⛩石清水八幡宮と在りし日の三浦芳聖家との神風串呂(№28)
💟はじめに
このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂(カミカゼクシロ)について記述したものです。
神風串呂(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神・天照大御神が各地を巡行しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。
元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれて来ましたが、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。
神皇正統嫡皇孫「三浦芳聖」が、生涯の精魂を込めて解明した神風串呂によって、「元伊勢クシロとは、皇統正史を我が国の国土に埋め込んだ地文学・神風串呂であることが判明したのです。
地名(地文)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問(皇霊学)が神風串呂(串呂哲学)です。
神風串呂は、地文(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学で、真日本国再建のために皇祖神・天照大御神によって構築されました。
ここでは、⛩石清水八幡宮と在りし日の三浦芳聖家との神風串呂をご紹介し詳しい解説をしています。
神風串呂(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神・天照大御神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!
串呂主宰神(天照大御神)が、長期間掛け苦心惨憺の末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになります。
神風串呂(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠の戦国時代(120年以上)に、無辜の民が味わった塗炭の苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。
1、霊験あらたかな鑑定元「八大串呂起点」
「串呂哲学とは(2) 串呂哲学の解読法」で述べましたように、
串呂起点とは、串呂を引く場合に最初に糸を置く始点のことで、その串呂の鑑定元ともいうべき地文のことです。
特に重要な鑑定元を八大串呂起点と名付けましたのは、「霊験あらたか」であるからで、まずここから串呂してみるというのが「串呂の鉄則」といってもいいでしょう。
八大串呂起点とは、皇大神宮内宮、石清水八幡宮、多賀大社、橿原神宮、御正体山、御在所山(三重県)、御調町公文(尾道市)、八尺鏡野です。
そこで今回は、皇大神宮内宮からの串呂に続いて、我が国二所の宗廟のひとつである石清水八幡宮と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂をご紹介します。
2、串呂哲学の理解を助ける予備知識
始めての方は、下記の記事を参照してください。
3、石清水八幡宮と在りし日の三浦芳聖家の神風串呂
三浦芳聖は、石清水八幡宮(京都府八幡市八幡高坊)と在りし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪2丁目)とを串線すると下記のような神風串呂になると述べています。(三浦皇統家大神宮とは三浦芳聖の道場兼自宅のこと)
国府町地区(浜田市)-的場(庄原市)-天王(新見市)-加賀美(備前市)-大門(加東市)-石清水八幡宮(八幡市)-国府町・天王山(鈴鹿市)-玉垣町(鈴鹿市)-国府町(豊川市)-在りし日の三浦芳聖家(豊川市)
(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』233頁、現住所に改め新たな研究の成果を盛り込んだ。)
【地文のみ掲載】
国府町地区-的場-天王-加賀美-大門-石清水八幡宮-国府町・天王山-玉垣町-国府町-在りし日の三浦芳聖家
【地文の解釈】(地文に説明や地図がリンクしています。)
(1)国府町地区(こくふまちちく、島根県浜田市国分町)
国府は、国の府で朝廷を表わす地文。国府(こう、こくふ)は、日本の奈良時代から平安時代に、国司が政務を執る施設が置かれた所です。
串呂では「国府=国家の政務を執る所=朝廷=皇居」と解釈します。三重県鈴鹿市の国府町、豊川市の国府町とで国府三串の絶対確証の神風串呂を構築。
島根県那賀郡国府町は、1941(昭和16)年8月1日 、上府村・下府村・国分村が合併して国府村が発足。1969(昭和44)年3月1日 、浜田市に編入され、同日廃止となりました。
浜田市国分町に国府小学校、国府海水浴場などの地名が見られる。国分町に隣接して浜田市上府町および下府町という地名が残っている。この3地区を国府町地区という。
(2)的場(まとば、広島県庄原市西城町入江)
「的を射た串呂である」をあらわす地文。広島県庄原市西城町入江
【参照】
的場は的を設けて弓や鉄砲の練習を行う場所の意味で、弓道場(的場)が存在した事に由来する地名である。串呂哲学では、的場は「的を射た串呂である」をあらわす地文で、重要な串呂であることをあらわす。
「庄原市西城町入江字的場」という地名が存在しますが、地図検索では見る事が出来ません。地図上の大富山城の住所が西城町入江字的場です。
(3)天王(てんのう、岡山県新見市哲西町矢田)
天皇を表わす地文。天王=てんのう=天皇。説明の詳細はリンク先をご覧ください。
矢田の天王とは上の串呂図の中央にある天皇(岡・阿哲郡哲西町矢田地区)のことで、三浦芳聖の著書で「天皇」となっているのは、旧版の地図には「天皇」と印刷されていたからです。
この阿哲郡哲西町矢田地区天王は、如何なる天皇であったかを鑑定する重要串呂起点の一つです。
【参照】天王(岡山県新見市哲西町矢田)
(4)加賀美(かがみ、岡山県備前市吉永町)
鏡(かがみ)の諺文で、三種の神器の中で最も重要な「御鏡」をあらわす。この吉永町加賀美を中心にして東側に吉永町多麻(たま)、西南側に吉永町都留岐(つるぎ)という地名が隣接しています。
この「加賀美、多麻、都留岐」は、隣接しているので、三地区を一塊として、三種の神器「鏡、玉、剣」を昭示する地文と考えることもできます。
(5)大門(だいもん、兵庫県加東市)
大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読し、天皇または皇居を昭示する地文。大御門(おおみかど)=大帝=天皇(または皇居)という意味と解釈します。
【参照】牧平町大門についての詳細はこちらを参照下さい。
【参照】二所の宗廟から牧平大門を鑑る!藤太夫島 と佐久島
(6)石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう、京都府八幡市八幡高坊)
石清水八幡宮といえば、戦前は、我が国の二所の宗廟と言われ、朝廷から、伊勢の皇大神宮と並んで大変尊崇された官幣大社で「国体明徴」の神様です。現在も毎年9月15日に勅使が参向して勅祭が行われています。
(7)国府町・天王山(こう町、三重県鈴鹿市)
(1)の国府地区に同じ。島根県浜田市国分町の国府町地区、豊川市国府町とで国府三串の絶対確証の神風串呂を構築。
地図検索のお蔭で、この国府町の中央に63mの天王山という小山があることが判明。
(8)玉垣町(たまがきちょう、三重県鈴鹿市)
玉垣とは、神社・神域の周囲にめぐらされる垣のことで、瑞垣(みずがき)ともいいます 。
ここでは、三浦芳聖の晩年の住所(三浦皇統家大神宮)の尊称です。玉垣町は、南、北、東、西に分かれている。
(9)国府町(こう町、愛知県豊川市)
(1)の浜田市国府地区に同じ。島根県浜田市国分町の国府町地区、鈴鹿市国府町とで国府三串の絶対確証の神風串呂を構築。
【参照】
国府町地区(豊川市森、小田渕町)に長慶院法皇の仙洞御所「錦門御堂」(王田殿)がありました。森は望理から、小田渕は王田渕から来ています。
(10)在りし日の三浦芳聖家(豊川市諏訪二丁目) 昭和25年(1950年)8月から昭和46年(1971)3月30日に帰幽するまでの在りし日の三浦芳聖家。
三浦芳聖はここで、皇祖皇宗の御神霊を祭り、「神風串呂講究所」「明徳流興国書道練成会」を主宰していました。
三浦皇統家大神宮とは、この道場に天神地祇、皇祖皇宗の神霊を始めとする神々を御祭りしたことからこのように称したのであろう。
大正8年1月27日の大本教の有名なお筆先には「東邦朔の九千年栄え三浦の皇統家は日夜久睦じく神国の神代の姿備わりて」とあります。
【参照】皇大神宮内宮と三浦芳聖晩年の住所との串呂(№27)
【参照】高遠町弥勒と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№98)
【参照】 在りし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪二丁目)
4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察
地図検索のお蔭で、三重県鈴鹿市国府町の東側に南玉垣町・東玉垣町という地名が存在し、串呂していることが分かりました。玉垣とは、神社・神域の周囲にめぐらされる垣のことで、瑞垣(みずがき)ともいいます 。
[国府町地区]-[的場]-[天王]-[加賀美]-[大門]-[石清水八幡宮]-[国府町・天王山]-[玉垣町]-[国府町]-[在りし日の三浦芳聖家]
国府三串で、矢田の天王、国府町天王山、三種の神器を昭示する加賀美、我が国二所の宗廟のひとつであり国家鎮護・国体明徴の大神を祀る石清水八幡宮、在りし日の三浦芳聖家が一直方向線上に連なる、実証にして絶対確証の超特重要な神風串呂であります。
三浦芳聖は、道場兼自宅を「三浦皇統家大神宮」と表記しています。この件については、下記を参照ください。
三浦芳聖は、このお筆先を、昭和28年(1953)3月18日、大本教事件を担当した大審院検事で後に検事をやめて出口王仁三郎の弟子となり、大本教の信徒となった土井靖都氏(当時は大長老)から、直接聞いたと述べています。
出口王仁三郎氏の無意識下に書かれたお筆先(自動書記)であるため、その解釈は大変難しいが、三浦芳聖が著書の中で述べている解釈では、「雲井に高き高松」は、神風串呂の「高松」三串で表現される「三浦芳聖」のこと。
「栄え三浦の皇統家」は、神皇正統 三浦皇統家のこと。「四四十六の花の君」は、お筆先が出た大正8年(1919)1月27日当時、数えで十六歳の中学生だった三浦芳聖のことだという。
また、玉垣は、「雲井に高き高松の八重の玉垣いと赤き」の「玉垣」で、三浦皇統家大神宮(在りし日の三浦芳聖家)の尊称だと思います。
「三浦芳聖著『弥勒大菩薩(世界大救世主)出現を立証する神風串呂』 9~11頁」
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三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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