南朝正統皇位継承論18-大宝天皇(美良)その壱
大宝天皇(美良)その壱
1、永享七年浪合遭難事件
この大宝天皇が、永享10(1438)年、三州切越に隠棲するまでの経歴は内伝の天皇ゆえに超極秘で殆ど不明ですが、南朝史学会の藤原石山氏の考察によると、大宝天皇は、永享7(1435)年、南朝王子「良王」の一行に同道していて浪合村遭難事件に遭遇したと述べています。
浪合村は、信州塩尻から伊那谷を通って三河岡崎に抜ける三州街道(国道153号線)の途中にある村で、応永3年、応永31年、永享7年の3度にわたり宮様の遭難事件があった場所で、応永31年には尹良親王が御自害されたとし、御陵と神社が建立されています。
『ウィキペディア』浪合村には、下記の様に記されています。
良王とは、宗良親王の第二皇子・尹良親王の王子で母は世良田政義の女。良王は、永享5(1433年)年、上野国新田邑寺尾城を出発し、下野国落合城に入り、準備を整え三河の国へ向かった。笛吹峠に差し掛かった時、上杉の兵に遮られたので木戸河内守の城に入り、上杉の兵が引き上げると諏訪市中洲の地久五郎の金子城に移り、ついで神峯城へ入った。
そこへ世良田政義の次男世良田政親と桃井貞綱が来て、三河の政情が不安定となったので予定を変更して尾張国海部郡の津島へ向かう事になったと連絡があり、永享7(1435年)年12月1日、良王は浪合に入った。
詳細は『浪合記』の「良王君伝(現代語訳)」を参照下さい。
藤原石山氏は、永享7年遭難の王子について下記の様に述べています。
この藤原石山氏の考察には天野信景著『浪合記』、『信濃宮伝』及び三浦家の伝承及び地元に伝承される口碑などが資料になっていると思われます。
『浪合記』に出ている王子の名前は「良王」だけで、この王子は三河国鳴瀬村(足助町成瀬)、吉良の正行寺(西尾市)を経て尾州津嶋の大橋定省の奴野(ぬのや)城へ入り津島神社の神主に納まり、四家、七名字、宇佐美、開田、野々村、宇都宮の15将は津島に土着しました。
ところが、良王一行に同道して来た世良田政義、桃井満昌、児玉貞政(広)の3将を始め『浪合記』に記されている16将の内10将が三河各地に土着しているのです。
【参照】諸国宮方武士(浪合記7)
大宝天皇蒙塵の府「岡崎市牧平町大門」に隣接している岡崎市樫山町の青山家(青山師重の子孫)や、三浦佐久姫の父、富士大宮司・三浦宗明(時晴)も『浪合記』には記されていませんが、大宝天皇と共に良王一行に同道していたものと思われます。
【参照】花山院師賢-信賢-師資-青山師重
こうした状況証拠で、もう一人の良王(大宝天皇)が三河に存在したと考えられ、浪合で遭難3年後の「永享10年戊午(1438)年、三州切越に隠棲し」(三浦家系図)により上記の結論に至ったものと思われます。
また、時の政権、足利将軍義教は、三河の探索は命じますが、尾張津島の神主となった「良王」を攻めることは有りませんでした。
藤原石山氏は、良王は、大宝天皇の身代わりの王子だったと述べています。
2、浪合村の神風串呂
大宝天皇延命長生を昭示する神風串呂(№183)
「大宝」-「天王」-「阿弥陀山」-「表佐竜巻現場」-「河合」-「市原」-「浪合」-「卍身延山久遠寺」-「一宮町(長生郡)」
浪合では大宝天皇の身代りがお亡くなりになって、第一皇子・大宝天皇は河合村(切越)へ逃れ、長く久しく延命して長生遊ばされた。88歳で崩御。
*表佐は影武者(身代り)が表面を装って犠牲となり本命を佐(助)けると云う意味です。阿弥陀山は救済・助命を表わす。
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