文字だけの夢を見たことある?
ぶっ飛んでる(とされている)人にインタビューする機会があった、仕事で。
その人がいきなり、「私は『言語だけ』の夢を見るんですよ」という話をはじめた。同席していた他の取材者たちは、「ほーっ」「それは不思議ですね~」と言って驚いていた。
でも。ぼくはちょっと別のことを考えていた。というのも、ぼくも「言語だけの夢」を見た経験はけっこうあったからだ。それが珍しいことなのかどうか、気になっていなかったと言ったら嘘になるけれど、昼間にする夢の話ほど無粋なことはないし、他人がそういう夢を見るのかを確かめたことはなかった。
そのとき初めて、「言語だけの夢」はけっこう特殊な体験なのかもしれないと気づき、いろいろと考えを巡らせていたというわけ。
そもそも「言語だけの夢」というのはどういうものか?
それは、ごくわかりやすく言うと、書籍の「文字」の部分だけがざーっと目の前を流れていくようなビジョンである。それ以外にも、その文字を読み上げ(ていると思われ)る音声的なビジョン(?)で構成されている。
ぼくがそういう夢によく出くわしていたのは、20代前半に大学院生をしていたころ。当時のぼくは、毎日10時間以上はドイツ語やら英語やらの文献にかじりつく日々を送っていた。
いつしか、文字しか出てこない夢を見るようになった。文字たちはプカプカと浮かんでいるというよりは、印刷されたような形で一定の媒体に「固定」されている。ほとんどの場合は、羊皮紙のようなザラザラとしたテクスチャに、黒い文字が張り付いていた。ぼくはその上に目を走らせて(あるいはその上を「飛行」して)いる。なので、「読書の夢」といったほうがわかりやすいかもしれない。
たいていの場合、文字はタテ方向に流れていたし、漢字や平仮名に似た文字が使われていた気がするから、おそらく日本語だったと思う。
それ以外の視覚的なビジョン(そこに書かれている文字が喚起するであろう映像的なイメージや色彩、感性的触発)は一切ない。ときどき、音声が聞こえることもあるけれど、それは部屋で一人読書するときに、少しだけ口を動かして音読するときのような、とてもかすかな声。それも、自分の声。
ドイツ語ばかりを読む日々が続くと、ヨコ方向に文字が流れる夢も見るようになった。文字はもちろんドイツ語式のアルファベート(ウムラウトやらエスツェット、4文字以上続く子音など)。音声が聞こえることもあるけれど、日本語のときよりもかなり曖昧だ。しかしその響きやイントネーションは、明らかにドイツ語のそれ。
何が書かれているのか、何が囁かれているのか、については何も覚えていない(日本語もドイツ語も)。ただ、言語が文字や音の形でけっこう素早く自分の中を流れていったことだけを覚えている。
さらに、文字や音声すら伴わない(もちろん映像も伴わない)夢も、何度か見たことがある(こちらは回数ははるかに少ない)。ぼくはそれを「思考だけの夢」と呼んでいる。だれでも、何か数学の問題を解くようなことをしているとき、頭のどこかが回転している感覚を抱くと思う。その「回転」だけを人工的に抽出したような意識現象が、そのまま夢に出てくる感じだ(回転しているコマから、コマを取り去ったような、そういう感覚)。
「自分が思考している」という意識はあるのだけれど、目覚めてみると、「何について」思考していたかは覚えていない夢。「考える」という活動をしているときの「型」だけが現れる夢。自分が何かを一生懸命考えていたってこと「だけ」を覚えている。思考の中身は消えている。そもそも中身があったのかも記憶がない。そもそも、考えていたのが「このぼく」なのかもわからない。そういう夢。
こういう経験をしたことがある人はどれくらいいるんだろうか。思うに、「言語だけの夢」を見るかどうかは、脳みその素質的な部分よりも、脳みその使い方のほうにカギがある。
おそらく、自分が話す言葉の何十倍、何百倍、何千倍もの言葉を「摂取」したとき、そうやって脳みそが言語ないし思考のみで埋め尽くされたとき、人間の脳みそは、「言語のみ」の夢を見るようになるんじゃないか。
実際、いまは文字だけの夢を見ない。書籍編集者をしているのに、そういう夢を見ないということは、単純に仕事をサボっているということなのかもしれない。すいません。。
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