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三浦芳聖伝 58、長慶院法皇の母の名は?(串呂哲学研究ノート№181)
長慶院法皇の母の名は?
1、長慶院法皇の母の名は?資料編
長慶院法皇の御母は、資料では下記のように出ています。
(1)母は二条師基の猶子・嘉喜門院(三位局)(『ウィキペディア』長慶天皇)
二条師基(1301-1365)
・猶子
・女子:嘉喜門院 - 後村上天皇女御、長慶天皇・後亀山天皇の母か
(2)「母は春子局、前関白二条兼基の女なり」(長慶天皇紀略47頁)
二条兼基(1267-1334年)の系譜に「二条治子(?-?) - 九条房実室」と出ています。(下記参照ください)
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(3)赤松氏三女玉己寛成王子母、玉己女寛成王子生給(青木文献)
(赤松氏三女玉己は寛成王子の母、玉己女は寛成王子を生み給う)
(4)桑壽様、嘉暦元 丙寅生、文中二年 癸丑 五月八日帰幽(三浦家系譜)桑壽(そうじゅ)とは48才の意味。嘉暦元/1326年~文中二年/1373年
以上の資料で長慶院法皇の母は下記の4つの名前が挙げられます。
(1)嘉喜門院(三位局)(かきもんいん)
(2)春子局(はるこのつぼね)
(3)赤松氏三女玉己姫(たまきひめ)
(4)桑壽(そうじゅ)様
【参照】長慶天皇の生年
興国3年/1342年生れ 壬午年 (青木文献)
興国4年/1343年生れ 癸未年 (『ウィキペディア』長慶天皇)
正平9年/1354年生れ 甲午年(長慶天皇紀略47頁)
(三浦芳聖著『長慶天皇御聖母の神風串呂』4頁/1963年5月発行)
三浦芳聖は、〔長慶院寛成親王の御母は「二条関白の女」となっていますが、実際は赤松氏範の女であります・・・〕と述べています。
(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』279頁)
2、マスミの家斎宮にて瞼の母を霊視
長慶院法皇の御鏡を奉戴して全国を行脚した戸田さんご夫妻を訪問した夜、川崎市の門人の家に宿泊中の芳聖が、ふと思い立って戦前の國體明徴維新運動の盟友「桐田政次」氏に連絡を取ったところ、
急遽、桐田政次氏の経営する「マスミの家斎宮」を訪問する運びとなり、翌日の昭和33年(1958年)10月29日、芳聖は門人3名と共に東京都福生市福生町熊川667の「マスミの家斎宮」を訪問しました。
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「マスミの家斎宮」は、お祓い(祭祀)を受けた後、献花の時に誰でも「和歌」が自然に出来るという神秘的な斎宮で、現在はマスミの家修養会本部といいます。
芳聖は、この数年前に「マスミの家斎宮」を訪問して祭祀に参加した時
玉置山 伊勢の内宮 串すれば 我が日の本の 元ぞ知らるる
という和歌を詠んだ事がありました。
【参照】玉置山 伊勢の内宮 串すれば 我が日の本の 元ぞ知らるる(№27)
10月29日午前9時頃、芳聖は立川駅で桐田氏の自動車のお迎えを受け、「マスミの家斎宮」に到着すると、玄関に旧知の大倉さんが出迎えて下さり、午前中は、桐田氏、大倉氏、祭主の眞奈さんと歓談して旧交を温め、昼食の後、芳聖は眞奈さんのお祓い(40分程)を受けました。
すると芳聖の眼に、数えの10歳で生別した「瞼の母」の顔が見える霊視現象が現れました。眼を開いても閉じても見えるので、芳聖が妄想錯覚ではないかと窓の外を見ると、天候は一点の雲なき快晴で、遥か西方に昨日の寒冷で雪をかぶった富士山が見えたので、
芳聖は、これは母「元子の霊」が眞奈さんに神懸かりして懇懇とお諭し下さるのだと覚り眞奈さんのご託宣を聞きながら、感激の涙にくれたのでした。
御祓いの後、祭主「眞奈さん」の本名は「晴子」(はるこ)といい、神界からは「玉置姫」という称号を頂いている事が分かりました。(眞奈さんは、奈良県吉野郡の玉置山で修行されました。)
また、桐田政次氏は、御託宣に従って会社を設立し、福島県郡山市の宇津峯で「長珪石」(ちょうけいせき)を掘っているとの情報もお聞きしました。長珪石は、長慶院法皇に通ずる諺文です。
晴子ー玉置姫ー宇津峯(南朝)ー長珪石と連なったので、長慶院法皇の母の名は「赤松氏三女玉己姫・春子局」と解明されました。
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長 珪 石
宇津峯は、南朝ゆかりの地です。(『ウィキペディア』宇津峰)
(三浦芳聖著『学会未発表の長慶天皇の研究』35頁/1959年1月)
3、神風串呂の解明
帰宅後、芳聖が研究調査した処、芳聖の母「元子」、長慶院崩御埋葬の地「西山聖地」、「マスミの家斎宮」の神風串呂の関連が明らかになりました。縦横に串呂が解明されていますが、要点のみ記載します。
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(1)西山聖地(兵庫県加西市青野町)ー川合(三重県伊賀市)ー元町(静岡県湖西市)・・・静岡県湖西市の「元町」は、三浦芳聖の母「河合元子」を表わす地名である。
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(2)三浦芳聖降誕地(愛知県岡崎市牧平町大門)ー三浦芳聖晩年の住所(愛知県豊川市諏訪二丁目)ー元町(静岡県湖西市)・・・静岡県湖西市の「元町」は、三浦芳聖の母「元子」を表わす地名である。
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3)元町(静岡県湖西市)ー御正体山(山梨県)ーマスミの家斎宮(東京都福生市福生町熊川)・・・マスミの家斎宮で霊視した尊顔の正体は、三浦芳聖の母に間違いない。
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(4)三浦芳聖の母元子の墓(神戸市須磨区白川高座)ー御在所山(三重県三重郡菰野町)ー大倉町(愛知県豊田市小原)ーマスミの家斎宮(福生市福生町熊川)・・・マスミの家斎宮で霊視した尊顔の正体は、三浦芳聖の母に間違いない。また「マスミの家斎宮」は、三浦家の金枝玉葉である。
大倉は大蔵に通じ、神皇正統家とその皇孫を表わす符号。小倉は吉野朝の小倉の宮とその子孫を表わす符号。
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(5)玉置山(奈良県吉野郡)ー三浦(三・紀北町)ーマスミの家斎宮(福生市福生町熊川)・・・玉置姫の尊称を授けられたマスミの家斎宮の眞奈さんは、三浦家の金枝玉葉である。
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この串呂の解釈と串呂哲学的考察
(1)西山聖地ー川合ー元町
(2)三浦芳聖降誕地ー三浦芳聖晩年の住所ー元町
(3)元町ー御正体山ーマスミの家斎宮
(4)元子の墓ー御在所山ー大倉ーマスミの家斎宮
(5)玉置山ー三浦ーマスミの家斎宮
鎌ヶ谷町で長慶院法皇の御鏡を拝んできた翌日、芳聖はマスミの家斎宮で瞼の母「元子」の尊顔を霊視し、長慶院法皇の母の名は「赤松氏三女玉己姫・春子局」と解明されました。(長慶院法皇の御鏡参拝の功徳です!)
マスミの家斎宮は、玉置山大神の霊統で、三浦家の金枝玉葉である。
三浦芳聖の瞼の母の霊視現象や、それに関する的確な串呂が用意されている事に対し、串呂台とも云うべき三浦芳聖の生涯を彩る、串呂主宰神のきめ細かい御配慮が偲ばれ、実に厳粛な思いが致します。
なお、芳聖の生きた「瞼の母」については、下記を参照ください。
「三浦芳聖伝 50、眞崎大将を見舞う(№172)」
串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)
情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖の伝記及び三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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