三浦芳聖伝 35、大政翼賛会と三浦芳聖(串呂哲学研究ノート№156)
大政翼賛会と三浦芳聖
1、大政翼賛会とは
ブリタニカ国際大百科事典より転載
1940年 10月に第2次近衛文麿内閣によって、新体制運動を推進するために創立された組織。これは近衛が中心になって進めてきた新体制樹立運動の結実であり、総力戦争を遂行するために一国一党制を実現させようとしていた軍に対し、国民各層の有力な分子を結集して軍に対抗できる強力な国民組織をつくろうとしたものであった。
大政翼賛会本部
しかし、その成立とともに一国一党の形態はとられたにもかかわらず、近衛のおもわくをはずれて、政府に指導される公事結社として、道府県支部長は地方長官の兼任となり、行政補助機関のようなものとなった。
東条英機内閣では国民統制組織としての色彩を強め、42年4月には翼賛選挙に協力し、6月にはそれまで各省の監督下にあった産業報国会、大日本婦人会などの諸国民組織運動を傘下に統合した。 45年6月に、鈴木貫太郎内閣のもとでの国民義勇隊創設に伴い、解体、吸収された。
2、大政翼賛会の県幹部に就任
昭和15年(1940年 )10月に大政翼賛会が創立されるや、近衛首相との関係で中央に影響力を持っていた芳聖が、大政翼賛会実践要綱の作成に当たり、
「無上絶対普遍的真理の顕現たる国體を信仰し」の一節を入れることを進言した事は前回の「三浦芳聖伝 34、近衛新体制と三浦芳聖(№155)」で述べましたが、大政翼賛会が発足するや、
同年12月、芳聖が中央政府の呼びかけに答え、各県4名あての幹部講習会に参加した所、全国から集ったのは地方の資産家ばかりで、何も財産の無いのは芳聖一人だけでした(芳聖が4名の県代表に選ばれたのは、中央からの指名、つまり自分で選んだという事です)。
講習会後は、愛知県に帰って、翼賛運動を推進する指導者になったのですが、中央から幹部就任を指名された芳聖は発言権が強く、自ら「大政翼賛会愛知県支部練成部長、名古屋市翼賛壮年団本部総務」という重職に就き、戦時下の一日本国民として、現場で汗をかく道を自ら選びました。
これは、経歴が、浄土宗の僧侶で西山専門学校の助教、青年学校の名誉校長、中部国民道場長だった芳聖は、国家の非常時に当たり、教育(錬成・訓練)で自分の能力を100%生かし、日本国民としての義務を果たそうとしたのです。
忠君愛国精神の塊で、皇国維新・国体明徴運動に邁進してきた芳聖に、水を得た魚のたとえの如き、最適の活躍の場が与えられたのでした(数えの37才でした)。
3、第一回中央錬成会に参加
昭和16年(1941年)4月、大政翼賛会の第一次改組が行われ、新しい役員組織下での第一回中央錬成会が開催されました。
5月24日から12日間、各府県から1名、本部役員、産報その他の団体、遠くは樺太、北京、各地区の代表66名が参集し、最初の5日間は行(禊祓中心)を主とした猛錬成を神奈川県藤沢市鵠沼(くげぬま)の伏見道場で、あとの7日間は学科の講習が西東京市の東伏見稲荷道場でありました。
「御民我等:第一回中央錬成感想文集(昭和16年)」を読みますと、当時の指導者が如何に国家の為に、大東亜共栄圏建設という国策の為に、虚心になって錬成に臨んだかがよく分かります。
この練成会の特徴は、禊の行に依る訓練を取り入れたことでした。
これに愛知県訓練主任・三浦慶定の感想文「感謝と感銘」が載っており、芳聖が、愛知県から参加していることが判明しました。
昭和16年5月に全国の幹部を集めて行われた第一回中央錬成会の感想文を読むと、その錬成会の内容が出ていますので、興味のある方はご覧下さい。
4、愛知県の錬成とは
大政翼賛会における芳聖の任務は戦時下に於ける、愛知県下の幹部、指導者の教育(錬成・訓練)担当でした。
具体的には聖戦貫徹の為に、代議士、県会議員、町村長、町村会議員、企業の幹部等を対象にして、早朝に起床し、禊・神拝・拝礼の作法などの行、国体明徴論や皇道精神に関する講話、座禅を使っての精神統一、武道、その他講師を招いての時局講話、勤労作業等々で、合宿しながらの訓練でした。
この訓練の内容・方法は、各府県で異なっていたようです。愛知県の場合は、道場での錬成中は、安座を許さず、終始板の間に正座という厳しいものでした。
食事は、戦時食という事で一汁一菜の粗末なもので、食べた後は禅寺の雲水がするように、茶わんや箸をお茶で濯いで飲み込む。おかずの「目刺し」は丸ごと食べるなど、愛知県は特別厳しい錬成で有名でした。
中には、この目刺しが丸ごと食べられず、かと言って遺すことも出来ず、懐紙に包んで食べたふりをした参加者もいたようでした。
この錬成会での芳聖の活躍ぶりは有名で、「八の字髭を生やした威厳に満ちた錬成部長が・・・」と愛知県下に鳴り響いていたようで、飛ぶ鳥を落とすがごとき勢いでした。
錬成部長の芳聖は、錬成中はどんな事があっても外出せず、錬成参加者と寝食を共にし、同志同行、率先垂範する方針を貫いていました。
芳聖はこの職務で述べ約五万人の練成をしました。錬成部長の芳聖は年中無休で、昭和18年には、帰宅したのはたったの2日という状況でした。
日本始まって以来の未曾有の国難、非常時下のことで、国の将来を思えば思うほど真剣にならざるを得ず、芳聖はこの重職に4ヶ年半在職し、体重が4貫目(15キロ)も減少しました。
歴史始まって以来の国家的危機を熟知していた芳聖は、国家が危殆に瀕している時に、個人の立場を云々する場合ではないと、あらゆる「私情」を投げ捨てて、日本国と日本民族のために職務に邁進したのでした。
串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)
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串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
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一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
(出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。)
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