ゼロサムゲームとジェラシーと、陰謀論
まずはこちらを読んでみてください。写真家 幡野広志(はたのひろし)さんによるコラムです。
設定は、41歳の筆者が、若者にむけて発信しているという設定です。
「しあわせや幸運の総量は、決まっているか否か」という命題について、「総量は決まっている」という立場をとれば、人々はしあわせや幸運をめぐって、ゼロサムゲームを戦っていることになります。ゼロサムゲームとは「誰かが幸せになれば、その分誰かが不幸になる」という仕組みのゲームです。
「限られたしあわせを奪い合っている」という考え方に支配されている人は、うまくいかないことがあれば
「あいつばっかり得して、ずるい、悔しい」
「あいつより、自分の方が〇〇なのに、おかしい、間違っている」
などの思いにとらわれます。
これすなわち「ねたみ」あるいは「ジェラシー」です。
人のねたみは本当に怖いです。ドロドロした黒い想いは、想いを抱く本人を含め、多くのものを不幸で黒く塗りつぶしていきます。
(かく言うわたしも過去に「総量が決まっている」と口にした記憶があります。振り返るととても恥ずかしいですが、今はこの考えを改め、前を向いて生きると決め、正しく生きていきます!)
うまくいかなくなったとき、どんな態度をとるかで、その後、浮上できるか、さらに落ち込むかが決まるように思います。
世間に数多くある陰謀論を唱える人は、
「自分がうまくいかないのは、影の支配者が見えない大きな力で世界を支配しているせいだ」
と人のせいにして自分を慰めています。
しあわせに生きるためには、非ゼロサムで考えて、もし他人のしあわせや幸運に出会ったときには
「うわー!すごい。いいやんいいやん。よ~し自分も頑張るもんね」
と、しあわせを奪い合うのではなく、
しあわせを増産する考え方でいきたいです。
ではまた
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