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明日も山の鳥は鳴く
出会い
1980年代。小学生の頃の思い出と言えば、「キン消し」「ビックリマン」「チョロQ」「ファミコン」などが頭に浮かぶ。
その中で、思い出でありながらも現役で今も好きで居続けているものといえば「ドラゴンボール」そして「ドラゴンクエスト」だ。
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友達からのプレゼント
小学4年生頃だったと思う。友人が私の誕生日プレゼントにくれたのが、ジャンプ特別編集号のドラゴンボールの雑誌だった。
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当時、ドラゴンボールはピッコロ大魔王との最終決戦直前。 悟空は一度ピッコロに負けてしまい、武天老師は魔封波に失敗し、どうなるのか・・・・という頃だった。
子供の考えからか、これを読めば結果がわかるかもと思いながらページをめくったことを覚えている。当然のことだが、最終決戦の結果は描かれてはいなかった。
それ以降、ジャンプ特別編集号が発売されると毎回のように購入していた。
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ところで、投稿のページでこんなのを見つけてしまったが、果たして本人なのだろうか。
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画集も買った。なによりも鳥山明の絵が好きだったのだ。 キャラクターは敵であっても必ず愛嬌がある。どこか憎めないのだ。 乗り物も好きだった。近未来的でありながら、アナログな部分が残っているバイクや飛行機など。 そういえば中学時代の美術のスケッチブックには悟空、クリリンがたくさん書かれていた。技術で作った小物入れの表面には幼少時代の悟空と裏面には大人になった悟空が彫られていた。
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中学時代の自己紹介
中学1年。担任は毎日一人ずつ1分間スピーチで自己紹介をさせた。中学になり始めてのクラスメイトに自分を知ってもらう。言い換えればここで中学生活での自分のキャラクターが決まってしまうといっても過言ではない。どんなレッテルが貼られるのか。そんな重要な機会だ。
私は、躊躇なく一言目に発した。
「僕は、ドラゴンボールが大好きです。」
当時はまだアニメやマンガの話をするとオタクとして扱われる時代。 私は、ドラゴンボール愛を語った。
目薬のおまけについてくるドラゴンボールのキャラクターが描かれたドラゴンケース(目薬を入れるケース)欲しさに、まだ残っているのにも関わらず目薬がなくなったからと嘘をついて親に買ってもらった話などを伝えた。
スピーチを終えると、それを聞いたクラスイトは感想などメッセージを書き、本人に渡す。真面目な女子からは
「いくら欲しいからと言っても嘘をつくのは良くないと思います。」
という真っ当なコメントなどもいただいたが、
「孫くんかっこいいよね。」とか
「ドラゴンボール好きなやつに悪いやつはいない。」など好意的なメッセージも多かった。
中学3年の時。1年の時と同じ担任になった。もちろん1分間スピーチも健在だ。
私がスピーチのため教卓に立ち、第一声。
「僕は、ドラゴンボールが大好きです。」
聴衆が沸いた。すでに私のドラゴンボール好きは知れ渡っていたのだ。待ってましたとばかりに歓声が上がる。
それに答えて、ドラゴンボール愛を語った。
再放送開始
そのうち、夕方にドラゴンボールの再放送が始まった。 第一話からビデオで録画した。
当時は今のように番組毎に録画はできなかった。タイマーをセットして決まった時間に録画できる機能はあったが、コンセントが抜けたらビデオの時計がリセットされたり、野球の延長などで録画できなかったりと不安要素が多すぎた。
そのため、本当に録画したい番組はビデオデッキの前で待機してリアルタイムに録画ボタンを押すのが最も安全で信頼性の高い方法だった。
再放送は平日の夕方毎日放送された。その日からドラゴンボールを録画するという日課が始まった。 慎重になったとしても、録画ミスは出てしまう。自分のミスなら仕方がないが、緊急速報などで番組途中でニュースが流れた場合などはどうしようもない。
翌日に前日と同じ放送が流れたりすればいいが、その緊急速報が5分や10分程度であれば、速報の放送がおわった時点でドラゴンボールが流れるのだ。
それも速報が流れている間も裏ではドラゴンボールのストーリーは進んでおり、途中が抜けた状態で録画されることとなる。
天下一武道会最終決戦が終わったと思ったら、ニュースで話が途切れ、ニュースが終わると、クリリンが死んでいた。
最悪だ。ドラゴンボールの中でも重要なシーンの一つである。このシーンが録画できなかった。テンションがた落ちである。
遺伝子は子供に引き継がれる
時は流れ、ドラゴンボールは続いていた。原作にはない「GT」や、「Z」を再構築した「改」を経て、「超」まで。 秋には新作「DAIMA」も始まる。
小学生の息子は実家の本棚で見つけたドラゴンボール全巻を持ち帰ってから、すっかりはまってしまっていた。全巻を3回は読み直し、今はドラゴンボール超を最新刊までそろえて読んでいる。
ドラゴンボールだけでなく、Dr.スランプ、鳥山明○作劇場やSANDLAND、ネコマジンにジャコなどなど、鳥山明作品を次々と読破していく。そしてドラゴンボールヒーローズのカードを集めている今となっては、私より詳しくなっている。
学童ではドラゴンボールのイラストを落書きしているようだ。オリジナルのフュージョンしたキャラを描いているらしい。
私が小中学生の頃、フュージョンが存在していたなら確実にオリジナルキャラを描いていただろう。 そんな息子の様子を見て、遺伝子の存在を強く感じた。
訃報
そんな折、ニュースは突然に訪れた。
まだ会社にいた私は、スマホに届いた速報を見て、言葉を失った。はじめは信じられなかった。 1件だけなら誤報の可能性もあるかもしれない。
少したつと、多くのニュースアプリが速報を通知してきた。ショックだった。目がかすんでにじんできた。それと同時に、息子がこれを知ったらどう思うだろうか。まだ低学年だし、直接会った人でもないからそれほどでもないのかもしれない。
帰宅後、「知ってる?」と確認すると、息子は少しさみしそう声で「知ってる。」と答えた。
今日、息子はドラゴンボール超11巻を読んでいた。 改めて考えると、小学生の頃から40年近くドラゴンボールやドラゴンクエストと一緒に成長してきて大人になった。
ずっと鳥山明と共に生きてきたのだ。本当に偉大なものは素朴過ぎて気づかないのかもしれない。
それは当たり前にそこにあったのだ。そしてそれはこれからも変わらない。
神格化する必要はないしきっと誰もそんなのは求めてはいない。
山の向こうから聞こえてくる鳥の鳴き声のように明日も自然にあり続けるのだろう。
ありがとう!鳥山先生。
おまけ
鳥山明の偽サインが出回ってるらしい。腹立たしい。とか思ってたら、昔、好きすぎてサインの練習をしていたようだ。
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