空白への言い訳(「#FFFFFF」について)
最近、このようなコンテストを目にしたので、参加してみました。
書き上げたものはこちら。
楠木ともりさん。
知ったきっかけはラブライブ!で、個人でのアーティスト活動をしていることも存じ上げてはいたんですけど、じゃあどんな作品があるんだろう?と思った時に聴いた「Forced Shutdown」のティザーで、「あ、この作風は絶対に刺さる」と思い、そこから意図的に、めちゃくちゃ避けていた、という経緯があります。
物語に情緒を揺さぶられるのは、好きです。でも、やはり限界というものがある。ティザーを観た時に、おそらくこの人が作るものは私のその限界値を踏み越えて来るぞ……と感じて、その時点で回れ右をしてしまいました。
前から個人活動を追っていたアーティストさんがそういう楽曲を出してきたりするパターン(夏川椎菜さんの「パレイド」が好例です)には遭遇したことはあったけど、初手フルスロットルでそこに飛び込まれるのは、怖い。
だからずっと、逃げてきました。
今回、たまたまTwitterで表題のコンテストを知り、まずシンプルに「面白そうだな」と感じました。概要を読むと、「いやもうすでに“物語“としてめちゃくちゃ完成してるじゃん?!」と思いつつ、でもその上で、音楽から物語を作り出すのは、純粋に楽しそう、と感じました。
ただし、このオタク、楠木ともりさんの楽曲をまだ一度も聴いていないのでした。この時点で。
とりあえず一晩寝て、次の日仕事を終えて、「タルヒ」と「Sketch book」を聴いて……すぐさまiOSのメモ帳を開きました。
それで、書き上げたのがこの作品です。
ダメ押しの2回目のリンク
これを書いているときに思ったこと、感じたことを書き留めておきたかったのですが、monogataryの雰囲気的に書きにくかったので(pixivだったらキャプション芸か改ページするところ)、だいぶ慣れてきたnoteにこうして置いておくことにしました。
早い話、言い訳です。笑い飛ばしてください。
以下、いろんなもの、いろんな方向に対する、言い訳。
“助けて欲しかった時の自分”を、心の中にずっと飼っているような気がする。
それは、母を怒らせて足蹴にされてアスファルトに強かに背中を打って、人は痛いと息ができなくなることを知った5歳のわたしだったり、周りから聞こえる人の声が、全部自分への非難のように思えて、保健室のベッドで丸まって泣いていた14歳のわたしだったり、はたまた、家にも学校にも居ることがしんどくなって、すれ違う大型トラックを横目に「今ここに飛び出せば楽になれるかな」と思いながら、暗い夜道を自転車で走っていた17歳のわたしの姿だったりする。
望んでいた助けは、来なかった。
私は、私自身がどこか大人になり切れていないように感じている。まあ、子どもに関わる仕事をずっとしているから、というのは理由の一つかもしれないけど、それを差し引いても、多分、世の同年代女性よりも、狭い視野で生きている自覚は、ある。
それは、結局のところ、あの時やその時の私自身を納得させられていないからなのではないだろうか、と思うけど、果たしてその「彼らが納得する日」は来るのか?と考えると、それは絶望的なくらい、「ない話」だと感じる。
最適解はもうとっくに、塗りつぶされてしまって、選べない。
どんなに求めても、もう手には入らない。
それに納得できないのなら、もう、私になす術はない。
だから、私はこれからも、彼らを連れて、行けるところまで行くのだろう。結果的に、いつまで経っても「大人」と「子ども」の対立項ができてしまうと、「子ども」に肩入れしてしまう、中途半端な、どっちつかずのままで。
それでも、今回、表題の物語を書いている時、自分の中で小さな変化があることに気付いた。
最初は、全てを主人公の「少女」の視点で、“あの時間“を書き進めていたけれど、途中で、「彼女のことを見守る先生」から見た“あの時間“の風景が、立ち上がってきた。
どう考えても、私の年齢や職業柄、「先生」の感情に寄っていくほうが多分普通ではあるのだけど、今まではそうではなかったから、これは新しい経験だったし、私の中で、それでも「大人」として振る舞ってきた経験が、少しずつではあったけど積み重なって、生まれたのだろう。
「先生」は「少女」に手紙を書く。
未来を祝福する筆致は、あたたかい。
それを見て、私もあの時の自分たちに、何かを伝えるとしたら……と、少し考えてみた。助けは来なかった。それでも今日がある。これが良いこととも悪いこととも言えないけれど。
あたたかい、優しい言葉は残念ながら、かけてあげられるほど成熟した人間にはなれていない。彼らの存在は、私の生業において力強い味方になることもあるけど、同時にものすごい勢いで足を引っ張られることもあるからだ。
だけど、今日につながる縁が、きちんとどの瞬間にもあることくらいは教えてあげても良いかもしれない、と思っている。
助けて欲しかった私へ。
残念ながら、君が望むような助けは来ません。明日も明後日も、空の色は変わらないし、これから先も、たくさん辛い思いをします。「いつでも死ねるのなら、どうにか今日をやり過ごそう」という考えを持ってくれてありがとう。それは今の私にも、大いに役に立っています。
今、君に好きなものがあるということ。それをどうか大事にしてください。それに意味がないなんて思わないでください。今、君が好きなものは、この先の君の人生を、少なくとも今日まで、ずっと照らすものです。か細い灯りかもしれないけれど、私はそれを持って、ここまで来ています。
決して、そこが真っ暗闇ではないことを、どうか覚えていてください。
全くもって、救いのない手紙になってしまった。
もう少し大人になれたら、もっと優しくしてあげられるのかもしれないし、もしかしたら向こうのほうから「もういいや」とどこかに行ってしまう日が来るのかもしれない。そんな日が来るのが、多分、一番良い。
わかってはいるけど、願うことはやめられない。