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森茂と上野宮との神風串呂(№58)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風串呂は、地文ちもん(地名)を研究することで神の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「森茂(岐阜県吉城郡神岡町)と上野宮(茨城県久慈郡大子町)とを結ぶ串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、興国天皇(守永)の符号・森茂と上野宮

岐阜県飛騨市神岡町に「森茂」(もりも)というユニークな地名があります。国内に二ヶ所しかない地名です。

戦後、神霊界からの霊示で、ここに興国天皇(守永)と中宮の藤原茂子が一時潜伏していた隠棲地だと知らされ、三浦芳聖が調査に行った所、森茂には「後醍醐天皇の次の天皇が隠れていた」という伝承が残されていました。

茨城県久慈郡大子町の「上野宮」は、守永親王が、上野太守に就任していたことから、興国天皇(守永)の串呂哲学上の符号とされています。

今回は、この「森茂」と「上野宮」(かみのみや)との神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、森茂と上野宮との神風串呂

三浦芳聖は、森茂(岐阜県吉城郡神岡町)と上野宮(茨城県久慈郡大子町)とを串呂すると次の様になると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第三章

正善」(坂井市)-「森茂」(神岡町)-「聖山」(長野市)-「上野宮」(大子町)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』112頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「正善」-「森茂」-「聖山」-「上野宮」

【地文の解釈】
(1)正善(しょうぜん、福井県坂井市春江町)

正善は、「まさよし」と読めるので、三浦芳聖(みうらよしまさ)の串呂上の符号とされています。正善(まさよし)=善正(よしまさ)=芳聖(よしまさ)という論理です。

三浦芳聖(みうらよしまさ)の串呂上の符号には、「善正」(ぜんしょう、大阪府和泉市)と「正善」(しょうぜん、福井県坂井市春江町)があります。善正は「よしまさ」と読めるし、正善はその上下転換語で「まさよし」と読めるからです。【参照】正善についての詳細はこちらを参照ください。

(2)森茂(もりも、岐阜県飛騨市神岡町)

森茂
岐阜県飛騨市神岡町 森茂(地図マピオン)

森茂は、守永天皇と花山院藤原師賢の女、藤原茂子の隠棲場所で、この二人を表わす地文。ここに隠棲していたことが本当なら、この串呂は実証の神風串呂ということになります。

三浦芳聖が、愛知県音羽町萩村(豊川市萩町)上近久の寓居において、50日間の断飲断食の行を敢行中、神界より下記の主旨の霊示があったそうです。

延元3年(1338年)閏7月、新田義貞が戦死した後、興国天皇は、女官の藤原茂子と共に越中の神保安芸守の守山城に入り、守山城陥落後は、岐阜県飛騨市神岡町の森茂(もりも)に潜伏していた。

その後、現地に調査に行ったところ、「後醍醐天皇の次の天皇が隠れていた」という伝承が残っていたというのであります。

これは、下記の神風串呂があるせいか、後醍醐天皇が毎日のように萩村の寓居に御降臨になられて、色々なことを教えて下さったそうであります。

吉野神宮の神風串呂(№225)
吉野神宮-萩村寓居(三浦芳聖と家族の疎開先)-高天原

(3)聖山(ひじりやま、長野市大岡地区)

長野市聖山
長野市大岡地区 聖山(地図マピオン)

「聖山」は「天皇」を現す地文です。漢和辞典を引くと聖には天子の意味があり、聖運、聖駕、聖皇など数え上げれば枚挙に暇がない程です。

【参照】現在、地図検索で下記の「聖山」が確認されています。
聖山(広島県山県郡安芸太田町)
聖山(長野県長野市大岡地区)
聖山(新潟県糸魚川市)
山形県鶴岡市羽黒町手向聖山(地名)

(4)上野宮(かみのみや、茨城県久慈郡大子町)

上野太守・守永親王=興国天皇(守永)を表わす串呂哲学上の符号。興国天皇(守永)を表わす符号「上野」に「宮」が付いている点、より重要な地文と考えられます。

大子町の大子=太子(日嗣の御子)の諺文です。興国天皇(守永)の御陵のある宮崎山伝正院(愛知県岡崎市明見町田代)は「太子堂」で有名です。

守永親王は、群馬県の世良田、得川氏、栃木県の宇都宮氏に奉ぜられて、宇頭峯城や宮城県の石巻城に拠られたが、福島県の大越地方にも足跡が遺され、見渡神社には守永親王が祀られている。この宮を上野の宮と申し上げたのである。(藤原石山著『三河に於ける長慶天皇伝説考』18頁)

見渡神社案内板より」(福島県田村市大越町牧野堀ノ内)
御祭神は熊野加夫呂之命、天村雲之命、雲水峰皇子之命です。創建は応永年中(1,394年~1,427年)と伝えられ牧野総鎮守として信仰があつい。境内には樹齢300年にもおよぶブナの大木やコナラ、アカシデ等、このような里山では特に珍しいといわれる大木が自然のまま保護されており、見渡神社の境内林として信仰上特別な保護がなされたものと考えられる。

【参照】興国天皇 (守永・もりなが)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「正善」-「森茂」-「聖山」-「上野宮」

「尊良天皇」が「聖父」となって御降誕された「上野宮」と言う神風串呂であります。(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』113頁)

串呂の解釈には、他の串呂との関連や串呂の視点から様々な解釈が出来ると思います。たとえば、森茂に潜行し隠棲していた上野宮(興国天皇)は三浦芳聖(正善)の遠祖で神皇正統の皇位(聖山)を継承した天皇であった。

実際に女官の藤原茂子と隠棲していた「森茂」と「上野宮」との串呂線上に「聖山」「正善」が寸分違わず串呂することが、とても神秘的です!


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串呂哲学研究会では、今日では入手不可能な三浦芳聖師の著書を復刻するのに多くの時間と労力を掛け、採算を全く考慮せず、串呂図、表紙画像、系図、中扉などのCG画像作成のために多くの費用を掛けて参りました。

これは、我が日本国と日本民族の将来を案ずればこそであります。皇祖神・天照大御神が、私達日本民族のために、苦心惨憺、長期間を掛けて構築して下さった神風串呂を学びましょう!


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🟡情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№57)
🟢次号(№59)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会 
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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串呂哲学研究ノート(鈴木超世志)
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