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雨の夜からハレノバまでーーネタバレ回避勢が見るコンポジット発売前夜編

いよいよ明日に迫った、夏川椎菜さんの2ndアルバム「コンポジット」

ラジオで新曲が解禁されたり各所でインタビューが読めたりしています。

 そして、アルバムの中から「ハレノバテイクオーバー」が先行配信され、MVもショートバージョンが公開されています。

 あっけらかんとした快晴のもとを走り回る夏川さん。夏川椎菜さんのソロ活動のビジュアルの中では珍しい風景だな、と思いました。クラクトリトルプライド、ファーストプロット、ワルモノウィルは屋内だったし、アンチテーゼは雨。パレイドも雨。そして夜でした。

  雨の夜をとぼとぼと歩いていた日から、晴れの昼間を駆け抜けていく今日まで。

 これが夏川椎菜さんの「フェーズ2」だったのかな、とこうして並べてみると思いました。


じつは、なんとなく私の中でフェーズと呼んで分けている期間があるんです。ソロデビューから1st Live Tourが終わるまでをフェーズ1、1st Live Tourが終わってから今回の『コンポジット』を発売するまでをフェーズ2と私の中では考えていて。

冒頭のファミ通インタビューより

「誰かのためになら 歩けるかな その先へも」と歌っていたときに、夏川さんがその手に握りしめていたものが、鮮やかに彩りを放っている。それが「ハレノバテイクオーバー」の、あの色彩が豊かな画面に現れている、そんな気がします。

 パレイドが発売された時、夏川さんはこんなブログを書いていました。 

それでそのうち劣等感を感じてる事自体が恥ずかしいことのような気がしてきて、誰かに相談したところで、笑われるんじゃないか、真面目に聞いてもらえないんじゃないか、
そうして解消されないまま、適当な箱に詰めてどこかに隠しておいて、
箱の上に埃が溜まったらそれを誰かにぶつけて綺麗にして なんて繰り返しをしちゃいませんか?

箱ごと捨てるのが一番簡単なのに、それが一番難しいんですよね。

パレイドはまさにそういう状態の事を歌っています。

夏川椎菜『パレイド』

 この「箱」の中には、名前の付けられない、言葉にもしきれない、「感情」がたくさん詰まっていて、こいつが多かれ少なかれ誰の心にもあるよね、っていう。

 ここで、「感情」というものについて少しだけ話します。

 よく「赤ちゃんは快・不快の2つしか感情がない」ということを耳にしますが、発達心理学者のマイケル・ルイスの理論によると、人間は誕生直後には「満足(快)」「苦痛(不快)」「興味(関心)」の3つの感情を持つとされています。ここから、生後3ヶ月ほどで、「満足」からは「喜び」、「興味」からは「驚き」、「苦痛」からは「悲しみ」「嫌悪」が分化していきます。さらに生後6ヶ月には、そこに「怒り」や「恐れ」といった感情も分化していきます。そして自己意識がはっきりとしてくる1歳半から2歳になると「照れ」「妬み」「共感」、それより成長して外の世界のルールを習得して他者の認識がはっきりしてくると「誇り」「恥」「罪悪感」がついてきます。

 何が言いたいのかというと、夏川椎菜さんの「フェーズ2」は、ソロアーティストとしての夏川椎菜の感情の「分化」の過程だったのかなということです。

 「いちいち壁にぶつかって」もがいてみたり、「好きでつけていた仮面も砕いちゃいそう」なくらいの激情を持っていたり、でもそれらを「感情制限解けるまで」必死に抑えて、その上で「ここにしか居れん」夏川椎菜さん。

 箱に仕舞い込んでいた感情に名前をつけるにも、

「複雑すぎる世界のはずなのに 感情を4つに分けろって雑がすぎないか?」

ハレノバテイクオーバー


 仕舞い込んでいた箱の中に、数えたり全部に名前をつけることができないくらい、夥しい色の鮮やかな感情が詰まっていたことに気付いて、それを箱の底から鮮やかにひっくり返して、新しい世界を「合成」していく。
 これが夏川椎菜のフェーズ2のログラインだと私は思うのです。

 なお私は「リード曲以外はなるべくアルバムが届いてから、前情報無しに楽しみたい」という信義のため、今のところ新曲はハレノバしか聴いていません。だから、これは、「箱の中身」をまだ知らない私の、ただの戯言です。

 でも、こう思っているからこそ、明日か明後日には届くだろう箱の中身と、次にやってくる「フェーズ3」が楽しみでならないのです。あんなにたくさんの色彩を持った夏川椎菜さんが、これから、どんな未来を描いてくれるのか。

 眩しさに目をやられつつも、オタクは両手(両羽根?)を挙げてついていくのでした。



続く


以下、超超超余談。(24時間で消す予定でしたが有料で残しておくけど読むほどのアレはないです)

 夏川椎菜さんのソロデビューは2017年。つまり今年でソロデビュー5周年。つまり5歳。なつかわしいなちゃん5歳……、ということで、感情の発達段階のお話をしたので、発達心理学ではお馴染みの学者さんであるエリクソンの話をします。

 エリクソンは「心理社会的発達理論」というものを提唱しました。これは、人間の人生を8つの期に分けて、各段階に「心理社会的危機」というものが訪れること(発達課題)、そして、それを乗り越えることによって人は力を獲得できる、という理論です。

 この論においては3〜5歳というのは「遊戯期」という時期に分類されます。この年代の「心理社会的危機」は「自発性 対 罪悪感」です。3歳ともなると、ある程度自分でやりたい!の気持ちが強くなって、あれもしたいこれもしたい!という「自発性」が芽生えます。その一方で、自分で何でもやろうとすると結果的に周囲と衝突することもあります(この年代の場合だと、親や先生から叱られる、友達と喧嘩になる)。そうした衝突の過程で生まれるのが「罪悪感」です。この年代はそうした「自発性」と「罪悪感」の衝突、拮抗が大きなテーマになります。そしてこの時期の成功体験によって「自発性」が報われる結果を得ることができると、「目的意識」を獲得できます。目標を持って物事に向かう姿勢はこうして育まれる、と考えられています。

 これまでの、ソロアーティストとしての夏川椎菜さんの道筋を思うと、重なるところもあるんじゃないかなあ、と感じたりもします。

 では、5歳以降には何が起こるのか。5歳〜12歳は「学童期」と呼ばれ、ここでの危機は「勤勉性 対 劣等感」です。簡単にいうと、目的に対して努力すること(勤勉性)に結果が伴うという体験ができれば、「自己効力感」という力を得ることができます。逆は言わずもがな。

 まあ、でも、これは大丈夫なんじゃないかなって。ヒヨコ群なら思うでしょう?ね?


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