無題

💟大統を守り抜いた松良天皇の神風串呂(№81)

はじめに

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「神武天皇御陵と松良天皇御陵の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、大統を守り抜かれた松良天皇

千葉県茂原市に「大登」(おおのぼり)というユニークな地名があります。

「大登」は「だいとう・おおとう」と読めるので「大統」を表わす地文(同音による韻文)です。大統とは皇統のことです。

松良天皇は、養父の長慶院法皇御一行とともに、味方の武士を募るため全国を行脚していました。新潟県寺泊は、宗良親王の時代から南朝方の拠点があったところです。

松良天皇が、新潟県寺泊に御駐留中、皇女が降誕し、生涯安楽な生活が保障されていたにも拘らず、皇統の存続のために、生活第一主義を退けて、大統(皇統)を守り抜かれたお蔭で、神皇正統家が今日まで存続しているのです。

松良天皇は、吉野朝の後亀山天王と足利義満が推し進めていた「両統迭立」を条件とする南北朝御和睦(明徳の和約)の誘いに乗らず、徹底抗戦主義を貫かれたことで、足利義満率いる15万の大軍の猛攻に遭い、富士谷の御所は乾皮なきまでに粉砕されてしまいました。

松良天皇は、三々五々、静岡県浜松市天竜区春野町小俣「京丸」に集結され、しばらくここを行在所として生活しておられました。

しかし、奥深い山中であったため、生活が不便であったことと、追手が迫ってきたため、樵に扮して各地を潜行し、三河地方へ落ちて行かれ、最終的には現在の愛知県豊川市萩町に隠棲されました。

今回は、奈良県橿原市の「神武天皇御陵」と愛知県豊川市御油町筑前ケ谷の「松良天皇御陵」との神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、神武天皇御陵と松良天皇御陵の神風串呂

三浦芳聖は「神武天皇御陵」(奈良県橿原市)と「松良天皇御陵」(愛知県豊川市御油町)とを串線すると、次の様な神風串呂になると述べています。

松良天皇については、松良天皇(正良) (№79)を参照ください。

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』228頁、現住所に改めた)

加茂野宮」(三好市)-「由良」(洲本市)-「河合町」(岸和田市)-「河合寺」(河内長野市)-「神武天皇御陵」(橿原市)-「松良天皇御陵」(豊川市)-「大登」(茂原市)

【地文のみ掲載】
「加茂野宮」-「由良」-「河合町」-「河合寺」-「神武天皇御陵」-「松良天皇御陵」-「大登」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)加茂野宮(かものみや、徳島県三好市三野町)
元官幣大社賀茂御祖神社(河合神社)の諺文。

賀茂御祖神社の摂社・河合神社の祭神は神武天皇御母神「玉依姫命」(たまよりひめのみこと)で、賀茂御祖神社と神武天皇は深く結びついている。

また、松良天皇も豊川市萩町隠棲時に「上賀茂神社」「下賀茂神社」を建立されており、「加茂野宮」と深く結びつきがある。

(2)由良(兵庫県洲本市由良町)
由良は、「よしなが」と読み、三浦芳聖を表わす串呂上の符号とされていますが、後醍醐天皇の皇子の名前には「良」が付いていて「よし・なが」の両方に読める。ここから、「よしなが」は、後醍醐天皇の嫡孫家を表わすのではないかと思います。

【参照】由良についての詳細はこちらを参照ください。

(3)河合町(かわいちょう、大阪府岸和田市)
神武天皇御母神「玉依姫命」を祭神とする⛩河合神社(京都市左京区下鴨)をあらわす諺文であり、三浦芳聖の母・元子様の実家の姓は河合である。

河合寺とで「河合二串」の確定立証の神風串呂を構成している。

(4)河合寺(かわいでら、大阪府河内長野市)
河合と同様、神武天皇御母神「玉依姫命」を祭神とする⛩河合神社(京都市左京区下鴨)をあらわす諺文であり、三浦芳聖の母・元子様の実家の姓は河合である。

河合町とで「河合二串」の確定立証の神風串呂を構成している。

(5)神武天皇御陵(じんむてんのう御陵、奈良県橿原市大久保町)
神皇正統第一代神武天皇の御陵。松良天皇が神武天皇から継承された神皇正統家の大統を守られたことを表わす。『ウィキペディア』神武天皇

(6)松良天皇御陵(まつながてんのうごりょう、豊川市御油町筑前ケ谷)

豊川市御油町筑前ケ谷(YAHOO!JAPAN地図)

元来は、松良天皇御陵「御坊塚」(おんぼうづか)で、現在は、三浦家墓地(八幡大明神)。

【参照】「⛩多賀大社」-「松永」(木曽岬町)-「天皇」(安城市)-「松良天皇御陵」-「ありし日の三浦芳聖家」(豊川市)(№29)

【参照】松良天皇御陵についての詳細はこちらをご覧下さい。

(7)大登(おおのぼり、千葉県茂原市)
「だいとう・おおとう」と読み、「大統」(だいとう・おおとう)の諺文。大統は「皇統」を意味する。ここでは、松良天皇および嫡皇孫・三浦芳聖が、神武天皇以来の皇統を継承していることをあらわす。

*大統(皇統)を守り抜かれた松良天皇

松良天皇は、南朝副統の後亀山天王と足利義満が進めていた南北朝和睦の条件であった「両統迭立」の罠に騙されることなく、養父・長慶院法皇の徹底抗戦主義を守ったため、神皇正統の皇統を守ることが出来ました。

松良天皇は、養父・長慶院法皇と共に、味方をしてくれる武士を募るため全国を行脚していました。新潟県の寺泊にも駐留したことがあったようです。

この寺泊は、宗良親王の時代から、南朝方の拠点であったようです。この寺泊に駐留中に、内親王が誕生したようです。

松良天皇は、元中5年(1388年)頃、足利義満率いる15万の大軍の猛攻に遭い、富士の皇居が落城したため三々五々京丸に集結し、しばらく京丸を行在所として生活していました。

しかし、奥深い山中でのこととて、生活するには不便であったのと、追手が迫ってきたため、樵に紛争して各地を潜行し、三河地方に落ち延び、神皇正統の皇統を守り抜かれました。

【串呂の解釈】
「加茂野宮」-「由良」-「河合町」-「河合寺」-「神武天皇御陵」-「松良天皇御陵」-「大登」

松良天皇は、神武天皇以来、連綿と継承されてきた神皇正統家の大統(皇統)を守り抜かれました。

4、八頭町三浦と宍粟市御名の神風串呂

三浦」(八頭町)-「御名」(山崎町)-「⛩伊弉諾神宮」-(淡路市)-「由良」(洲本市)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』228頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「三浦」-「御名」-「⛩伊弉諾神宮」-「由良」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)三浦(みうら、鳥取県八頭郡八頭町)
「三浦」は三浦氏を表わすだけでなく、三浦皇統家を表わす串呂哲学上の符号です。

【参照】「三浦」についての詳細はこちらをご覧ください。

(2)御名(ごみょう、兵庫県宍粟市山崎町)
御名御璽(ぎょめいぎょじ)の御名ですから、「御名=天皇の名(大辞泉)」という意味です。串呂では、天皇をはじめ串呂至点(鑑定対象)の名前を鑑定する串呂起点です。下記の串呂を参照ください。

【参照】後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂 (№15)
「御名」-「⛩湊川神社」-「後醍醐天皇塔尾陵」-「三浦」

(3)⛩伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう、兵庫県淡路市多賀)
日本神話の国産みに登場する伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀る式内社(名神大社)、淡路国一宮、元官幣大社、別表神社。この神風串呂の守護神であります。『ウィキペディア』伊弉諾神宮

(4)由良(ゆら、兵庫県洲本市由良町)
由良(ゆら)は、「よしなが」と読み、三浦芳聖の串呂上の符号、代名詞。

【串呂の解釈】
「三浦」-「御名」-「⛩伊弉諾神宮」-「由良」

「三浦」(三浦芳聖の諺文・符号)の御名は「由良」である。すなわち「三浦」=「三浦芳聖」=「由良」であると⛩伊弉諾神宮が立証している。

串呂哲学上、大変重要な地文である八頭郡八頭町の「三浦」(三浦芳聖の符号、代名詞)の「御名」は「由良」であることを的確に昭示している神風串呂であります。

5、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

✅「加茂野宮」-「由良」-「河合町」-「河合寺」-「神武天皇御陵」-「松良天皇御陵」-「大登」

✅「三浦」-「御名」-「⛩伊弉諾神宮」-「由良」

松良天皇およびその嫡皇孫・八幡大明神三浦芳聖は、神武天皇以来連綿と続いてきた神皇正統の大統(皇統)を守り、継承している。

「松良天皇」および「神武・応神・後嵯峨・後村上・松良、五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖」が、神武天皇以来の大統(皇統)を継承しており、「神武天皇」-「松良天皇」-「三浦芳聖」は、同魂同霊であることを昭示する神風串呂です。

松良天皇が「生活第一主義」に陥って、新潟県長岡市寺泊で生涯を過ごし、大統(皇統)を守らなかったら、神皇正統家の存続はありませんでした。

これは、また三浦芳聖にも当てはまることです。自称天皇としての人生を貫くことは、茨の道で、誰にでもできる事ではありません。

神皇正統家が、日本民族に取って如何に大切な存在であるかという事は、これから徐々に分かって来るかと思います。


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🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№80)
🟢次号(№82)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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