「どうしてみんな、寄って集ってアニメアイコンを目の敵にするんだろう。解せない。」 常々私はそんなことを思っている。 昨今、漫画・アニメが一世を風靡し社会現象にまでなったほか、 動画配信サービスの普及などにより、 多くの人にとってアニメが身近なものになったはずだ。 即ち、数年前まで多くの人が抱いていた "ヲタク"に対するイメージが変わりつつあると言える。 実際、ヲタク=キモイという条件反射的反応は、以前ほど見られないのではないか。 では、なぜアニメアイコンはキモイとされて
SUBARUのCM、 「Your story with」が終わってしまったらしい。 「Your story with」とは、 自動車メーカーのSUBARUが金曜ロードショーの間に放映している、約100秒のハートウォーミングなCMだ。 娘の旅立ちや親とのむずがゆい距離感など、家族をテーマにしたものが多かったように思う。 ところがつい先日、 SUBARUのCMが全て、きっかりカッチリ切り替わっていたのだ。 しかも、「Your story with」と真反対のCMに。 急な方向
わたしの夢は、自分にとって泣くほど大切なことを「大切なんだ」って形にすること。 そして、誰かに「一人じゃない」って思ってもらうことだ。 これまで何度か口にしてきたけど、 やっぱり少し恥ずかしいし、 口に出す瞬間はいつも怖い。 この夢は、私が幾度となく救われてきた"表現"に対する憧れであり、 自分が感じていることを上手く伝えることがてきない孤独感に起因する渇望である。 ・・・ でも最近、わからなくなってきた。 いや、自分が感じていること、自分にとって大切なことを表現し
人生で一番、自由だった。 それは、何かから解き放たれて「自由だ!」と叫びたくなるような、そんな映画みたいなものではない。 でも、私にとっては、そんな自由よりもはるかに自由だったと思っている。 言葉にするとその"枠"の中に当て嵌めることになってしまうのがもどかしい。 そういえば誰かが言っていた。 「言葉にしても伝わらないから、物語を書くんだ」 そうだね。 言葉にしても伝わらないから、回りくどく喩えを用いたり、別の何かにそれらを込めたり、言葉を使わずに伝えようとしたりするんだ
思えば、noteを書く時はいつも何かを主張するために書いていたように思う。 何かに怒っていて、おかしいって思っていたり、自分の中の何かを成仏させるために敢えて他所へ向けた言葉で書いたり、そんな文章を書く場所がここだった。 一方で、ただの心の動きを記録する場所もある。 mediumという、海外版noteみたいなもので、 シンプルでカッコよくて、何より日本で使っている人が少なくて、みんながこぞってnoteを書き始めていた時期だったのもあり、かぶりたくない精神でそちらを先に解説した
言葉なんて無くなってしまえばいいのに いつからか、そう思うようになった。 ・・・・・・ 8月が終わる。 最近は少し心に余裕があるらしく、そのおかげでいくつか展示に足を運ぶことができている。 とある展示は、 作者の視点や意図、余白のあたたかさに 思わず目を細めてじっと見つめてしまう様な、 そんな素敵なものだった。 その展示の中の一つに、 World Without Typography という作品があった。 言葉でなく、イメージで伝える。 そんな世界に心底憧れた。 と同
最近は「怖い」という感情について考えています。 「怖い」、ねーーー、、。 「怖い」が鼻につくことの発端は、しばしば、或るタイミングで聞く 誰かの「怖い」が鼻につくようになったことからだ。 例えば、学校でいつも同じ友達といて、あまり友達が多くない子がいたとする。その子に対して周囲のとある人間は、「あの子なんか怖いよね」などと適当なレッテルを貼る。 例えば、何かを得たくて一生懸命頑張っている人がいたとする。その周囲のとある人間は、「あの人ちょっと怖い」などと言い、遠くから冷たい
大学生活も残り半年を切った頃、 以前にも増して言われる言葉がある。 「時間があるのは学生のうちだけなんだから、何かしなよ!」「何もしないまま学生を終えるなんて勿体無い!」 あー煩いうるさい。 皆さんも一度は聞いたことがあるだろうこのセリフ。 今回はその言葉に対する不満と、異議申し立て、そしてそれに代わる文言を探求したいと思う。 ※今回は怒りの記事ということで少々口が悪くなっております。気分を悪くされた方がいらしたら申し訳ありません。 なぜムカつくのか。私はこの言葉を言わ
ずっと自分の名前が嫌いだった。 コンプレックスだった。 私の名前は春に子どもで春子なのだが、 どうしてこんな古臭い上にかわいくない名前なんだろう、、と何度思ったか分からない。 眠れない時の空想は、さらちゃんだったし、 (〜中学まで「さら」と言う名前に猛烈に憧れていた) 親戚中を見渡しても、私の名前は古臭く圧倒的に魅力が無く感じたし、 "昔感"に於いてはギリひいおばあちゃんが並ぶレベルだと思えた。 幼稚園児の頃は、クラスで一番キラキラしてる女の子のももこちゃんと自分を比べ
2020.05.08 「私たち今している生活をこれから自分たちでしていくためには、、」 あれは押し付け以外のなんでもなかったな。 今日はGINZAの家入レオさんによるコラム、「言葉は目に見えないファッション」vol.2を読んでMacBookのメモを開いた。 もちろん私が言ったことは正論だ。だから彼は何も言えなかったんだと思う。し、例え相手が彼じゃなくても何も言えないと思う。その通りだって、思うはずだ。 でも、「その通りだよ。」で終わる場合と、「その通り、うん、そんなん
2020.05.01 あれからもうそんなに経ったのか、ということが多い。 (ここで言う”こと”は恥ずかしながらほぼ恋愛関係、前付き合っていた人とのことである) ついこの間のように、きちんと覚えている。 当たり前だけど、それらはとても幸せだった時のこと、若しくは、その手を離さないでいて欲しいと相手に悟られすぎないように願う キリキリと胃が痛むような、どんどん内臓が是じれて糸のように細くなっていくようなあの感覚を覚えた瞬間だ。 あ、そうか。幸せは瞬間じゃないんだ。 なんて、アダ
MA2 Galleryで開催された、 写真家の藤井保さん、瀧本幹也さんの二人展について以前書いたものです。 ロニホーンと同様に、この展示も自分の中の一つのターニングポイントになりました。 買った本はその後も何度も開いては、追い風を吹かせてくれます。
箱根のポーラ美術館で開催されているロニホーン展に行った時のこと この時くらいから、アートへの見方が変わっていった、アップデートされた気がします。 〜3/31までやってるみたいなので是非 とてもオススメです!
今年の夏に放送されたサニーボーイというアニメについて書いたものです。 進撃の巨人、四月は君の嘘、PSYCHO-PASSに続いて私のバイブルになった作品。 この作品の内容については別記事に後々書くとして、 取り急ぎ、以前mediumにアップしたこちらを。
はじめまして。 現在大学四年生、この度noteを始めました。 思ってること、言いたいこと、表現したいこと 沢山たくさんあって、 でも誰かにジャッジされることが怖くて、人に見られることから逃げてて、、 でもやっと、覚悟ができました◎ (これまではmediumという日本ではマイナーな媒体で書き、InstagramプロフィールにURLを記載するという笑) 見たもの、感じたこと、思ったこと、考えたこと、日々止まらない脳内独り言、、などを書きます。 願わくば、 私の考えやイメー