野球界とはそういうもの・・なのか?
YouTubeで元プロ野球の名選手の話を聞くのは楽しい。僕もいくつかチャンネル登録しているし、現役時代に好きだった選手の知られざるエピソードを聞けるのは貴重な機会で、時間の制約や視聴率に振り回されるテレビメディアではマニアックでなかなかできないこういうネタこそまさにネットには向いているのだと痛感する。
ただこれはあまり良くないなぁと昔から思っていることが1つあってそれは彼らが
高校時代の理不尽なしごきやイジメを笑い話として面白おかしく語ることだ。
たとえばPL出身の片岡氏は、いかに高校時代が理不尽だったかを怖かった先輩OBをゲストに呼び出しうまくエピソードを引き出し見事に笑いに転換している。あるいは亜細亜大学の野球部の理不尽ぶりについて赤星氏や井端氏が笑い話として語るのもそう。これもよくできててまるで漫画だ。高校や大学だけではない。元中日の中村武志氏はたびたび星野監督の鉄拳制裁についていろんなところで語る。他にもデーブ氏や愛甲氏などなど。もう暴行ネタの武勇伝や「すべらない話」を語らせたらプロ野球界は現役・OB問わずいたるところにタレント揃いだ。
こうした殴る蹴るの暴行だけではなく、長時間のしごきや懲罰、正座、など野球界には子供の頃からプロまでずーっとついてまわる「あるある」なのだということがこれらの証言でもよくわかる。そしてそれを誰も本気では怒ったり否定したりしていないのも特徴だ。「そういう時代だった」「今ならアウトだけど」「アメと鞭」「教育」「愛情」「相手との信頼関係」「精神修養」・・。もういろんな言い訳を足すことで正当化している。そのことによってなんとなく「まああんまり褒められたもんでもないけど別に笑い話として語れればセーフちゃうの?」みたいな風潮になっていることが、プロアマ問わずパワハラやイジメがなくならないもっとも大きな理由のように思えるのは僕だけだろうか。
僕が子供の頃、阪急や近鉄の監督をつとめてた西本さんは鉄拳制裁の人として有名だったが、僕の記憶する限り、それを恨む選手はいなかったと思う。むしろ「オヤジ」として慕う選手が多かった。あのミスターでさえ、不甲斐ない投球をした後には角投手や西本投手に平手打ちを浴びせたし、王さんは門限破りをした若手時代の堀内投手を宿舎で殴った。どれも「愛のムチ」的な表現で、どちらかというと美談として取り上げられることが多い。鉄拳制裁は必ずしも野球界では悪では無くむしろチームを強くするためには必要なものとして取り上げられてきたということだ。
本当に「愛のムチ」なの?あるいは愛があればムチで叩いていいということか?
落合氏は高校時代を「ぶん殴られた記憶しかない」と思い出したくもないと言い、桑田氏は1年でレギュラーになったためイジメぬかれて実家に逃げ帰るほどだったが、その経験から自分が先輩になったら絶対にするまいと固く誓ったという話は有名。他に古田氏も中学でいじめ抜かれて「これではできない。もう野球をやめる」と言ったら親がすぐ転校させてくれたとか、もうこの手の話は枚挙に暇が無い。これは日本の野球界にとって危うい事実だと思う。なぜか?それは「第2の大谷はうまれるのか」という話でもあるからだ。
もし大谷選手が昔から殴られ蹴られの学生時代を送っていたら野球は続けていなかったかもしれないしプロに入ってからでさえ「二刀流なんて生意気だ」と嫌味でも言われ続けたらもうきっと日本のプロ野球に早々に愛想をつかしてたはずなので、日本のアマからプロまで野球界に厳然と横たわる「先輩や監督は絶対」「イジメとか言うがあれは誰もが通る通過儀礼。耐えられない弱い奴の方がダメ」「しかもそれをまた外にチクるやつは最低」「そもそもイジメとイジりは違う。信頼関係があれば大丈夫なのに」などという妄想を早く排除しないと今回の安楽事件やその前の中田事件のようなことは今後も起こるはずだ。一日でも早く「いかなる理由があるにせよ暴力はすべてアウトである」という当たり前のことをアマもプロも徹底してもらいたいと願う。
殴られた方がどう思ってるかじゃねえの?という声がある。つまりそれをパワハラやイジメだと受け止めるのは当事者同士の問題で周囲がとやかく言うことではないという暴論。これを言ってる人はすぐ所属されている組織でハラスメント研修を受けた方がいいと思うが、こういう誤った認識を持っている人は実は少なくない。
自分自身を振り返ってみる。僕は(今でもそうだが)思ったことを先輩やコーチにも忖度なくつい言ってしまうし、愛想笑いもしない可愛げがない子供だったからかそれぞれ理由は違うけど部活でいうと中学で顧問に平手で殴られた経験があるし、
高校でもバスケ部のコーチに殴られた。多分なにか口答えしたとか規律に違反したとかそういう理由だったんだとは思うけど、正直殴られて心から申し訳ないと反省したかというと、ただ殴った教師のことを「感情で生徒を殴ったダメな教師」として憎み、恨み、軽蔑もしたし、なんとそれから何十年も経った今でもその教師達の殴った時の表情を忘れないというある種のトラウマにさえなっている。コンクリートの上で正座したことありますか?僕はある。コンクリートの上で長時間正座させられるとまず立ち上がれない。同級生の不手際で連帯責任を取らされたためだが、このときも「ああ俺もいけなかった。反省しよう」なんて1ミリも思わなかった。なんでこんな理不尽な目に遭うのだと思ってたから。
よく「殴らないとわからない奴がいる」とか言って体罰を肯定する愚かな人がいるが、あのね。言って聞かせてわからない、というのはもはや教育の放棄だし、逆に殴らないとダメだと教師が本当に思うくらいの酷いレベルなのだったらそれは殴っても教育的効果も意味も何もないのよというのが殴られてきた側からの意見だ。暴力からは怒りと恨みしか産まない。パレスチナとイスラエルを見よ。
お前のような素人とプロ野球で成功してきた人とを比べるなというご意見があるかもしれないけど、それはごもっともだしその通りだとして、でも、先に述べたように超個性的なスーパースターであるイチローや大谷みたいな人がもし学生時代やプロ若手時代に、毎日のように恒常的に殴られたり虐められたり理不尽な扱いを数年に及んで受けていたとしたらきっと今野球界にいなかったんじゃないかとは言えると思うがどうだろうか。プロだからどんな理不尽なイジメにも耐えられるのだとは僕にはとても思えない。人は弱く脆くそして傷つきやすいもの。そのことをあまり甘く考えない方がいいと思う。
楽天を自由契約になった安楽投手はいま猛省しているという。球団も「彼の将来を全部奪おうとは思わない」と今後救いの手を差し伸べる気持ちはあるという。
後輩の下半身を露出させて性器に靴下をかぶせるとか、勝手に自分ルールで罰金を徴収したりとか、酒の誘いを断ると夜中でも嫌がらせの連絡をしてきた人と、ではまた同じチーム仲間として野球をやりたいと思うのか。もしそれを普通に思えるでしょうと本気で思っているならば楽天球団関係者は、実は本質的にはなにも変わっていないし、これからも特に何も変えようとはしないんだなと思われても仕方ないと思う。厳しいようだけども。
もう遅すぎるくらいだけど、今からでも球界から暴力を追放しなければ。
もちろんプロアマ問わず。