名ばかりのごちそうを囲むことほど退屈な作業はない
昨日、弟、従弟、親たちと、白寿になる祖母の家にあつまってお祝いをした。
弟、従弟の嫁さんも集まって。
ピザや宅配寿司を囲み乾杯をする。内心苦笑いである
一週間前からこの日が憂鬱だった。
夕食時に買い出しの手伝いをせがまれていたこともあったし、当日は女の不調、、喉も痛かった。
布団をかぶり朝から出かけるまで泣いていた。
なにが不安になったかというと
また、(毒)母が、この家以外の親族他人集まりがあるときまって余所行きのスンとした顔をすること、わたしのことがいかに話を振られないかというきのつかいどころである。
2,3年振りに従弟の(叔父)にも会った。
「やせたんじゃない?…前はもう少しふわっとしていたような」
久しぶりの一声がこれである
・・・もう無理である。
弟、従弟の彼女さんたちと顔を合わせたのは初めてで、従弟の嫁さんは31同い年で都内の会社員。
弟の嫁さんはデパートのコスメカウンターで働く25だそうだ。
ワインを飲みかわしほろ酔いの人たち。
仕事の近況、挙式のこと、来月いく海外旅行のこと、これまで行った旅行のこと。
他人の旅行話などどうでもよかったが、少なくともわたしに注目があたらないだけマシである。
そこで交わされている話には、いかにお金があること、完璧な人生を送れるかどうかを追及しているように見えた。
この人たちは競争している。
いろんな物を身につけることの素晴らしさ。時には人に説くことしかり。大きな船にのることができたた人たちなんだなと思った。
小さい頃は彼らがもっている価値観に違和感がなかった。
形ある幸せを確かにくれた家に生まれたが、一方で心は置き去りで、わたしの話をきいてくれない家庭だった。
それに気づいてもなお、大きな船に手を伸ばすことに私はちぐはぐなのである。
いつの間にみんなギラギラしていったのだろう。
会社員になったり結婚するとそうなるもんなのかな。。
みんなとわたしの価値観が分岐しているだけなのだ。
初夏の風はひとしくわたしにも流れていった
その日楽しみにしていたことがあるとすれば、普段は頼まない宅配ピザを食べたかった。
飲めや歌えやこの人たちのいろんな話をきかされている間にピザは冷め、ただの分厚いカタマリだった。
味も時間も無味なまま過ぎていった。
そこに居場所を与えるとすれば”間に合わせのわたし”であろう。
小さい頃からテーブルに静かに座って、親戚や親たちの話を淡々ときいている子どもだった。
いまもそれをやっている自分を、傍でみている自分がそう言っている。
・・・こんなんならひとりでyoutubeでもみながら、安い菓子パン食べてた方が美味しいのだ