錬帯

 Aが遺した手記が発見された。その一部には、錬帯について知っていると考えられる記述があった。当時、錬帯は発見されていなかった。Aは生涯妻子を持たず、Aの手記の存在を知るものは、Aと親睦の深いBのみであった。そのため、少なくない数の人間が、手記のなかの錬帯についての記述は、Aの死後にBにより追記されたものであると考えていた。Aが亡くなると、BはAの手記について多くの質問を受けるようになった。彼は、長年の間「自分はAの手記に携わっていない」と答えていたが、数年前に前言を撤回して「自分は、生前のAに、手記の一部を書き継いでほしいと頼まれたことがある。そのときに、錬帯についての記述を加えた」と答えた。さらに数年後、Bが亡くなり、親族がBの遺品を見聞した際に、AからBに送られたと思われる複数の書簡が発見された。Aからの手紙には、Aが錬帯についてBに伝えている記述が発見された。書簡の束のほとんどはAからBに送られたものだったが、ひとつだけ、Bが記したと思われるものが入っていた。宛先はAだった。誠に申し訳ございませんでした、とだけ書かれていた。
 Bは、Aが錬帯に気づいていたことを秘匿していた。しかし、なぜそんなことをする必要があるのか。Bが錬帯を秘匿する理由はないはずだ。錬帯を発見したのはBではない。Bの仕事は錬帯とは縁遠いものだった。BはどうしてAの発見を黙殺したのだろう。そしてどうして、自分が手記に手を加えたと騙ったのだろう。
 もうひとつ疑問がある。Aはなぜ、錬帯の存在ついて世間に発表しなかったのだろう。錬帯は近世の社会問題の多くを解決した。いまや人間社会は錬帯なくしては立ち行かないであろう。錬帯を発見したともなれば、Aは社会的評価を今日のそれよりも高めていたであろうことは想像に難くない。現に、錬帯の発見者は偉人として語り継がれているというのに。
 なのになぜ、Aは錬帯の存在を隠したのだろう。そしてどうして、いちどは錬帯の存在を隠しておきながら、わざわざ手記の一部にその存在を示唆したのだろう。

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