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反知性主義とは

「反知性主義」という言葉に出くわすことがあります。

「論理的に思考する知性を否定して直感を優先し、勉強を怠る事を正当化する」活動と思われがちですが、元々は知識を独占し王侯貴族に取り入って特権階級に居座る司祭などから権力を奪い取ろうという権力闘争だったといわれています。

現代においてはSNSの普及で様々な考えに接することができるようになった反面、同じような傾向がお勧めされてくる機能によって接する情報・知識が偏ることが容易に起きるようになりました。

陰謀論者や「インフルエンサー」といわれる人達は情報の格差を作り出し「私だけが知っている情報」を魅力的なものに見せるようにフォロワーを囲い込み収益化していますが、しばらく観察していればおかしな事を言っている、筋道が立っていない、一時ソースや検証可能な証拠が示されないなど不振に思い離れていくものですが、支持者の一部には心酔の域に達し、どんな事も疑いを抱くことなく鵜呑みにしていくようになります。

このような精神活動はどのような働きによるものでしょうか。


・個人要因と時代要因

現代において高学歴を持っている事は就職で有利に働き、生涯年収や社会的なステータスを高めるレバレッジとして作用しますが、高い教育水準を維持する為には個人の資質のさることながら相応の資力が必要となりますので格差を固定化するシステムとして捉えられる事が多いようです。

しかし単に「偏差値偏重や学歴社会への反発」とすると現象の本質にたどり着けないように思われます。

情報過多が却って均質化、単純化を好み、多様性が喪われると志向のラベリングなどの「思考停止」を招き、認知しうる範囲でのみで「否認」する事は知的活動の否定となります。

社会の格差問題を提起する事は人が誰でも持っていて、それを生きるために蓋をして閉ざした劣等感を開放する装置として作用します。

・反知性主義に陥ると

多くの場合、無知や無関心なのではなく、むしろ多大な関心を持っている事象に対し、自分が受け入れやすいストーリーを選ぶ、また辻褄が合うような「仮説」を構築していくようです。

その特徴は陰謀論支持者と共通しますが異なる見方、意見に向き合う事が無くなり、或いは攻撃的になって頑なに自説を繰り返すようになります。

これは自分を守る自己防衛機制の働きだと思われますが、そうであるとすれば自説には欠陥があると言う事には気が付いているものの、何らかの思考により自己正当化を試みています。

そのため理論的思考に欠ける事になり、時として時系列や因果関係と言う概念が消失します。

評価基準が「今、ここ、自分」という非常に狭い世界でしか成立しないと言う事が分かっているかのようです。

例えば現実的な不平等は自力では解消できない為、その責任を外部に転化したくなります。

「私が幸せになれないのは資本主義に搾取されているからだ」

という直感は部分的には、たとえば家が貧乏で進学できなかった、などという個人的事情に該当する部分では正しくとも、最底辺ではあっても未開の地に比べたらはるかに文化的な生活を営めるはずの先進国においては我が身の不幸に全く責任が無いと言うには無理があります。

厳しい言い方をすれば「幼児的万能感」から脱却できていないと言う事にもなります。

しかし自己を正当化したいあまり、現実と向き合うよりも論理の飛躍で点と点を繋げてストーリーを構築する方がはるかに気持ちが楽です。

そしてこのルサンチマンは内省をしたり努力しなくてもよいという誘惑も兼ね備えており、それを失いたくないために他人を厳しく糾弾し、また自己に向けられた批判には向き合わないという容易に他人に利用される性質を持っています。

かつて革新は高学歴者がたどり着き、保守は低学歴者が陥ると言われていましたが、今や思想の左右や学歴のあるなしではなく、都合の良い逃避先があればイデオロギーはどちらでも構わないのかもしれません。

・日本の反知性主義

日本における特権階級に対する反権力的な動きは封建時代には大きなうねりにはなり得ませんでしたので目立った動きは明治の近代化以降となろうかと思います。

日本の権力構造に多くの人材を供給したのは後の東京大学となる第一高等学校(一高)帝国大学でした。

旧幕府の開成所などの流れを汲む帝国大学は一部の学科だけを要する私学と違い包括的な学科が整備され、上級官僚へは無試験で任用される道が用意されていた事から私学への「民業圧迫」が問題とされました。

特に「明治14年の政変」への関与が疑われた福沢諭吉の慶応大学や早稲田大学などの「私学」は公費助成や上級官僚への試験免除、兵役免除と言った「特典」が適用されなかった事から、福沢は官尊民卑打破の思想を深め、東京大学への公費助成を強く批判し、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」として知られる福沢をして「資力の乏しい貧乏人の中の有望な人材が高等教育を受けられなくなるがそれは仕方がない事である。人を評価するのは財力であるべきである」とまで言わしめました。

またマルクス主義などを導入し労働争議を主導した知識人は高学歴者が革命の萌芽を植え付けるには新聞紙や言論人が先鋭化し、労働者階級を先導しなければならないとして東大卒知識階級排斥を展開しました。

しかし、それは「東大」というステータスを前に挫折を余儀なくされたり、明治維新の廃藩置県によって失業する事となった下級家臣の起こした地方新聞社などの活動によるものでした。

やがて日本の社会主義運動は労使調整と言った現実問題から離れ「知識人が労働者を先導しなければならない」という統一理念を前面に打ち出した階級闘争に持ち込もうとしたため労働者階級からの反発を招く事になり、それが日本で社会主義革命が主流になり得なかった一因とも目されます。


戦前・戦時中には右翼活動家が東大卒の学者などの批判を展開します。
美濃部達吉の「天皇機関説事件」などの元凶は東大の特にエリート養成所となっている法学部にあるとして右翼活動家や右派学生から教授らの批判が繰り返されています。

その中には国粋主義的な発露と言うよりは西洋偏重のカリキュラムを批判し、日本は西洋的文化も東洋的文化も包括しており西洋式法体系の上位にまず精神面が来るべきであるというものもありました。


1960年代に吹き荒れた全共闘における「東大闘争」は安田講堂攻防戦などの印象が強いですがエリートの道が約束された東大生による「自己批判」を前提としており、それはこれまでの東大批判に源流があるものでした。

国民を抑圧し再軍備を目論む日本政府とそれを実行するエリート層はその事実に向き合う事から始めなければならないという訳です。

日本の左派革命運動はやがて急進化した「浅間山荘事件」で世間からの支持が得られなくなり衰退していきますが、エリートによる東大ナショナリズムに「弱者の視点」という楔を打ち込んだことには成功しているという見方もあります。

世界の人種問題やジェンダー、セクシャリティなどを無視できない問題として注目されるようになって来ました。

こういった「社会問題」は以前のような階級闘争を前面に押し出す政治主張色はなくとも今でも盛んに政権批判の際に用いられています。

歴史的な経緯から東大や京大といった旧帝大を頂点とした学閥ヒエラルキーは実力主義で平等な筈の受験や就職においても厳然と存在しており、東大信仰や私大をモラトリアムに逃げ込んだ精神的弱者として捉える社会の在り方にも問題はあるのかもしれませんが批判的精神で他人を批判するだけに留まってしまっては、それは現代の「反知性主義」と言う事になるのかもしれません。

・資料

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