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「民意」の構成員ではなかった私や貴方へ

パワハラで問題になって辞職した元知事。内部告発した職員に対し「職員にあるまじき背信行為」だと断罪し、犯人捜しをし、追い詰めて、あげくのはてには、命をうしなうところまでいったあの件の当事者が再び、知事選に立候補した。この状況をふまえると普通はそんなん受かるわけないやん、と思われそうだが実は支持者は多いのだという。立候補はもちろん自由だし、当選する可能性もなくはないし、もし知事に戻れなかったとしても最終的にどれくらいの票を集めたかによっては今後の政治生命に相当のプラスの影響力を残すであろうことも想像できる。

海の向こうでは、女性へのレイプ疑惑を始め、様々な容疑の被告として、元大統領としてはこれらの疑いをかけられるだけでも致命的と思われる訴訟を何本も抱えた人物が選挙に圧勝して返り咲いた。女性の「産むか産まないかを自分で決められる権利」を認めず、250年前に建国して以来、そもそも移民によってつくられたその国から事情を問わず不法移民を追い出してみせると宣言し、国際紛争においては住むところを追われたり、毎日のように市民が虐殺されているパレスチナ側ではなく、イスラエル側を終始支持し、在任中にエルサレムを「首都だ」と独自に認定してしまった人であり、この人が圧勝した事に驚いた人も少なくないと思う。

自民党で裏金議員(自民党では裏金ではなく不記載というらしい)も衆院選で何人かが返り咲いた。それにも驚いたが、当選したら公認をしなかったこともしれっとなかったことにしてしまう自民党もすごかった。頭数がどうしても必要なのだね。

これら内外で起きている件について、こういうのは間違っているのでは?とか、世の中がおかしい、とかことさら叫びたいとか何かを糾したいわけではない。よくもわるくもこれが「民意」というものだから。バイデンはトランプ陣営の「プエルトリコはゴミの島」発言を非難する際、こともあろうに「ゴミはトランプ支持者の方」とやってしまった。これがどのくらいハリスの票を落としたかはわからないけど、まあ余計なことを言ってくれたなと思ったろう。民意を嘲笑したのだから。

民意とは何なのか。政治のみならず一般社会の議論においても、話し合いで決められないものを多数決で決めるのは洋の東西を問わず当たり前のこと。たとえ51対49でも99対1でも過半数を抑えればそれは「民意」の象徴となる。実際は票数があまりに拮抗してればさすがにその後に影響力の差は出るだろうけど少なくとも勝ち負けのジャッジはいったんそこでされるわけだ。そしてその瞬間、民意、あるいは国民の総意という言葉で物事がすすんでいくことになる。

欧州で極右政権が誕生しようが、米国で保守派が上下院ともに多数派になろうが、それはそのときの民意だ。少なくとも有権者の過半数が信念をもってそう決めたであろうことに対して「民度が低い」とか「何も考えてない」と非難するのは失礼だし、お門違いというものだろう。

とはいえ選挙で過半数を得た人物や政党だけが本当に正解なのかどうかは歴史を振り返っても別問題とは言える。極端な例にはなるかもしれないが、あの反ユダヤ主義でファシズムで第二次世界大戦に破竹の勢いで欧州を席巻し、一時はソ連までその手に落とそうとしたあの党でさえ、きちんとまっとうに選挙で選ばれ、正しい手順で第一党になったわけで、少なくともあれを誕生させたのは当時のドイツ国民の「民意」だった。ニュース映像やプロパガンダ映像を見ると総裁の演説に拍手喝采、狂喜乱舞している国民の姿が残っているが、あれこそ「民意」。いいとかわるいとかの議論以前の事実として。

自国の利益追求だけではなく、人道的な立場でも環境対策的にも国際社会の中でリーダーシップをとって模範的な行動をしてほしいと自国の大統領に望むアメリカ国民は、そんなことより経済であり自国ファーストであり徹底した移民対策であると考える人より今回は少なかったというのが現在のアメリカの民意でそれは日本でも同じ傾向になってた。
どこかの応援演説で誰かが言ってた「なんであろうがネズミをとってくれるのが良い猫」的に、政治家に人格や道徳を求めるのではなく、利益誘導や剛腕を期待する人が相当数いて、そういう人たちの「民意」によって、たとえ役職停止されてようが非公認であろうが裏金議員もするっと当選したり、ひと1人がなくなるくらいの大問題になったパワハラ騒動の渦中にある元知事が「あの人なら改革してくれそう」と期待され、決して少なくない支持をされていることが日本の現実。これも「民意」。

そうすると、こうした「民意」とは違う意見を持っている人、たとえば私であり、もしかしたらこれを読んだ人の中の誰かさん、はいわゆる「民意」の枠外にいるマイノリティであると言えるわけだ。はて、子供の頃から学校や社会や家庭や地域で学んできた倫理観や常識や価値観とは少し違う人の方が実は多数を占めてるのだと知ったとき、あなたは驚愕したかもしれない。私もそうだ。でもそれが多数決の論理によるならば抗議しようのない厳然たる現実だ。

ではそんな人たちはマイノリティとしておとなしく何も思考せずただ嵐が過ぎ去るを待って生きていくしかないのか。もしかしたらそうかもしれない。ただ1つだけ言えることがある。それは誤解されがちだけど民主主義を説明する時によく多数決だとか言う人がいるけど、それは必ずしも「多数決で決めたことが正義である」ということではなく、「民主主義とは多数派だけではなく少数派の意見もきちんと聞く事」であることも世の政治家には知ってもらいたいし、なによりもここ最近なにかと暗い気分になっているかもしれない少数派の人にも知ってもらいたいなと思う今日この頃である。




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