あなた方の議論はすべてどちらが正しいかという議論ばかりで、何が正しいかという議論を聞いたことがない。泥棒と詐欺師どちらが正しいかという議論をして、どちらが勝ったという結論を聞かされても、私から見ると意味がない。


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
・・・・・
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編 第一分冊(🌷新着)
💟開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


著者 鈴木超世志のプロフィール
中学一年満13才の時、神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖師に師事し爾来60年間、
串呂哲学(神風串呂)を研究して来た老学徒。1950年愛知県生れ74才。
串呂哲学研究家。串呂哲学研究会代表。神社本庁神主、元高校教諭。

著 書
神風串呂入門
ここまで解った元伊勢伝承
開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道
天照大御神の子育て 御子 三浦芳聖 の教導録 青春編
など多数

ブログ
串呂哲学研究ノート

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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初月無料

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初月無料

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