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💟第4話 厳格なる躾教育を施す-袴とニンジン(天照大御神の子育て)

🟡厳格なるしつけ教育を施す

三浦家は、大宝天皇(美良)が牧平町大門に住居を定めた享徳きょうとく3年(1454年)以来続いている旧家(実は神皇正統家)であり、母の里・河合家は尊良親王の第二皇子・基良もとなが親王(良玄りょうげん法親王)を開基とする旧家(実は南朝宮家)で、

元子の祖父・河合英輔えいすけ(幼名・和喜治わきじ)は、岡崎藩と豊橋の三河吉田藩の殿様に学問を教える大学者であり、両家とも庄屋格の格式の高い家柄でした。

従って、お辞儀の仕方からふすまの開け閉めなどの礼法を始めとするしつけ教育も厳格に行われていました。

🟡はかまとニンジン

また三浦家は奥三河の山村にありながら、家格を重んずる家柄でありましたので、三浦家の子供たちは、豊富とよとみ小学校時代、始業式や祝祭日などの「式典」のある日には、必ずはかまを着用して登校することになっていました。

「CraftCafe」より拝借

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