[前編]30代前半の男が痔の手術をした話
この話を読んでわかること
痔になった経緯
手術をするまでの流れ
どれくらい痛いのか(術後3日まで)
先日、痔の手術をしてきました。この話を読むと、大まかに上の3点がわかるかと思います。なかなか痔に関する患者目線の情報はなく、「激痛」という一言で終わらせられていることも多かったので、できる限り具体的に、これから痔を手術すべきかを悩んでいる人の支えになればと思い記載しました。
痔になった経緯と原因
話は小学生に遡る
「症状はいつからありますか?」
診察室でのよくある問いかけだ。今でこそ痔はサトシとピカチュウほどのパートナーだが、物事には必ず始まりがあるはずだった。大学入学のために上京してきた10数年前にはすでに患っていたし、はっきりとした痛みとして認識したのは高校卒業した頃ーー大学までの宙ぶらりんの期間で、昼間があまりにも暇すぎて、オンラインゲームにふけっていたあの頃にさかのぼる。
「高校卒業頃くらいからなので、軽く10数年になりますね。」
医師にはそう告げたので、僕のカルテにはそう記されている。しかし、今こうして筆を取りながら、よくよく考えてみると、それよりも前から痛みの自覚があることに気づいた。小学生の高学年の頃、父親の勧めで始めたウォッシュレットは、いつの日か肛門の左側に当てるのがなんとなく痛かったということを覚えている。
この物語は本人の気づかない間に、少しずつ着実に進んでいたのである。
原因の考察
痔の原因はいくつか考えられるようだ。
僕の場合、確実に痔を悪化させてしまったのは、高校卒業後、夜は友達と遊びふけ、昼間に持て余した時間をひたすらオンラインゲームに充てたことで、約1ヶ月間に渡って、ずっと座り続ける生活を続けてしまったことである。
オンラインゲーム、というのが厄介で、目を離した隙にキャラが死んでしまうことから、トイレもままならないくらいには画面に張り付いていたし、その分肛門がうっ血していたということは容易に想定できる。
もう一つの要因、それは、学校で💩をすることへの恥じらいである。これは、人によるのかもしれないが、小中学校で休み時間に💩をするというのは、なんとも言えない恥じらいがあった。学校で便意を催さないように、なんとしても家で出し切ってから行こうとしていたので、知らぬ間に全身全霊をかけていきんでトイレをすることが習慣化していたようである。
こうして僕は、知らぬ間に出会ったピカチュウ(痔)と、歳月を共にしていたのだ。
治療開始と放置
初めての病院
僕のピカチュウ(痔)は、百戦練磨で徐々に成長していった。それまではなんの悪さもしていなかった(それどころか、一度も姿を見せなかった)彼は、大学1年生の中頃に、唐突に姿を現したのである。
「へい、サトシ(僕)、元気??」
彼は、毎朝トイレの終わり頃、姿を現わしては消えるようになった。それと同時に、大学の講義で椅子に座るのがかなり辛くなった。体力には自信があった僕も、僕の体の中で何かが育ち始めているということに気づいた。
「これは、病院に行った方がいいかもしれない」
とはいえ、「肛門科」というえも言われぬ恐怖感に打ち勝つことができず、確実に成長(悪化)していく彼を眺めることしかできなかったのである。
初めて肛門科を訪れたのはそれから1年が経過した20歳ほどの頃だった。ケツの穴に指を突っ込まれて、優しく先生は口を開いた。
「痔です。ステージが4つあるんですけど、今は3よりの2くらいです。まだ薬で良くなると思いますので、頑張って薬をつけてみてください。」
簡単に言えば、トイレの度に出てくるけど自然に戻るのは2度で、押さないと戻らないのは3度だ。僕のは自然に戻るけど戻りにくかったので2と3の間くらい、と先生は表現したのだろう。
そうして、お馴染みの形の薬をもらって診察は終わった。
慢心と治療中断
過去に戻ることができるなら、当時の僕を壁に押し付けて、なんとしても薬をしっかり打ち込みたいところではあるのだが、当時の僕は真面目に治療をしなかった。
厳密に言えば、薬は数回でとてつもなく効いて、彼は一旦洞窟の中に収まるようになった。それで満足したせいで、与えられた用量の薬を服用しなかったし、排便習慣も変えなかった。
こうして、僕と痔のストーリーは、確実に右肩下がりに、悪化の一途を辿っていくのである。
本格的な治療の開始
奥さんと大喧嘩した
20歳の頃に治療を勝手に中断してから、当然に悪化が進んだ。
痔持ちの皆様ならわかると思うが、ウォッシュレットのないトイレは地獄である。
これは人によって違うのかもしれないが、僕の場合、トイレをし終わったタイミングだと、痔が中から出てきた状態で終わることになる。
このとき、汚い話なのだが、場合によっては、大きめの梅干しの果肉くらいの💩が残っている。そのため、ウォッシュレットで洗い流すことなしにはトイレを終えることができないのである。そうしてあらかた綺麗になったら、ペーパー越しに、彼ら(痔)を押し込み、元いた場所に返してあげないといけない。そのような事情から、ウォッシュレットのないトイレは地獄なのである。
時は2018年、奥さんと台湾を旅行する機会があった。日本の都心だとどこのトイレもウォッシュレットがついていることが当たり前だが、台湾はそうではなかった。
朝、僕は台湾で便意を催した。
「このホテル、ウォッシュレットないから、ありそうな綺麗なホテルを探しに行かない?」
そうして僕はホテルを練り歩いた。あらかじめ、ウォッシュレットがありそうなホテルをピックアップしておいたので、そこを中心に10箇所くらい回った。
しかし、どこにもなかった。1時間以上練り歩いたところで、奥さんの堪忍袋の尾がキレた。
「なんで旅行先に来てまで、トイレ探さないといけないわけ?いい加減にしてくれない?」
こうして、コンビニでウェットティッシュを買って、泣く泣くそこらへんのトイレで用をたしたのである。
治療を決意
このような些細な喧嘩のような、当人にとっては致命的な争いは、常につきものなのである。なんとか乗り越えながら、実に10年弱の時が流れ、2022年の年末まで話は一気に進むこととなる。
あれから彼(痔)は、僕の中で着実に成長し、仲間も増えた。それまでの10年間は、痛みこそ大きくなかったが、時に便器を真っ赤に染めるほどの大出血を起こすこともあったし、なかなか汚れが取れないのでトイレには15分かかるし、1回で1ロール使うこともザラになってきた。これは医者にモニタリングされているわけではないのでおそらく推測になるのだが、おそらく、このような一途を辿ったように思われる。
トイレットペーパー越しにお戻りいただいていた彼(痔たち)も、もはや僕の力では限界を迎えようとしていた。
「これは、いよいよ治療しないとまずいかもしれない」
そうして、重い腰を上げてとうとう港区の肛門科の門を叩いたのである。
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