浜北区の小松と船山御陵との神風串呂(№67)
このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)について記述したものです。
神風串呂(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。
ここでは、静岡県浜北区の小松と愛知県豊川市八幡町上宿の船山御陵との神風串呂をご紹介しています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。
神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
1、縦横無尽にリンクする神風串呂
今回も、串呂が幾何学のように精密かつ論理的で、縦横無尽にリンクしている状況について考察致します。内宮=皇大神宮内宮です。
🟠⛩内宮-船山御陵(豊川市)-鏡(小山町)(№63)
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🟠内宮-小松(浜北区)-小松天皇御陵(磐田市)(№5)
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上記の関連から、船山御陵(豊川市)と小松(浜北区)とを串線する神風串呂が解明されていますので、ご紹介します。
下記は復習です。頭の中で串呂図を作成して関連性を把握して下さい。
西山聖地(加西市)-船山御陵-小松天皇御陵(№66)
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🟠天照-⛩松尾大社-⛩内宮(№223)
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、浜北区の小松と船山御陵との神風串呂
三浦芳聖は、静岡県浜松市浜北区の小松と愛知県豊川市八幡町上宿の船山御陵とを串呂すると次のようになると述べています。
三浦(津山市)-日和(神河町)-⛩松尾大社(京都市)-南小松町(四日市市)-船山御陵(豊川市)-小松(浜北区)
(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第四章152頁、現住所に改めた)
【地文のみ掲載】
三浦-日和-⛩松尾大社-南小松町-小松天皇船山御陵-小松(№67)
【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています)
(1)三浦(みうら、岡・津山市)
「三浦」は三浦氏を表わすだけでなく、三浦皇統家を表わす串呂哲学上の符号です。この津山市の「三浦」には、「三浦八幡神社」が有ります。
第百代大宝天皇が皇后三浦佐久姫の姓を名乗って三浦藤太夫と称し純然たる百姓となって民間に隠れたことから、串呂哲学では「三浦=天皇」と言っても過言ではありません。三浦佐久姫は、不二高天原の神裔です。
串呂哲学の世界では「後醍醐天皇の御名は三浦である」という設定になっていて、後醍醐天皇以降の神皇正統の天皇の重要串呂に「三浦」という地文が出てきます。
🟠後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂 (№15)
御名-⛩湊川神社-後醍醐天皇塔尾陵-三浦(紀北町)
🟠元伊勢内宮皇大神社と金崎神宮との神風串呂 (№21)
上村上-天王-三浦(津山市)-⛩元伊勢内宮皇大神社-大君-⛩金崎神宮
(2)日和(ひより、兵・神崎郡神河町)
日は天皇を表わす地文。天津日嗣の日です。神河町日和です。
(3)⛩松尾大社(まつおたいしゃ、京都市西京区嵐山宮町)
この串呂の守護神です。下記を参照下さい。松尾大社の霊格が伺われます。
【参照】天照と皇大神宮内宮の神風串呂(№223)
天照(福知山市)-松尾大社-皇大神宮内宮
松尾大社については下記を参照ください。
(4)南小松町(みなみこまつ、三・四日市市)
神皇正統第98代「小松天皇」を表わす。小松(浜北市)とで、小松二串の確定立証の神風串呂を構成しています。南は南朝を表わす。
(5)船山御陵(ふなやま御陵、愛・豊川市八幡町上宿船山古墳)
船山御陵(ふなやま ごりょう)は、応永18年(1411)小松天皇37回忌・長慶院法皇3回忌に松良天皇が制定した小松天皇(実父)と長慶院法皇(養父)二人の菩提陵で、松良天皇の隠棲地「萬松山大通寺の薬師堂」から見渡せる位置(船山古墳)にあります。俗称「天皇山」「船山」。
🟠小松天皇御陵と播州西山との神風串呂(№66)
長慶院法皇崩御埋葬の地・西山-広野-青野川-青野ダム-小松-神戸-船山御陵-小松天皇御陵
🟠皇大神宮内宮と船山御陵の神風串呂(№63)
三浦-皇大神宮内宮-廟社神明宮-大塚町天皇山-国府-船山御陵-市川大門町-川浦-日之出-鏡
№62「 5、小松天皇御陵(2)船山御陵・天皇神社」を参照ください。
【参照】船山古墳(東三河を歩こう)
(6)小松(こまつ、静・浜松市浜北区)
浜松市浜北区小松は、小松天皇(興良)の行宮のあった所で遠州小松といいます。「南小松」とで小松二串の確定立証の神風串呂を構成しています。
小松天皇の行在所のあった、ゆかりの地ゆえ、この串呂は実証の串呂でもあります。小松天皇の贈名(おくりな・諡号)は、ここから来ています。下記の神風串呂を参照ください。「小松三串」の小松です。
🟠皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る!(№5)
⛩内宮-高松町-小松原町-和田-小松(浜北区)-小松天皇御陵-藤太夫島-松長-聖岳
この「小松」(浜北区)について、加茂喜三氏は次のように述べています。(『富士〝隠れ南朝〟史』富士地方資料調査会307 頁)
歴史上、小松天皇は不在ですが、後小松天皇(1377年8月1日 - 1433年12月1日)が存在する以上、「小松天皇」がいなければならないわけで、いかに官製の歴史がいい加減なものかがここからもお分かりになるかと思います。
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
(1)三浦-日和-松尾大社-南小松町-船山御陵-小松(№67)
(2)天照(福知山市)-松尾大社-皇大神宮内宮(№223)
下記の串呂図を頭の中で描いて下さい!(⛩内宮=⛩皇大神宮内宮)
(1)松尾大社-船山御陵-小松(№67)
(2)天照-松尾大社-内宮(№223)
(3)内宮-船山御陵-鏡(№63)
(4)内宮-小松-小松天皇御陵-聖岳(№5)
(5)西山聖地-船山御陵-小松天皇御陵(№66)
「内宮」「小松」「松尾大社」で△三角形が出来ています。
「内宮」「船山御陵」「松尾大社」で△三角形が出来ています。
「内宮」「小松」「船山御陵」で△三角形が出来ています。
「内宮」「小松天皇御陵」「船山御陵」で△三角形が出来ています。
「小松」「小松天皇御陵」「船山御陵」で△三角形が出来ています。
神風串呂が幾何学のように精密かつ論理的で、縦横無尽にリンクしている状況がご理解頂けるかと思います。串呂主宰神が設計された青写真に基づいて構築されているからです。
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串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。
これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!
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この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
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神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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